【第2章‑2】 湯気と香
湯が静かに沸き始めたころ、
茶室の中の空気がわずかに動いた。
音は小さいのに、その動きだけが胸に届く。
祖母は釜の蓋を少しずらした。
白い湯気がふっと立ちのぼる。
湯気はまっすぐ上がらず、
畳の上の暗い部分に触れて形を変えた。
祖母は湯気を見ながら言った。
「久秀。ここを見てごらん。」
声は低く、湯気の動きに合わせるようだった。
久秀は湯気を追った。
湯気は場所によって速度が変わる。
部屋の奥ではゆっくり沈み、
光の近くでは細く伸びる。
祖母は続けた。
「こういうときはね、手をゆっくりにするといいよ。」
湯気が畳の暗い部分に触れると、
その暗さが細かく変わった。
変化は部屋の奥へ広がっていく。
祖母は香炉に火を入れた。
細い煙が静かに立ちのぼる。
湯気とは違う、まっすぐな線だった。
「香はね、空気の流れを見せてくれるんだよ。」
声は煙の線に寄り添っていた。
煙の線が湯気と交わる。
柔らかい湯気と細い煙が触れ合い、
そのまま部屋の奥へ流れていく。
祖母は香炉をそっと置いた。
「ここに道ができるんだよ。
ゆっくりだけど、よく見ると分かる。」
久秀は煙の道を追った。
線はまっすぐではなく、
少し曲がりながら奥へ消えていく。
その奥に、祖母の呼吸があった。
湯気と煙が重なると、
部屋の空気がゆっくり沈んでいくように見えた。
名物の間とは違う、身体の内側に入ってくる動きだった。
久秀は湯気の動きを胸で受け、
煙の線を目で追い、
畳の暗い部分の広がりを手で感じた。
祖母は久秀を見て言った。
「久秀。目だけじゃ分からないことがあるよ。
身体が先に動くときがある。」
その声は湯気と煙のあいだを静かに通った。
湯気が左右に流れ、
煙が細く伸び、
畳の暗い部分がゆっくり広がる。
三つが重なると、
部屋の空気がひとつの方向へ流れた。
久秀はその空気を吸い込む。
胸の奥がゆっくり温かくなる。
湯気と煙が教えてくれたのは、
空気の中にある小さな変化だった。
その変化を読む身体が、
久秀の中で静かに育ち始めていた。




