07.おのぼりさんと色町の鴉
少年は悪戯そうに笑うと、ちょいちょいと僕に向かって手招きをした。
いや、少女だったのだろうか? 綺麗な顔で、細身の体つきをしていて、中性的で正直どちらとも言い切れない見目をしていると思う。声の感じは男の子のようだと思ったんだけれど……間違った報告をしてしまったかもしれない。
内心冷や汗をかきながら、招かれるままその人の隣へと腰かけると、彼(彼女?)は何故だかひどく機嫌良さげに笑いながら、僕の腕に手を絡め身を寄せてきた。
一つか二つ年下だろうか、並んでみると頭半分ほど背が低く、絡みついた指は白魚のように細くなめらかで、この細腕でどうやって大の男の首をへし折ったのかと、どこか現実味が無く感じられた。
「こんなとこに出入りしてんの? 人は見かけによらないね」
くすくすと笑う顔が近い。頬が肩に触れそうなほど近づいて、猫のような目が親し気に僕を見上げた。にんまりと吊り上がった形の良い唇が言葉を吐くたびに、吐息に乗って甘い香りがする気さえした。
なぜこんなふうに懐っこい振る舞いをされているのかも分からなくて、混乱した頭で返す言葉を探す。聞きたいこと、聞かなければならないことが沢山あったはずなのだけど、咄嗟に出てきたのは場を繋ぐためのありきたりな言葉だった。
「あの、君の名前を聞いてもいいかな」
「名前? 知らない、好きに呼んだら?」
そう言うと、この人はころりと不機嫌そうに表情を変えて、どこか拗ねたように目線をそらしてしまう。……詮索のような質問はまずかっただろうか、なんだか会話の糸口を外してばかりだ。せっかく再会できたのにまた逃げられてしまっては困ると、慌てて言い繕った。
「好きにといわれても……僕は柊弥って言うんです。柊に弥々と書いて柊弥。君のことは何て呼んだらいいかと思って……」
僕の弁明が通じたのかどうか、この人は「トーヤ……」と口の中で確かめるように言葉を転がした後、気を取り直したように表情を明るくして言った。
「じゃあ、ラオヤァ」
「ラオヤァ?」
うん、と頷いたきりそれ以上の説明は無かった。耳慣れない、異国風の響きだ。確かに隣の国から流れてきたのかもしれない。
考え込もうとした僕の気を引くように、ちょこんと桜貝を乗せたような小さな指先が、するりと腕を撫でながら滑り落ちて柵をつかむ僕の手に絡みついた。
「君は……ラオヤァは魔術師なの?」
絡みついた指先をつい目で追ってしまう。手の甲を覆った素肌の感触が滑らかで、その手の平の柔らかさに、背筋がびしりと固まるような心地がする。指の間から覗く蓄魔の魔道具が目に入って、緊張を誤魔化すように言葉を繋げた。
「さあ? どうして?」
「だって、皆を助けてくれたでしょう? 父なんて酷い怪我だったから、魔術で治療でもして貰ったんじゃなければ助からなかっただろうと思って。
君に助けて貰った後、僕にも魔力と異能が……詳細は分からないんだけど、何か魔術が使えるようになってるはずだって言われたんだ。だけど使い方が全然分からなくて。
父さんたちも目が覚めないし、僕がしっかりしないといけないのに……。君なら、何か分からないかと思って」
ふぅん、と少し考えるそぶりを見せると、その人は僕の顔を覗き込むように身を乗り出し、勝気に跳ねた目元をしならせて、嘲叉猫のように笑った。
「じゃあ、遊んでいきなよ」
じゃあ…………?????
一層近づけられた綺麗な顔に、しゃちほこばって仰け反るけれど、絡め捕られた指が離れない。
逃げるように逸らした視線が周囲の街並みを映して、自分達が猥雑な歓楽街にいるらしいということを、思い出したように自覚した。
そ、そういうことを誘われているんだろうか。いや何で? 流石に勘違い……だと思うけれど。
だけど周囲を見渡せば、女性はみな華やかで露出の多い装いをしていて、道行く男性に声をかけては飲み屋なのか何なのか、建物の中へと連れ立って消えていった。お店の人らしき入口に立っている女性もいれば、きっと辺りにちらほらと一人で立っている綺麗な人たちは、夜鷹と呼ばれる春売りの女性なんだろうと思う。
馴染みが無いからよく分からないけれど、僕らは明らかに不釣り合いに年若い二人で、周囲から見れば浮いているだろうなと、どこか他人事のように思っていたんだけれど……。
この人がここに座っていたのも、ああいうことをするためだったんだろうか。
意図を聞くべきだろうか、でも勘違いだったら失礼すぎる。
もう、どう言葉を返せばいいのかも分からなくて、「きょ、今日はそろそろ帰らないと……」と、しどろもどろに月並みな言い訳を口にした。え~、と不満そうな、だけどどこか甘えるような声で詰られて腕を揺すられる。
熱い耳とうわずった自分の声が情けない、怖じ気づいているのがバレバレだろうけれど、気まずさを誤魔化そうと俯いた隙を突くように、柔らかいものが勢い良く口に押し当てられた。
「だったら今日は一個だけ」
好き勝手して離れていった、濡れた唇をゆっくりとなぞるその人の赤い舌に、金属質な孔飾が唾液に濡れてチラと光る。いよいよ言葉も出ない僕を、揶揄うように笑って言った。
「次に会えたら教えてあげる」
駅ならあっち、と言いながら離した手で指をさす方角に、呆けた頭で操られるように顔を向けると、なるほど人波はあちらから流れてくるし、遠くに案内板のような物も見えた。礼を言おうと振り返ると、あの人はもう霧のように消えていて、あたりを見渡してもついぞ見つけられなかった。
「色仕掛けではないか!!!!」
「しっかりしろ柊弥!!」と肩を揺さぶられて、ぐわんぐわんと天井が揺れている。事の顛末を報告していたのだけど、足立君は先ほどからこんな調子だ。話をしている最中はハラハラと表情を変えながらもグッと堪えて話を促してくれたのだけど、その分語り終えた途端に爆発してしまったみたいだった。
「都会の女に……女……? ええい何でもいい! 垢ぬけた綺麗な顔に逆上せてしまうのは分かるが、お前にまで何かあったら御母堂はどうするのだ! 百歩譲ってお前自身の情報はこの際仕方がないとしても、捜査情報を流したりでもしたら懲罰ものだぞ!!」
額に汗を浮かべながら、なぜか僕よりよっぽど切羽詰まった顔で諭す足立君。そういえば、局の人たちはあの子を連続殺人犯の容疑者として疑っているのだっけ。僕にはどうしてもそう悪い子のようには思えなくて、つい危機感も無く接してしまったけれど、心配をかけてしまって申し訳ないことをした。
「まあまあ足立君」
言うてこの程度なら注意も無いでしょと、先ほどまで横で爆笑をかましていた女性がおざなりに宥めた。
彼女は沫田女史。足立君が以前少し話していた経済犯罪や政治犯を専攻とする研修生で、僕らの同期だ。
実務研修から戻ってきた後、情報の引継ぎの際に僕にも紹介してくれて、以来今日のように授業のある日は三人で昼食を共にすることも多かった。
やっぱりまずかっただろうか。局の人から何かあれば報告するようにと指定された連絡役のトミさんには、祖母ほども歳の離れたご婦人に対してさすがに、あまりにも、話すに忍びない体験であったために、まずいと思いつつ誰にも相談出来ず数日が経過してしまっていた。
「で、一個って結局何のことだったの?」
と、続けて沫田さんに話を促される。何度か共に過ごしただけでも、彼女は自分の興味に正直なところがあるというか、我が道を行く性格なのだろうなということが察せられる。
一転、真面目に話を進めている風に装って、先ほどまでにやにやと上がっていた口角もぐっと引き結んでいるけれど、まだ目が笑っているんだよな……多分隠す気もないのだろう。
「せめて早めに報告をあげてくれ……っ!」と呻いている足立君に謝りつつ、沫田さんに言葉を返した。
「それが分からなくて。結局助言は貰えなかったし、少なくとも持ち物が増えたり減ったりはしていなかったんだけど……」
話しながら数日前の出来事を思い返して、一つふと思い出したことがあった。
「そういえば、魔力の保存用の魔道具に充填していた魔力がすっかりなくなっていたんだよね。安物だったし、まだ少ししか充填できていなかっただろうし、ちょっとした不具合かなって思ったんだけど……」
一拍置いて、「おっ、お前ーっ!!」とまた燃え上がってしまった足立君の勢いに、沫田女史は震えながら机に突っ伏してしまった。
「増えてるね、魔術」
あれよあれよと医局に連れてこられて、最初の襲撃事件の後にも受けたような検査を再び受けた。採血だの測定器だのとこなした先で通された診察室で、ずばりと告げられた。
医師先生の言葉に凄い顔をする足立君の横で、沫田さんがついに耐え切れず音を立てて噴き出した。




