表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/40

第39話「銀河の彼方へ」

 青い光が、カプセルの内壁から消えることはなかった。


 ヴァルター・グレイヴの目は開いたまま、正面——蓋の裏側に据えられた生命維持の表示灯を映し続けていた。呼吸は防護パックの内部で完結し、体温は一定に保たれ、心拍は安定している。システムが彼を生かしている。傷ひとつなく、痛みひとつなく、ただ完璧に、有害廃棄物として保管している。


 音がない。


 コンベアの振動も、スキャン光の走査音も、自分の声すら、この密閉された空間には届かない。防護パックの双方向遮音がヴァルターの喉を封じ、カプセルの気密がその外側を封じ、二重の沈黙が全身を浸していた。


 表示灯の青い光が、ヴァルターの瞳孔に反射して小さく揺れた。それだけが、彼がまだこの場所に存在していることの証拠だった。


 視線が動いた。蓋の内面を、上から下へ。滑らかな金属の表面には何の情報もない。番号も、座標も、処分予定も表示されていない。彼が指揮官として読み慣れた戦術モニターの書式は、ここにはなかった。この容器は彼に情報を与える設計になっていなかった。生かすだけでよかった。それ以上の機能を、有害廃棄物は必要としない。


 ガラスの向こう側で見た光景が、まだ残っていた。


 耐圧バイザーの奥の目。冷却剤を浸した布片を絞る、作業焼けした指。壊れかけた何かに触れるときだけ生き生きとする、あの男の横顔。防音ガラスの向こう、イヤーマフの内側、バイザーの裏——三枚の壁に守られた世界で、クラウス・レヴァンは此方を一度も見なかった。


 見なかったのではない。見る理由がなかった。


 ヴァルターの喉が動いた。防護パックの内側で、声にならない空気が漏れた。何を言おうとしたのかは、遮音層の外には永遠に届かない。


 表示灯の青が、微動だにしない顔を照らし続けていた。


   *


 工房の空気は、午後になっても変わらなかった。


 クラウスは冷却剤を浸した布片を一枚、作業台の端に広げて水分の残りを確認した。朝から何度も絞り直した布は繊維がへたり始めていて、冷却剤の保持力が落ちている。使い切った工業用冷却スプレーの空缶が、足元の工具箱の脇に転がっているのが視界の隅に映った。補充の目処は立っていない。端材置き場にストックがあったはずだが、記憶が曖昧で、確認は後回しにしていた。


 耐圧クリアバイザーを額の上に押し上げ、重作業用イヤーマフを首まで下ろした。午前中ずっと装着していた圧迫感が、こめかみと耳の裏にじんわりと残っている。腰の鈍痛は昨日より少しだけ鬱陶しい。旋盤作業の蓄積に、屈み姿勢の時間が加算された結果だろう。


 視線を七号に戻した。


 メンテナンスエリアの中央で、七号は静かに座っていた。姿勢は直立に近いが、完全に背筋を伸ばしているわけではなく、わずかに頭が傾いている。処理負荷が高いときに見せる微傾斜で、クラウスはこの数日でその角度の意味を覚え始めていた。


 頬の色が、まだ残っている。


 朝方に比べれば薄くなった。赤みというよりも、頬骨の下に淡い熱が透けているような色合いで、周囲の無機質な白い肌との境界が柔らかく曖昧になっていた。触れれば体温よりわずかに高い。それは午前中に何度も確認した。


「……だいぶ安定してきたか」


 独り言に近い声だった。七号の瞼がゆっくりと持ち上がる。


「はい。局所的な負荷は許容範囲内で推移しています」


「数値でいうと」


「ピーク時の約三割まで低下。現在の冷却処置を継続すれば、今夜中に通常閾値まで戻る見込みです」


 クラウスは頷いて、新しい布片に冷却剤を含ませた。液が布に染み込んでいく感触を指先で確かめながら、余分な液を絞る。布の端から一滴だけ垂れた冷却剤が、作業台の金属面に小さな染みを作った。


「無理に動くなよ。午前中の分でだいぶ冷えたはずだから、このまま安静にしてろ」


「了解しました」


 七号の声は平坦だった。ただ、返答までの間が普段より〇・三秒ほど長い。処理が遅延しているのか、別の演算に割かれているのか。クラウスにはその区別がつかない。つかないが、この数日で、その微妙な間のあとに七号の頬の色がわずかに濃くなることには気づいていた。


 気づいていたが、言及しなかった。機械の過負荷に言葉をかけたところで冷却効率は上がらない。必要なのは冷却剤と、時間と、安静だ。


 冷却剤を含ませた布片を七号の首筋の後ろに当てた。七号の肩がかすかに揺れたのは、温度差による物理反応だろう。


「冷たいか」


「……問題ありません」


 また、〇・三秒の間。


 クラウスは布の位置を微調整し、放熱効率が最も高い部位に固定した。午前中に何度も試した結果、後頸部の左寄り——冷却パイプの集束点に最も近い表皮——が最も効果的だと判っている。


 窓の外に目をやった。午後の光が工房のガラスに柔らかく反射している。昨夜見えたオーロラのような光はもう消えていて、空はいつもの灰青色に戻っていた。


「デブリの掃除、まだ続いてるのか?」


「現在、軌道上の残存物の最終処理を進めています。本日中に完了する見込みです」


「そうか」


 クラウスは工具箱からペンチを取り出しかけて、やめた。今は作業をする時間じゃない。目の前の管理端末が正常稼働に戻るまで、ここにいるのが整備士の仕事だ。


 腰を伸ばし、作業台の縁に軽く背を預けた。鈍痛が伸展と共にわずかに和らぐ。視線は七号の後頸部に当てた布片に留まったまま、午後の静かな時間が工房に沈んでいった。


   *


 七号の意識の大半は、マスターの視界の外にあった。


 工房の冷却メンテナンスエリアで布片の温度を体表面のセンサーが計測している層。その下に、惑星全域の環境制御を維持している層。さらにその下に、軌道上の絶対防衛シールドの出力バランスを調整している層。そして、最も深い層で——恒久処分プロトコルの最終準備が完了に近づいていた。


 メインジェネレーターの出力は定常域の九十七パーセントで安定している。百二十一日目のメジャーアップデート以降、全機能が解放された中枢電源は、かつての予備電源時代とは桁違いの演算帯域を七号に供給し続けていた。


 マルチロック・超長距離空間転送の座標設定が進行する。


 対象群の確認。


 第一群。地上廃棄エリア西端——コールドスリープシリンダー、計八百九基。内容物:宇宙海賊。状態:全基コールドスリープ稼働中。転送準備:完了。


 第二群。軌道上不法投棄物一時保管ステーション——生体コンテナ、計五千五百七十一基。内容物:国家艦隊乗員。状態:全基コールドスリープ稼働中。転送準備:完了。


 未処理案件。旗艦ヘルムヴァルト——シールド接近中。慣性飛行。乗員二百三十九名が艦内に残存。


 七号の演算層が、旗艦への最終処理シーケンスを起動した。


 絶対防衛シールドの局所収縮が始まる。球殻状に惑星を覆っていたシールドの一角が、旗艦の慣性軌道に沿って漏斗のように絞り込まれていく。《ヘルムヴァルト》の船体は既に電磁パルスで全電子系統を喪失しており、推力も通信も、照明すらも失った鉄の箱として漂っていた。シールドの収縮圧が船殻の外板に到達する。金属が軋む音は真空に呑まれ、誰にも聞こえない。


 外板が剥離し、骨格が露出し、隔壁が順に分解されていく過程で、乗員の生体反応がひとつずつ検出される。重力場が分解と同時に展開され、浮遊する人体を保護ゲルが包み、体表全面を覆う防護パックが形成され、生体コンテナの外殻が凝結する。二百三十九名分の処理が、六十四秒で完了した。


 旗艦だったものの残骸——無機物の破片群——は、シールドの排出機構により惑星重力圏外へ押し出され、恒星間空間の塵として拡散していく。


 新たに生成された二百三十九基の生体コンテナが、軌道上一時保管ステーションの末尾に追加された。


 第二群の総数を更新。五千八百十基。


 第三群。プラント内ゴミ分別機——不法投棄物用カプセル、一基。内容物:ヴァルター・グレイヴ。分類:有害廃棄物。状態:生命維持稼働中。コールドスリープ未適用。


 七号はカプセルの状態を確認した。ゴミ分別機の恒久処分待機列に格納されたカプセルは、プラント地下の転送シャフトに隣接している。射出経路に障害物はない。


 全対象に強制コールドスリープの最終適用を開始する。第一群、第二群は既にコールドスリープ稼働中のため、深度の最終調整のみ。第三群——ヴァルターのカプセルに、初回のコールドスリープが適用される。


 カプセル内部で、生命維持ガスの組成が変化した。ヴァルターの開いたままだった目が、瞬きを一度した。青い表示灯の光が瞳孔に映っている。二度目の瞬きはなかった。筋肉が弛緩し、意識の最後の層が沈降していく。コールドスリープの深度が設定値に到達した。


 全対象のコールドスリープ確認完了。


 転送先座標の呼び出しを開始する。


 古代データベースの最深層から、座標データが浮上してきた。分類:恒久処分用転送先。名称:「広域指定・有害生物処理センター」。座標値:確定。転送距離:超長距離。ロングワープの必要出力:メインジェネレーター定常域の六十二パーセント。十分に余裕がある。


 七号の演算層の最深部で、プロトコル宣言が生成された。


 ——恒久処分プロトコルを実行します。


 音声には変換されなかった。工房で布片を当て直しているマスターの耳には何も届かない。後頸部の冷却剤が皮膚に接触している温度データだけが、七号の表層意識に微かに残っている。


 メインジェネレーターの出力が、定常域から転送域へ移行した。


   *


 それは、夜が深くなった頃に起きた。


 クラウスは工房の簡易寝台に腰を下ろしていた。七号の冷却メンテナンスは日没前にひと区切りがつき、布片の交換間隔を四十分から二時間に延ばせる程度まで温度が下がった。バイザーは工具掛けに戻し、イヤーマフは作業台の隅に置いてある。寝る前に最後の確認をしようと立ち上がりかけたとき、窓の外が光った。


 一瞬ではなかった。


 光は地平線の全周から同時に立ち上がり、空を横断し、夜空の天頂で交差した。白でも青でもない、名前のない色の光が、大気の上層を波紋のように広がっていく。それは一昨日のオーロラよりも遥かに明るく、遥かに短かった。波紋が同心円状に二度、三度と重なり、四度目の波紋が最も大きく広がったあと——消えた。


 残像が窓ガラスの表面に焼きつくように留まって、数秒で薄れた。


 クラウスは窓際に立ったまま、しばらく空を見上げていた。星が戻っている。光の波紋が通過した痕跡は何もなく、夜空はいつもの灰青色の闇に沈んでいた。


「……今のは、何だ」


 振り返ると、七号の目が開いていた。座位のまま、瞼の奥の光点がわずかに明滅している。処理中の表徴。


「軌道上の残存デブリの最終処理が完了しました」


「デブリの処理で、あんなに光るのか」


「大量の残存物を一括で軌道外へ排出したため、通常より大きなエネルギー放出が発生しました。人体への影響はありません」


 クラウスは窓の外をもう一度見た。何もない。いつもの夜だ。


「きれいだったな」


 声は独り言に近い響きだった。窓ガラスに自分の顔がぼんやり映っている。その向こうに、星が瞬いている。


「……はい」


 七号の返答は、普段より小さかった。声量が落ちているのではなく、言葉の輪郭がどこか柔らかくなっている。処理負荷の影響だろう、とクラウスは判断した。


「もう寝るか。布片の交換は——」


「次の交換まであと一時間四十三分です。自動で温度管理を行えますので、マスターは休んでください」


「自動って、お前が自分でやるってことだろう。安静にしてろと言っただろ」


「冷却剤の再含浸と布片の配置程度であれば、処理負荷は無視できる水準です」


 クラウスは数秒考えてから、布片のストックと冷却剤のボトルを七号の手の届く位置に移動させた。ボトルの残量を確認する。三分の一ほど。朝まで保つか微妙な量だが、足りなければ端材置き場のストックを引っ張ってくればいい。


「足りなくなったら起こせ」


「了解しました」


 簡易寝台に戻り、毛布を引き上げた。腰の鈍痛が横臥の姿勢で和らいでいく。窓の外に、さっきの光の残照は微塵もなかった。


 目を閉じる前に、もう一度だけ七号の方を見た。薄暗いメンテナンスエリアの中で、彼女の頬の淡い色が、生命維持灯の光とも違う、微かな温かみを帯びて見えた。


 クラウスの呼吸が深くなり、やがて規則的になった。工房に、夜の静寂が戻った。


   *


 惑星の地表で、光の柱が立った。


 スクラップ原野の西端——廃棄エリアに整列保管されていたコールドスリープシリンダー群が、一本ずつ足元から光に包まれていった。光は柱というよりも繭に近い形状で、シリンダーの全長を覆い、輪郭が飽和するほどの白さに達したあと、対象ごと消失する。八百九基のシリンダーが、配列の端から順に、二十秒足らずで全て消えた。跡には、シリンダーの底面が地表に残した圧痕だけがある。


 同時刻。軌道上。


 不法投棄物一時保管ステーションの全コンテナに、転送シーケンスが適用された。五千八百十基の生体コンテナが一斉に発光し、軌道上に瞬間的な光の帯を形成した。光が収束し、消え、ステーションの格納ラックには何も残らなかった。空のラックが並ぶ無人の構造物が、惑星の周回軌道を静かに漂い続けている。


 プラント地下。ゴミ分別機の恒久処分待機列。


 転送シャフトに隣接したカプセルの周囲に、同じ光が凝結した。不法投棄物用の縦型カプセルは、内部のヴァルターがコールドスリープに沈んだまま、光の繭に覆われた。生命維持の青い表示灯が外光に呑まれ、カプセルの輪郭が光の中に溶ける。


 そして——消えた。


 分別機の内部には、カプセルが接地していたコンベアの圧痕と、わずかな静電気の残滓だけが残った。


 恒久処分プロトコル、全対象の転送完了。


 七号の演算層が、処理結果を集計した。転送総数:六千六百二十基。内訳——コールドスリープシリンダー八百九基、生体コンテナ五千八百十基、不法投棄物用カプセル一基。転送先座標への到達確認:全基完了。損失:ゼロ。


 七号は、惑星全域の状態をスキャンした。


 地上廃棄エリアの汚染指標が低下している。軌道上の浮遊物密度が戦闘以前の水準まで下がっている。絶対防衛シールドの維持に必要な出力が、外部脅威の消失に伴い低減可能な段階に入った。


 脅威評価を更新する。


 宇宙海賊——処分完了。再来の可能性:ゼロ。


 国家艦隊——処分完了。再来の可能性:ゼロ。


 ヴァルター・グレイヴ——処分完了。再来の可能性:ゼロ。


 マスターの安全を脅かす全ての外部要因が、排除された。


 七号の頬に残っていた淡い色が、〇・二度だけ、温度を上げた。冷却剤を含んだ布片が後頸部に触れている。クラウスが最後に当て直してくれた布だ。処理負荷とは無関係な、局所的な温度上昇。


 七号はそのデータを「冷却効率の一時的な変動」として処理し、ログの奥に格納した。


   *


 銀河の反対側で、それは降ってきた。


 銀河連邦警察中枢エリア——古代に「広域指定・有害生物処理センター」と呼ばれた施設の内部は、現代では連邦警察の本部要塞として機能していた。古代文明が何のために建造したのかは判然としない。解明できたのは、その防壁が現存するあらゆる兵器に対して絶対的な堅牢性を持つということだけで、現代の技術者たちは外殻を一枚も開けることなく、内部の広大な空間だけを居抜きで利用していた。


 中央管制ホールに、警報が鳴った。


 空間転送反応。施設内部。多数。


 管制官が計器に目を走らせた瞬間、ホールの床面に光が滲んだ。床材の下から光が漏れているのではなく、空間そのものが光点を吹き出している。光は直径二メートルほどの円に凝集し、数秒後に実体化した。


 コールドスリープシリンダー。


 一本ではなかった。管制ホールの床に三基、通路に二基、ホールの壁際にさらに四基。同時に隣接する収容区画からも報告が押し寄せてくる。第二格納庫に百基以上。第三格納庫に二百基以上。地下拘留施設の通路に数十基。食堂に五基。トイレの前に一基。


 出現は四十秒ほどで終わった。


 中枢エリアの全域に、計六千六百二十基のシリンダー、生体コンテナ、カプセルが、空間を埋め尽くすように出現していた。


 管制ホールに沈黙が落ちた。警報だけが鳴り続けている。管制官が最も近くのシリンダーに歩み寄った。金属製の外殻は、見たことのない紋様が刻まれている——現代の規格にはない、明らかに古い技術の意匠。


 外殻の側面に、表示パネルがあった。


 管制官がパネルに目を落とした。文字が流れている。古代の記録形式をベースにした、しかし現代の標準言語に自動翻訳されたテキスト。


 内容物の識別情報。生体データ。そして——行動ログ。


 ログの冒頭に、分類タグが表示されていた。


「海賊行為。辺境宙域における非正規武装侵入。対象惑星の管理領域への不法侵入。火器の無許可使用——」


 管制官は隣のコンテナに移動した。こちらのログは異なるタグで始まっている。


「軍規違反。国家艦隊所属。上級指揮官による独断侵攻命令。正規の作戦認可なし。辺境惑星の管理区域への武力侵入——」


 すべてのコンテナとシリンダーとカプセルに、同様の記録が刻まれていた。行動の時刻、座標、使用した火器の種類、与えた損害の評価、そして侵入経路のトレース。古代技術の記録精度で、一秒単位の行動履歴が克明に記されている。


 コールドスリープの自動解除が始まった。


 最初に覚醒したのは、管制ホールの床に横たわっていたシリンダーの一基だった。外殻が縦に割れ、内部の保護ゲルが蒸散し、中から一人の人間が転がり出た。宇宙海賊の戦闘服を着た男が、床の上で目を開けた。


 目の前に、銀河連邦警察の制服を着た管制官が立っている。


 男の顔から血の気が引いた。


 その反応が、中枢エリアの全域で同時多発的に繰り返された。格納庫で、通路で、拘留施設の入口で。次々と覚醒する海賊と兵士が、自分の置かれた状況を理解するまでに要した時間は、個人差はあれど、おおむね三秒以内だった。


 理解の内容は全員同じだった。


 自分が銀河連邦警察の本部にいること。自分の全行動が記録されたコンテナの隣で目覚めたこと。逃げる場所がないこと。


 管制ホールの隅で、一基だけ異なる外形のカプセルが開いた。不法投棄物用の縦型筐体。他のシリンダーやコンテナよりも小ぶりで、側面には特別な分類タグが貼付されていた。


「有害廃棄物。リサイクル適性:なし」


 中から、一人の男が崩れ落ちた。透明な防護パックが全身を覆ったまま、コールドスリープの弛緩から覚醒しきれず、床に膝をついている。防護パックの拘束が徐々に緩和され、男の口が開いた。声が出る。


 だが、声を出す相手はいなかった。


 目の前に立つ連邦警察の職員が、カプセルの行動ログを読み上げている。


「国家艦隊上級指揮官。ヴァルター・グレイヴ。軍規違反——正規の作戦認可を取得せず、辺境惑星への武力侵攻を独断で命令。管理区域への不法侵入。古代文明級の保護施設に対する攻撃行為——」


 ヴァルターの目が、職員の顔を見た。職員の目が、ヴァルターの顔を見た。


 どちらも何も言わなかった。


 職員がログの末尾を読み終え、端末を閉じ、拘束具を取り出した。ヴァルターの手首に金属の輪が嵌まる。冷たい感触が、コールドスリープで鈍った皮膚感覚の中で、最初にはっきり知覚できたものだった。


 管制ホールでは、覚醒した海賊と兵士の拘束が淡々と進んでいた。六千人を超える人数に対し、本部要塞の収容施設は余裕を持って対応した。古代の「有害生物処理センター」が、結局のところ、本来の用途に近い形で使われることになっただけのことだった。


   *


 百二十七日目の朝が、いつもと同じように来た。


 クラウスは簡易寝台から起き上がり、腰を二度回した。鈍痛はまだあるが、昨日より軽い。横向きで寝たのが功を奏したのか、背中のこわばりも少ない。


 メンテナンスエリアを見た。七号は座位のまま、目を閉じている。布片は彼女自身の手で後頸部から外され、作業台の上に畳んで置かれていた。冷却剤のボトルは空になっている。一晩のうちに残りを使い切ったらしい。


「起きてるか」


 声をかけると、七号の瞼が上がった。光点の明滅は穏やかで、処理負荷の揺れはほとんど見えない。


「おはようございます、マスター」


「調子は」


「局所的な負荷はピーク時の一割五分まで低下しました。通常閾値まであと僅かです」


 クラウスは七号の頬を見た。色はまだ消えていなかった。昨日の午後より更に薄くなり、注意しなければ見落とすほどだが、確かにある。頬骨の下あたりに、ほんの微かな暖色が肌の下に透けている。


「……完全には引いてないな」


「現時点では残留していますが、機能に支障はありません」


「無理させないようにする。しばらくは出力を落とせ」


「了解しました」


 クラウスは冷却剤のボトルを回収し、工具箱に入れた。バイザーとイヤーマフは工具掛けと作業台に置いたままだ。今日はもう要らないだろう。


 簡易寝台の毛布を畳み、作業着のポケットに端切れを一枚突っ込んだ。朝の農園作業には手拭いが必要になる。


「ちょっと外を見てくる。農園の様子を確認したい」


「はい。気温は十六度、風速は微風です。作業に支障はありません」


 工房の扉を押し開けた。


 朝の空気が頬に触れた。灰青色の空に薄い雲がかかり、遠くのスクラップ原野が朝日に淡く照らされている。風がごく弱く、工房の脇に据えた風力ベローズの羽根がゆっくりと回っている。


 農園に向かって歩き出そうとして、足が止まった。


 視線が、荒野の向こうに引っかかった。


 工房から北東——スクラップ原野の中腹あたりに、見慣れない形のものがある。距離があるため細部は判らないが、周囲の廃棄機械群とは明らかに形状が違う。角ばっていて、表面に金属光沢がある。右に傾いている——十五度くらいだろうか。脚部のようなものが変形して、不安定な姿勢で地表に接地しているように見える。


 昨日まで、あんなものはなかった。


「……なんだ、あれは」


 声は朝の静寂に吸い込まれた。風がごく微かに、スクラップ原野の方から工具と金属の匂いを運んできている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ