06.帝都探索
「トミさん、ご馳走様でした。」
そう言うと、トミさんはにっこりと笑って頷いた。
ここは帝都に用意してもらった下宿の居間。年季の入った、けれどよく手入れのされた居心地のいい文化住宅で、二階建ての母屋は後から改装でもしたのか、伝統的な和様の木造建築を元に、洋風の大きな客間や陶瓦張りの綺麗な浴槽が設えてあった。周囲を広めに瓦付きの塀で囲んで、石蔵に車庫に小さな庭池には鯉が泳ぎ、だだっ広い庭まで付いている。自分のような庶民には気後れするような、立派で静かな家だ。僕は離れの一室に居候させてもらっている。
家主のトミさんは、小柄で穏やかな可愛らしい年配のご婦人で、通いのお手伝いさんを除けばお一人でこの家を切り盛りしているらしい。
今は僕一人だけど、多い時で二、三人学生の世話をすることもあるそうだ。
あの後、帝都に戻り報告を済ませた僕らは、各々でしばらく忙しい日々を過ごしている。
持ち帰ったイタチはやっぱり魔力を持っていて、大層喜ばれた。でも、あの少年の言っていた「ヤグイ」という単語のほうはやっぱり誰も意味が分からないらしくて、今後そちらにも捜査の目が向けられるだろうとのことだ。
足立君はそのあたりの調査や関係部署への引き継ぎにしばらく手が離せないみたいで、僕のほうも、戻ってくると引っ越しや個別学習の手配ができていたこともあって、少しばたばたとしている。
学習を見てくれる先生には何度かお会いして、今後は週に二、三日の授業と、そのたびに自主学習用の課題を用意すると説明を受けた。と言っても、今回のように実修で留守にすることもあるから予定は不規則になってしまうだろうけど。
学園は一般の普通学校と同じ、十五歳から十八歳までの四年制。普通学校でも扱っていた一般学問と、より専門的な近代史、法学問、政治、魔術の座学・実践訓練などが新しく増える内容で、来年度から皆に混じって通えるように、遅れを取り戻すべく大量の教本を手渡された。「これから半年で、学園に混じっても落ちこぼれない程度に鍛えてやろう」などと恐ろしい顔で宣言され、少し不安が募る。
魔術に至ってはまだ扱える兆しすら無いんだけどな……。
「(『手がかりが欲しい』なんてあやふやな言い方じゃなくて、もっと分かりやすい言い方をすればよかったかも……)」
そんなことを、戻ってからずっとぼんやりと考えてしまう。”その男が注射器を持ってないか確認させて”、とか? いや、後ろから応援が来ていたし、彼も逃げたそうだったし、そんな時間は無かったか。だけどあんな聞き方じゃあ、『ヤグイの生き残りを探せ』というのが捜査に対しての助言なのか、治療に対しての助言なのかすら分からない。
蘆見沢で少しづつ増えていた魔力は、どういうわけか帝都に戻ってからぱったりと変化しなくなった。医局の先生が言うには「上限まで回復したのでは? 使って消費してみれば回復の具合で詳しいことが分かりそうだけど……」とのことだ。
だけど例の異能の使い方は以前分からず、手詰まりだった。父たちも目を覚ますことも無く、焦燥ばかりが募る。
母への手紙に添えようと、今日は足立君に話を聞いた学生街まで遠出をして、土産物を見繕おうと電車に乗り込んだ。
先を考えればあまり無駄遣いは出来ないのだけど、どちらにせよ、父と共に眠っている二人のご家族にも見舞いの品が必要だろうから。
帝都は、一部が本島と浅瀬でつながる陸繋島で、徒歩では一日掛けても横断できないほど大きな都だ。路面電車の窓から見える街の景色が、大した速度は出ていないのに目まぐるしく移り変わっていく。
この大帝都は皇帝の坐す非時宮を最南端に、華族の御屋敷町から、異国風の高層建築が立ち並ぶ最先端の目抜き通り、昔ながらの情緒が残る旧市街に、ちょっと近寄りがたい歓楽街と、区画々々で別の街のように色が変わるありさまで、案内が無ければ途方に暮れていただろうなと思う。
学生街は、帝都の子供たちが通う普通学校、その中でも規模が大きく幾つかの学部や大学まで揃っている学園の周囲に、学生客や教員、研究職のお客さんを見込んだ古本屋街、それに文具店や純喫茶に買い食いの出店など、比較的安価な店舗が犇めく若者の街だそうだ。
前払いの路面電車からトンと降り立つと、揃いの服を着た学生さんたちがやんやと騒ぎながら目の前を通り過ぎていく。
平日の昼下がり、人によってはもう放課後だろうか、入り組んだ路地が人波で溢れていた。
必要なものはお土産、日持ちのするお茶菓子とかかな、あとは細かな日用品をいくつか揃えないと……。たしか寮がある関係で、学園の近くに日用品屋が揃ってるんだったか。人の波を辿れば方向は簡単に予想がついて、必要なものを買い足し次は土産物、と丁度いいものを探しながら町をぶらつく。
一等地から少し路地に入れば、”学者通り”なんてあだ名で呼ばれるのも頷けるほど、沢山の個性豊かな本屋がぎっちりと並んでいる。文学、学問、宗教、芸術、そして魔術に魔獣の関連書籍……店舗ごとに専門分野が分かれたりしていて、それでも一つの分野で店一つ埋め尽くしてしまうほど品が揃っているらしく、まるで街全体が、よく分類整理された巨大な図書館のようだった。
合間々々にときおり見える純喫茶の窓にも、戦利品を積み上げて悦に入っている者、珈琲もほったらかしで本を開いている者、同じ制服同士で本を囲み何やら白熱している者……まさに、”本の街”だ。
場の空気に当てられて、どうしてもわくわくと浮ついてしまう。無駄遣いはしない、無駄遣いはしない……。自分に言い聞かせていないと不安になるほど、目に入る本が魅力的に見える。
魔法使伝記の翻訳本、異境の地図に紀行文、美しい魔物の意匠が施された異国文字の渡来品、地元では市に並ぶ商品なんて一期一会だったから、どうしてもこれっきり出会えないかもと思ってしまって……。ああ、深部の魔物の写生画集!
「(うわぁすごい、なんて写実的な手彩色だろう。ベタ刷りの大量生産品とは全然違う……)」
職人さんが手作業で色を載せたのだろう、毛並みの硬さまで想像できる精密画は絵画のように美しかった。
値段を見ると、大人の数年分の給金が軽く吹き飛んでしまうほど高い。さすがに真顔になって、キラキラと飾られた陳列窓から身を離す。
頭が冷えた。早く用事を済ませよう。
ただ、若者の街だからなのか、見渡しても本屋を除けば手ごろな値段の店ばかりだ。さすがに、見舞いの品はちゃんとした品物じゃなきゃまずいはず……。
ウロウロと見て回るうち、一軒の変わった小物屋を見つけた。ごちゃごちゃと店先に並ぶ使い道のよく分からない機械はどちらかと言えばチープな印象で、いい手土産は売っていそうに無いんだけど……。
「(銅之口魔道具店…………魔道具!)」
見るだけ、見るだけだから! 誰に言い訳するでもなく心の中で唱えながら、入口の両脇に積み上がった荷物を崩さないよう、そっと戸を引いた。
鰻の寝床のような細長い店内に、天井まで届きそうな陳列棚に乗せられるだけ乗せましたよと言うように商品が並んでいて、圧迫感がむしろワクワクと背中を押す。一応は学生受けを意識しているのか、目につきやすい高さには手ごろな装飾品や文房具が並べられているけれど、見上げれば何に使うかも分からないメーター類や、箱に仕舞われたまんま埃をかぶっている紙箱なんかが、棚からせり出すように積み上がっている。
「(帝都ともなれば、こんなに気軽に魔道具が買えるんだなぁ……)」
インクの色が変わる万年筆、髪に照り艶を与える輝く簪、嘘で色が変わる眼鏡――ホントだろうか? 役に立ちそうな物から意味は無いけど楽しい物まで、見ているだけで面白い。
「(おや、これは……)」
目についた……というより目につくよう飾り立てられた一角に、”蓄魔器”と書かれた商品が広告と一緒に陳列されていた。
――なんでも、その名の通り魔力を蓄える魔道具らしい。蓄えたものを吸い出して使うには専用の設備が必要で、個人で活用するのは難しいけれど、充填して売り戻せば元の値段に足して魔力分の色を付けて買い取ってくれるらしい。要するに、学生向けのお小遣い稼ぎなのだろう。帝都には魔術師を育成する学校も集まっているそうだから。
商品を見ると、白く濁った大ぶりの石が、指輪や孔飾などの肌に身に着ける装飾品のような魔道具に固定されている。時間をかけて装着者からじわじわと魔力を吸い出すらしい。時間をかけて、というのは安全対策の為だろうか?
魔力、魔力かぁ。ふと、お医者さんの言葉が頭の中でよみがえった。魔力を消費してみれば、何か分かるかもしれないんだっけ。
そうたいした値段でもない、学生向けの値段設定なのだろう。
うーん……相談してからのほうがいいかな、でもあの医者先生なんだかのんびりしていて……
結局、指輪のようになっているものを一つ買ってしまった。早速指に通してみると、金具の付いた根本のほうから、薄っすらと緑がかって色が変わっていくのが微かに分かった。
じわじわと穏やかな変化が、変温石のようだなと思った。
随分歩いて、ようやくそれらしい贈り物を揃えることができた。玉露と羊羹の一揃い、実家には干し李と大陸地図の最新の物を。
用事は済んだけれど停留所から随分離れてしまった。ここからならば行きで降りた駅よりも、北へ行った別の停留所のほうが近いはずだと、適当に歩き出したのがいけなかった。
小さめの店舗がごちゃごちゃと立ち並ぶ街の作りに迷ってしまって、さんざ彷徨った挙句やっと大きな通りに出たと思ったら、ギラギラと輝く繁華街のような場所にいた。
そういえば、学生街は土地代の安い方向へと伸びていった関係から、如何わしい区画と意外に距離が近いのだと、足立君が苦々しく話していたのを思い出す。飲み屋、安宿、何の店かも分からないような、けばけばしい装飾の表構えに客引きをする肩を出した女性達。俗っぽい空気が、場違いな場所に出てしまったと気を焦らせた。
空はそろそろ日も暮れようかという調子で、色とりどりに灯り始めた発光管の下、続々と人々が流れて来ては立ち並ぶ店を値踏みするように、我こそはと主張する照明看板を眺めながら人が波のようになって通り過ぎていく。
そんな人の壁の背景から浮き出るように、同い年位の少女が一人きり、こちらへ背を向けて通路を隔てる鉄柵の上へ所在なさげに腰を掛けていた。
年恰好だけじゃない。後ろ姿だけで、目を引かれずにはいられないような、一種異様な存在感があった。ストンとした輪郭のワンピースから、華奢な脚がすらりと伸びている。すっと緩い曲線を描く滑らかなうなじが、俯いた頭部から真っ直ぐに降りる黒髪に縁取られて、少しくつろいだ襟の下へ消えていた。際どい風景の中で、その一画だけが上品な絵画のように馴染めないでいた。
なんだか場違いに思えて、じっと見つめすぎてしまったのか、少女は徐に振り返るとこちらを確かめて目を丸くした。
「あ」
その声は明らかに、萱見沢で出会ったあの少年のものだった。




