【第19章‑2】 闇の使い
宗久が去って二日後の夜、
東大寺の森が、
いつもより深く沈んでいた。
屋敷の門を叩く音がしたのは、
灯りを落とした直後だった。
家臣が戸口へ向かうと、
闇の中にひとり、
旅装の男が立っていた。
「……尾張より。」
名乗りは、それだけだった。
男は供も連れず、
馬もつながず、
ただ一通の文だけを懐に抱えていた。
家臣が久秀の前へ案内すると、
男は深く頭を下げ、
文を差し出した。
封には、
見慣れぬ印が押されていた。
久秀は灯火を近づけ、
静かに封を切った。
紙には、
柔らかい筆致で数行が記されていた。
「松永殿の才、
信長公は高く買われております。
大和のこと、
松永殿にお任せしたく。
信長公、松永殿を敵とせず。
木下藤吉郎」
久秀は文を読み終えると、
しばらくのあいだ、
紙の端を指で押さえたまま動かなかった。
(……宗久の置いていった“名”。
その名の主が、
こうして闇の中から手を伸ばしてきたか。)
灯火が揺れ、
文の影が畳の上で細く震えた。
久秀は顔を上げ、
密使を見た。
「藤吉郎殿は、
この文を、
どのように申して託した。」
密使は短く答えた。
「『松永殿のお考え、
しかと承りたい』
……と。」
久秀はわずかに息を吐き、
机の上の地図へ目を落とした。
摂津、河内、和泉。
三好の城々。
寺社の境内。
国人衆の村々。
すべてが、
静かに揺れていた。
久秀は筆を取り、
紙を広げた。
「……待て。」
密使が姿勢を正す。
久秀は、
墨を含ませた筆先を紙の上に置いた。
「返す文がある。」
灯火の下、
筆が静かに走り始めた。
その筆が描くものが、
三好の座を崩す“策”であることを、
密使はまだ知らなかった。




