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オリツセカイコウの祓い 蛇王キシャルの禊



「わたくしに奇跡を授けて下さい」


屋敷の庭園を埋め尽くす程の、巨大な白蛇が私に言った。

綺麗できめ細かい鱗が、りんりんと月夜に輝く、真に美しい存在だ。



「キシャル、あなたとは、まだお別れしたくないの」

ハナオカ ミコトは、頭部だけでも、私より遙に大きいその白蛇を見上げて言う。

もし、あの天にある満月が意思を持っていたら、私のような少女に、白銀の蛇王が頭を下げる、こんな光景なんて笑って見ているだろう。


「姫様、わたくしは十分幸せでした。あなたがまだ赤子の頃から、現在の、浄域を司る巫女姫となるまで、お傍で見守らせて頂いた事は、どんな戦の勝利より名誉な事でしょう」


キシャルは、いつか科学館で見た、プラネタリウムの装置みたいな不思議な目をゆっくり閉じて、愛しいと言うように、すり寄ってきた。

近くで見る、キシャルの鱗一枚は、私の顔ぐらいの大きさだ。

白瑪瑙石みたいにツルツルしてて、とても美しい。


「本当に、私がおむつしてギャーギャー泣いてる赤ちゃんの頃から傍にいてくれたの?」

私は、キシャルの瞳に向けて身を乗り出す。

その瞳には、灰桜色の髪の蒼白の少女が映っている。

今はキシャルに、どんな風に見えているのかしら。


「はい。あなたのお母様と同じように、赤子の頃から、ちゃんと姫様を見ておりましたよ。それはとても可愛らしく、私とお母様はいつも笑わせて頂いておりました」

お母様とキシャル仲良かったもんね……

そう言えば、お母様がいなくなっちゃた時、キシャルはずっと私の傍にいてくれたわ。


「ありがとうキシャル。あなたがいてくれて、寂しいのがマシって思える日が沢山あったわ」

キシャルは私を見つめる。

きっと、お母様と同じの、私の目を見ているのだろう。

三白眼の淡紫の瞳。


少し、時が止まる。

巨大な庭園を駆け巡る悪戯な山風が、私の白いワンピースを切なく揺らした。


「滅相も御座いません。姫様程にお強く、可愛らしいお方と共に、穏やかな時間を過ごせた事に、心より感謝しております」


「大袈裟ね」

私は、今までの悪戯を思い出して、ふふっと笑う。

結構、迷惑かけてきたかも。

ごめんね。

本当にありがとうね。


「元より、オリツセカイコウ大神に仕えていたわたくし、あの方の"めい"で、姫様に仕えた身ですが、今になりやっとその"めいの意味"が分かった気がします。今回の私の申し出は、それを成し遂げる為に仕方の無い事と思って頂ければ幸いで御座います」



"オリツセカイコウ"……


花岡家当主の私と盟約を結ぶ、三の存在の内の、一存在。

とても不思議な神様。

私に溢れ出す、浄化を務めようとする心は、きっとこの存在の影響が大きいだろう。



他の二存在は、また別の影響を私にもたらしている。



"魔女シビャク"は、私の中で絶対的な力こそが全てと主張し、力をみなぎらせてくる。

これも私には必須の要素で、私にその力が無ければ、きっと遠くの昔に、戦いに敗れ何処かで果てていただろう。

最近、その魔女シビャクは、私の中でシスイを物凄く渇望している。



十の頭を持つ蛇竜、"トクトーロガミ"に関しては、よく分からないのだけれど、一番私に似ている。

一番派手な見た目をしているのだけれど、調律を司る存在として、私の心の混沌に均衡をもたらしてくれる、無くてはならない存在だ。







「正直言えば、反対よ。もっと一緒にいたいもの。私が死ぬまで傍で見続けて欲しいもの。でも、散々お世話になって来たから、恩返しもしたい……あたし、どうしたらいいキシャル?」

キシャルに聞く話でもないよね。


キシャルは大きな体で庭園を這いずり、その中心に私を収める。

外部から見れば、モンスターパニック映画さながらだろうが、私にとっては、母の抱擁に似たものだ。



「世の為を想うのであれば、オリツセカイコウ大神の祓いの儀で、わたくしの心を浄化して下さい。そして"本来のわたくしの姿"に戻る事が出来れば、きっとこれからの世で、姫様や、御友人、この地に住まう弱き者の為になれるでしょう。私は、今こそその時であると、縁を鱗にヒシヒシと感じます」


世の為か……


キシャルだけではなく、太古からこの地に住まう他の存在達も、気持ちが騒めいてる感じが、ちょっとするわね。


シェアプリズムのメンバーが言ってた、女神ゾアリアと関係しているのかしら……


もしかしたら、あらゆる妖魔がキシャルみたいに、本来の力に戻して欲しいとせがんでくるかもしれない。

私は、限られた妖魔にしかそうする気は無いのだけれど。

オリツセカイコウにしても、条件を満たした存在相手にしか顕現はしないけど。


オリツセカイコウは、奇跡の力を配る存在。

いえ、強大な祓いによって、相手の心を浄化し、その存在が本来持っていた力を発揮させる存在。禊の手伝いをしてくれる存在。

大概の存在は足して強くなると思いがちだが、余計なモノを削ぎ落してこそ、その存在のレベルというモノは上がるのだ。


「キシャルわかったわ。でも、約束して。幾ら強大な力を手に入れても、あなたはあなたのままでいてね?私からすれば、あなたは既に祓いがあまり必要無い程に、優しいと存在だと思っているぐらいだから」

禊が必要無い存在などいないとは思うが、私はキシャルが変わって欲しくなくてそう言った。



「姫様、忘れませんとも。あなたと過ごした愛しき日々を忘れるなんて事は、恐らく輪廻転生しようとも出来ません。私に怒りが沸いた時、姫様が無邪気に笑う顔が、いつだって浮かび、心が澄み渡るのです。私は、この心地良い気持ちを忘れる事などできないでしょう」

キシャルは、大きな口角を上げて笑う。

キシャルの笑顔は昔から大好きだ。



「キシャル……」

私は、キシャルの体に寄りかかる。


「姫様」

我が子のように大切に、私に寄り添うキシャル。


「最後に良い?」

私は見上げて、呟く。


「ええ」

キシャルは、体に月明かりを反射させ頷いた。



……



「舌の上に乗せて?あれ、ひんやりして気持ちいの」



……



「それは、ちょっと……」


「冗談よ。ふふっ」


キシャルのその時の表情は、「その笑顔です、姫様」という風だった。



「じゃあ、待ち遠しいみたいだから、始めるわね……怖くは無い?」


「はい、恐れは御座いません。この身、御前に捧げます」


「わかったわ」


私は、キシャルに下がってめいじ、伏礼をとる格好をさせた――







険しい山に佇む私の屋敷、一つの学校が入りそうなくらい、巨大な庭園――

青深い夜空には、ほんのり輝く優しい満月と、チカチカと穏やかに主張する無数の星達。

遠くを見れば、静かに息をしている海までも見える。

そんなこの場所で、今、私は、浄化の儀を行おうとしている。



私は、地に座禅する――



そして、心の内で喋った。



(オリツセカイコウ大神様。恐らく、全部聞いてくれてたよね?ううん、あなたの方が今までキシャルを見てくれていたわよね?キシャルは貴方の祓いを受ける権利があると私は思うから、今、あなたを顕現したいの。もし、キシャルが上の位に繋がる縁が整っているなら、少しでもそう感じるのなら、お願いします、協力してあげて下さい。私はいつだって、御前様の無垢な判断を心から信じております)



「偉大なる祓いの大神オリツセカイコウ、清き御方よ。御前の祓いの行、彼の者にどうか授け給へ。これにて彼の者が、無数の存在を救う因を得て、あらゆる者から拝礼される果を結び、その恩を、理解出来ぬほどの、皆から集まりし善業の連鎖による徳で、御前に返すであろう。そしてその奇跡は再び繰り返されるであろう。その縁を、今一度、ここで顕現したまえ」


私が目を閉じて、そう唱えている内に、瞼の裏は昼間の様な明るさを感じていた。



私はそっと目を開ける……



そこは――



清らかで静かな海に浮かぶ、孤島の神社だった。

非常に広い円形の砂地、島と海の区切りは、巨大な杭が等間隔に並び、そこにしめ縄が連なって巻き付けられ、さらに紙垂が無数にぶら下がっている。

私とキシャルは、その島の真ん中に位置し、後ろを見ると、荒々しくも荘厳な気配の原生林の聖樹をそのまま生かした朱色の鳥居があり、前には、ただただ広く、静かで清潔な、伽藍とした本殿がある。

場所ではあるが、同時に清らかなる存在と感じる。

ただの認識では割り切れない雰囲気だ。



――オリツセカイコウ大神という、祓いの空間なる存在が顕現された――



私は深く息を吸った――

醜いモノなど一切目に入らず、鼻孔には非常に澄んだ空気が流れ込む。

私は理解した。

やはり、もっと安寧な世界や感覚が、私が知らないだけで無数にあるのだと。

過去の私は、同じこの場所に来ても気がつけなかった事を考えると、

やはり今の私は、少しは成長出来ているのかもしれない。




「あぁ、姫様。ありがとうございます。この安堵の感覚、涙が出る程に懐かしい」

キシャルはそう言い、大きな瞳からボタボタと、砂の地面に涙を落としている。


「うまくいったみたいだね。すごく良い場所だわ。とても満たされる気持ちになる」

私は、この島の巫女のように、慣れたような足取りで歩き回る。


「はい、真に美しい場所で御座います。姫様は、存じ上げないかと思いますが、

わたくしの故郷は、実はこの場所なのです。ここで生まれ、ここで育ち、その後、あらゆる世界を巡りました。生まれた当初は、姫様の手に乗る程の、子蛇だったのですよ」

海を見ながら、想い出話を語るキシャル。


「そうだったんだ、すごく意外だわ!だから、オリツセカイコウに仕えていたわけね。ふーん……そう言う事だったんだ。というか、キシャルも赤ちゃんだった頃あるんだ。当たり前か。赤ちゃん蛇って、かわいい」


「ええ、姫様と同じく。泣いてばかりの赤子でしたよ」

私とキシャルは顔を見合わせて笑い合う。


今回の祓いの儀は、起こるべくして起こったのかもね。

キシャルが生まれた時から因が既にあって、それがあらゆる縁の巡りで、上手く熟したのかな……


「小さき頃のわたくしには、この場所が無限に思えていました」

キシャルは想い出を辿る様に喋る。


「わかる。小さい時ってそうよね」

私は、お母様を腕の中を思い出していた。


「穢れの少なかった時期を思い出し、心が澄んできたようです……」

キシャルは、少し眠そうになる。


「それは、この場の影響よ。もう、何もする必要は無いわ。ただこの浄化の場に身を任せて、浮かんでくる事に、反省とか、感謝でもなんでも思うようにすればいいの、

きっと導いてくれるわ。一つアドバイスがあるとしたら、個でなく全体で考えて、我欲が薄れるから」

私は、特に誰に聞いたわけでも無く、過去の自分の体感から、この場との接し方をキシャルに話した。


「左様でございますか。では、そのようにさせて頂きます。少々、瞑想で内に入りますが、お許しください」

キシャルはそう言って、まっさらな砂地の上で、眠りにつくように安定した態勢をとった。


「いいえ、思う存分ゆっくりしなさい」

キシャルからの返事は無く、既に深い境地に入ったと理解した。


私は、ぶらりと神社内を歩く。

本殿には入らない。

というか、入るのは恐れ多い。

私の様な、欲念がまだ多い状態の存在が、入っていいものだと思えないから。



私は、遠目に本殿を覗いたり、しめ縄のあたりを歩き、海を眺めて見たりした。

過去の事が沸々と浮かんできたりもしたが、敢えて、どうだったとか、こうすればよかったなど、考えずに、今、目の前のこの美しい世界を視ていた。


異形。


私達は、自分の世界に現れた、怖い見た目の存在や、恐ろしい能力の存在をそう呼ぶが、結局の所、異形というその言葉や、自己の勝手な思い込みに、縛れているだけなのかもしれない。


心地よい感覚に身を任せて思考を静かにしていると、ふと、そんな気づきがもたらされる。



……


そろそろかしら?


キシャルの気配が変わったわ。


キシャルの白銀の鱗が、きらきらと眩い閃光を発している。

それは段々と強くなり、光の卵や繭という風な形となった。


とても大きな卵を目の前で見るのは、ちょっと可愛い。


それらは次第に、殻が割れるように剥がれていく。

まるで、キシャルにあった穢れた面や、深い欲望が、あっさりと崩れ落ちるみたいに。


中から、新たな存在が見え始めた。

やっぱりそうか。

幽体だ。肉体を持たない存在。

自然に宿るような、無垢な神様のような存在。


でも、薄っすら影が見える。

それは、羽の無い白銀の竜で、透明な鱗は、全てを照らす太陽の陽射しには、まだその姿を隠せまいかのように虹色に輝いてる。


完全に殻は崩れ、虹色の透明な竜は伸びをするように、とぐろを崩し、上空にほどけて行った。

キラリキラリと光る清らかな粉塵を、虚空に満ち溢れさせて、解放されたように小さく唸った。


(オリツセカイコウ、ありがとう。キシャルかっこよくなったね)


次の瞬間――


本殿から不意に、何か声が聞こえた様な気がして、目を向けてみたけれど、

その時にはもう、私の屋敷に変わっていて、私は、元の世界の庭園に返されていた。


星が瞬く、深青の夜の上空に、満月を反射させた虹色の大きな影が、流星のように浮かんでいる。


「バイバイ、キシャル」


上空から、軽い唸り声が聞こえた。


私は俯く。


でも、もう見ない。きっと寂しくなっちゃうから。


私は、キシャルとの思い出を振り返りながら屋敷に戻る。


なんだか少し寒くなったみたい。


何かがユラユラと、私の前に落ちてくる。


私は、おぼろげな瞳と少し濡れたまつ毛で、それを見る。


私の顔程の白銀の鱗だ。


キシャルの鱗……


私は手に取って、それをよく見た。


そこには……


赤い小さな手形がポンッと押してあり、その横に、同じく赤で、とても下手っぴな蛇の顔の絵が描かれていた。

その絵の蛇は、おかしなくらい嬉しそうに笑っていた。


「キシャルーーー!!!」


私を優しく包む空には、何度でも願いを唱えられるくらい、長く輝き続ける、一筋の流星が走っていた。

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