第38話「ゴミと七号」
ドローンが動いた。
四基が同時に、地面に近い高度を保ったまま水平に移動を始めた。ヴァルターの体は空中に固定されたまま運ばれていく。靴底が砂利の上を滑るように通過し、影だけが地面を這った。
腕を動かそうとした。指先すら曲がらなかった。透明な素材が肌に密着し、筋肉の収縮を許さない。全身の輪郭をなぞるように圧着されたそれは、力を込めるほど均等に押し返してきた。
視界だけが自由だった。首はわずかに回る。顔の周囲にだけ、拳ひとつ分ほどの空間が残されていた。空気はそこから入り、そこから抜けている。呼吸に支障はない。それがかえって屈辱だった。殺されるのでも、拷問されるのでもない。ただ——梱包されている。
「聞こえているのか! 私は——」
声が頬に当たって返ってきた。鼓膜が震えるほどの反響。自分の声が、自分の顔の周囲だけで飽和している。外に出ていない。一音も。
ドローンの速度が安定した。歩行よりやや遅い、一定の移動速度。ヴァルターの体は仰向きに近い角度で傾き、足先がわずかに前方を向いていた。視界には灰色の空があった。夜明け直後の、色の薄い空。惑星の朝が、何の感慨もなく始まっていた。
横目で地面を見た。スクラップの残骸が流れていく。壊れたパネル、曲がった鉄骨、用途不明の筒状の部品。廃棄機械の群れが規則的に並んでいるのが見えた。整列している。誰かが——何かが——この荒野を区画ごとに整理していた。
やがて、視界の端に金属の帯が現れた。
幅はヴァルターの肩幅よりやや広い。地面から腰の高さほどに設置された、平坦なベルトコンベアだった。表面に細かな凹凸があり、搬送物が滑り落ちないよう加工されている。コンベアはプラントの外壁——巨大な、苔と錆に覆われた構造物の基部——に沿って、緩やかなカーブを描きながら延びていた。
ドローンがコンベアの上空で停止した。
四本のアームが同時に吸着を解除した。
落下。わずか三十センチほどの距離だったが、防護パックに包まれた体は受け身を取れなかった。背中がコンベアの表面に当たり、鈍い衝撃が脊椎に伝わった。頭が跳ねた。後頭部がコンベアに打ちつけられ——透明な素材のクッション性が、わずかに衝撃を吸収した。痛みはあった。だが損傷するほどではない。
ドローンが離れた。四基は何の関心もなく上昇し、スクラップ原野の彼方へ散っていった。次の業務に移ったのだ。ヴァルターは既に処理済みの対象であり、もう見る必要がないのだった。
コンベアが動き始めた。
低い機械音。振動がパックの外殻を通じて全身に伝わってきた。一定のリズム。止まらない、加速しない、変化しない搬送速度。ヴァルターの体が、ゆっくりとプラント外壁に沿って移動を始めた。
仰向けのまま、空を見ていた。灰色が薄い橙に変わり始めている。この惑星の太陽が昇りつつあるのだろう。光が外壁の上端を白く照らし、その境界線がヴァルターの視界を横切っていった。
首を右に向けた。外壁の表面が至近距離を流れている。古い金属。接合部の溶接跡。パイプの束が壁面に沿って走り、一定間隔で分岐していた。これが古代の施設だということは理解していた。報告書で読んだ。古代文明級のエネルギー反応。制圧すれば数十年分の昇進に値する発見。——それが、自分がここに来た理由だった。
今、その施設のゴミ回収ラインに載せられている。
「——ふざけるな」
声は、透明な壁に阻まれて反響した。自分の息が顔に返ってくる。温かい。不快だった。
首を左に向けた。スクラップ原野が遠ざかっていく。着陸した旧式脱出ポッドの姿は既に見えない。コンベアのカーブが視線を遮っていた。アルトマンの姿も。あの副官がどうなったか——考える余裕がなかった。自分の体が止まらないベルトの上で運ばれ続けているという事実が、思考の全てを占めていた。
コンベアが外壁の角を曲がった。
視界が変わった。プラントの外壁が途切れ、ガラスの壁面が現れた。極厚の、やや青みがかった透明な板。防音ガラスだった。表面に微細な傷がいくつかあるが、透過性は高い。奥が見える。
工房だった。
天井の高い、広い空間。壁際に工具棚が並び、中央にはワークベンチが据えられている。配管が天井を這い、排気ダクトが壁面に取り付けられている。床には金属の削りくずが散っている。——散らかっているのではない、と、ヴァルターの中で何かが気づいた。散らかっているのではなく、使われているのだ。全てが手の届く位置にあり、全てが最後に使われた場所に置かれている。それは整頓ではなく、ひとりの人間の動線がそのまま空間に焼き付いた痕跡だった。
そして——そこに、人影があった。
背中が見えた。
作業台に向かって座っている男の背中。少し前かがみで、肩は力んでいない。腕が動いている。右手が何かを持ち、左手が対象を支えている。丁寧な動作だった。速度よりも正確さを優先した、一つ一つの動きに迷いがない手つき。
クラウスだった。
ヴァルターの喉が鳴った。声にならない音だった。
クラウスの頭部には分厚い半透明のバイザーが装着されていた。顔面の全域を覆い、側頭部まで回り込む耐圧仕様。その上から、さらに大型のイヤーマフが耳を完全に覆っている。重作業用。金属加工や高圧洗浄の際に使う、完全遮音の防護具。
クラウスの目は見えなかった。バイザーの角度と工房内の照明の関係で、ガラス越しのヴァルターからはバイザーの表面が淡く反射しているだけだった。だがクラウスの顔が向いている方向は判った。正面。目の前の作業台の上。ガラスの方ではない。
クラウスの右手に、短い筒状の器具が握られていた。冷却スプレーではない。もっと小さい。先端に布のようなものが巻かれていて、その先端が微かに湿っている。クラウスはそれを、作業台の上にある何かの表面に——極めてゆっくりと——押し当てていた。
何に触れているのかは、ヴァルターの角度からは見えなかった。
クラウスの肩が少し動いた。筒を持ち上げ、先端の布を取り替えている。反対の手で、手元の浅い容器から新しい布片を取り、筒の先に巻き付ける。容器には液体が入っているらしかった。布片が濡れている。冷却剤か何かだろう。
その所作の一つ一つが、丁寧だった。
ヴァルターは知っていた。あの手の動きを。追放宣告の前、クラウスが格納庫で旧式機体の整備をしていたときに見た、あの手つきと同じだった。何時間でも同じ精度を保てる指。焦らず、急がず、対象から目を離さない集中。他の全てを遮断し、手元にだけ意識を注ぎ込む職人の没入。
あのときは、それを「非効率」と呼んだ。
「——クラウス」
防護パックの中で叫んだ。声が顔の周囲で跳ね返り、鼓膜を叩いた。自分の声だけが、際限なく自分に返ってくる。
「クラウス! こっちを見ろ!」
首を振った。パックの中で、唯一自由な首を限界まで左右に動かした。ガラスに向けて。ガラスの向こうの、あの背中に向けて。
クラウスは動かなかった。
右手の筒を下ろし、作業台の上に視線を落としたまま、左手で何かの表面をそっと確かめるように触れた。指先の動きが繊細だった。温度を測っているのか、質感を確認しているのか。その指が止まり、クラウスの肩の角度がわずかに変わった。——安堵。その姿勢は、安堵だった。確認したものの結果が、望んでいた方向にあったのだろう。クラウスの背中から、ほんの少しだけ力が抜けた。
それから、クラウスは振り返らずに筒をワークベンチの端に置き、別の工具を手に取った。小さなペンライト。光が対象物の表面を横切るのが、ガラス越しにもかすかに見えた。検査しているのだ。何かの表面状態を、光の反射角で確認している。
ヴァルターは、コンベアに仰向けに横たわったまま、その光景を見ていた。
防音ガラスは、工房の内部の音を一切通さなかった。クラウスの呼吸も、工具が台に当たる音も、何も聞こえない。完全な無音。ヴァルターの耳に届くのは、コンベアの低い駆動音と、自分の呼吸だけだった。
防護パックは、ヴァルターの叫びを工房に届けなかった。外部に漏れる音はない。仮に漏れたとしても、防音ガラスが遮断する。仮にガラスを通過したとしても、クラウスのイヤーマフが遮断する。仮にイヤーマフを通過したとしても、クラウスの意識は目の前の対象に完全に没入している。
四重の壁だった。
その壁は、ヴァルターを排除するために設計されたのではなかった。クラウスが日常の作業をするために、自分自身のために身に付けた防護具と、この施設が元々備えていた構造が、結果として——ただの結果として——ヴァルター・グレイヴという人間を完全に遮断していた。
悪意ではなかった。
意図ですらなかった。
コンベアが進む。ヴァルターの体がガラスの前を横切っていく。
クラウスがペンライトを消した。工具を置いた。両手をゆっくりと開き、指を一本ずつ伸ばした。長時間の精密作業で強張った指をほぐす動作。それから左手を作業台の上に伸ばし、対象物の傍に添えた。触れてはいない。触れる直前で止めている。その距離の取り方に、ヴァルターが名前をつけることのできない感情が滲んでいた。
クラウスの横顔が、一瞬だけ見えた。
コンベアの移動角度とガラスの反射が偶然重なり、バイザーの内側のクラウスの表情がヴァルターの視界に入った。
真剣だった。眉間にわずかな皺。唇は閉じている。目は——見えた。対象を見つめる目。それは評価の目ではなかった。査定でも、計算でもなかった。あの目は、壊れかけた何かが壊れないよう祈りながら手を動かしている人間の目だった。
同時に——穏やかだった。恐怖はない。焦りも薄い。対象の状態が改善に向かっていることへの、静かな、深い安心がある。手元のものを「大切にしている」という感情が、横顔の全体に刻まれていた。
ヴァルターは、あの表情を見たことがなかった。
クラウスが艦隊に所属していた頃、格納庫の片隅で旧式機体に向き合っていたとき——あのときにも似た集中はあった。だが、あれはもっと孤独だった。誰にも理解されないと知っている人間の、閉じた没入だった。今のクラウスの顔には、それがない。孤独が消えている。代わりに、目の前の何かと「繋がっている」ことへの確信があった。
その確信が、ヴァルターの胸の中で、何かを折った。
クラウスは自分を無視しているのではない。
自分が、クラウスの世界に存在しないのだ。
追放した。辺境に捨てた。「二度と表舞台に立つな」と言い渡した。——そして、あの男はその通りにした。表舞台を捨てた。権威を捨てた。出世も政治も捨てた。この荒れ果てた惑星の、この工房の中に閉じこもり、壊れた機械を直すことだけに没頭した。ヴァルター・グレイヴという名前は、クラウスの記憶の中で何の重みも持っていない。恨みすらない。怒りすらない。あの男は、追放した側の人間のことを考える時間があるなら、その時間を一本のボルトの研磨に使う。
それが分かった。
分かってしまった。
コンベアが進む。ガラスの視界が狭まっていく。クラウスの背中が視野の端に移動し、工房の壁が代わりに流れてきた。
ヴァルターは叫ばなかった。
叫ぶ相手がいなかった。正確には——叫びを届ける価値のある相手が、自分のことを一切認識していない、という事実に、声帯が反応しなくなっていた。国家艦隊の指揮官として部下に命令を下すとき、議場で弁論を展開するとき、上層部に報告を上げるとき——声とは常に「聞く者がいるから発するもの」だった。聞く者がいない場所で声を出すことは、ヴァルターの人生に一度もなかった。
目だけが動いていた。ガラスの端が視界から消え、再びプラントの外壁が現れた。コンベアは角を曲がり、建物の内側へ向かう経路に入った。天井が頭上に被さってきた。照明が切り替わる。屋外の薄い朝日から、蛍光灯の白い光へ。
コンベアの先に、大きな開口部があった。
金属製のフレームに囲まれた矩形の口。幅はコンベアと同じ。高さは人間ひとりが仰向けで通過できる程度。奥は暗い。
ゴミ分別機の投入口だった。
コンベアの速度は変わらなかった。同じリズム。同じ振動。一秒ごとに、投入口が近づいてくる。
投入口の手前で、コンベアが一度停止した。
スキャン光がヴァルターの全身を走査した。赤い線が頭から足先まで移動し、戻り、もう一度移動した。
投入口の上端に、小さな表示パネルが埋め込まれていた。仰向けのヴァルターの視界に、ちょうど正面から入る位置。パネルが点灯し、文字が一行ずつ表示された。
《搬入物識別完了》
《分類:有機物——未登録》
《亜分類:有害廃棄物》
《リサイクル適性:なし》
文字が消え、一拍の暗転の後に、新しい表示が浮かんだ。
《有害廃棄物の分別完了。恒久処分待機列に追加します》
コンベアが再び動いた。ヴァルターの体が投入口に吸い込まれていく。頭上の照明が途切れた。天井が低くなり、金属の壁が左右から迫った。暗い。狭い。コンベアの振動だけが体に伝わっている。
内部で、別のアームが動いた。ヴァルターの体が持ち上げられ、コンベアから外された。頭の側が上へ引き起こされ、足先が下がっていく。仰向けだった体がゆっくりと垂直に立てられた。防護パックの中で内臓が下方へずれる感覚があった。全体重が足裏に集中し、膝が伸びきった状態で固定された。
正面に、円筒形の容器が口を開けていた。
カプセルだった。人体をひとつ収納する大きさの、縦長の密閉容器。内壁が淡く発光している。生命維持の表示灯だった。温度管理、酸素供給、衝撃緩衝——全てが自動で起動していた。長期保存を前提とした設計。自分がこれから入れられる場所だった。
アームが、ヴァルターの体を回した。
足元を軸に、ゆっくりと半回転。正面のカプセルが右へ流れていく。配管の走る側壁が目の前を横切り、左から分別機内部の暗い通路が現れた。百八十度。回転が止まった。カプセルは、今や背中の側にある。
アームがヴァルターの体を後方へ引いた。
背中から、開口部を通ってカプセルの中に引き込まれていく。肩甲骨が硬い曲面に当たった。腰が、続いて後頭部が、円筒の内側に沿って収まった。足先が底に触れた。腕は体に沿って密着したままだった。
正面——カプセルの開口部の向こう側に、分別機内部の薄暗い空間が見えていた。
蓋が閉まり始めた。
弧を描いて、ヴァルターの視界を狭めていく金属の壁。薄暗い分別機内部の光が細い線になり、やがて——消えた。
密閉。
完全な暗闇ではなかった。生命維持の表示灯が、カプセルの内壁にぼんやりとした青い光を落としている。ヴァルターの顔が、その光に照らされていた。
静寂だった。コンベアの振動も、スキャン光も、全てが遮断されていた。カプセルの内部は恒温で、空気は清浄で、生命に必要な全てが供給されている。
殺されてはいない。
傷ひとつつけられていない。
ただ——国家艦隊の指揮官だった男が、リサイクル不可能な有害廃棄物として分別され、恒久処分の順番を待つ列に追加された。
カプセルの中で、ヴァルターは目の前の蓋の内面を見つめていた。目は開いている。声は出ていなかった。
ガラスの向こうで見た、あの横顔が残っていた。壊れかけた何かをいつくしむ、あの目。あの指先。あの、孤独を手放した職人の穏やかさ。
自分が人生を賭けて築いたもの——地位、権威、支配権、他者の畏怖——その全てが、あの男の視界に一度も映らなかった。映る価値がなかったのではない。映る機会すらなかった。クラウスの目は最初から、ヴァルターが見ようともしなかったものだけを見つめていた。
青い光が、微動だにしないヴァルターの顔を照らし続けていた。




