05.再会、そして帰還
一瞬で片が付いた。
危なげもなく、飛び掛かってきたイタチの首根っこを掴んだ足立君が、そのまま一思いに縊り殺したようだった。
こういったことに慣れているのだろうか、流れるような綺麗な手際で、動揺した様子は欠片も無い。
「大きなイタチだね……」
「異常か?」
「ううん、このくらいなら稀に見るよ。形も色もおかしいところは見当たらない。毛艶もよくて、いい毛皮が取れそうだ」
差し出されたイタチの体を検分する。一帯の主でも気取っていそうな、よく育った体格のいいイタチだけれど、ありえないって程の大きさではない。噂に聞く異境の魔物のような異常な発達は見られなかった。
本当に魔物なのだろうか。足立君は、よくこれを見ただけで予想が当たったって分かったな。
「これなら、やっぱり発生したばかりで大して進化していないんじゃないかな」
「そうだといいんだが。子供のほうも確保しておくか」
「生け捕りのほうがいいよね。死んでしまうと徐々に魔力が抜けていくって聞くし……」
「そうだな、事件の犯人を確認できなくなっては意味がない。生きた魔物は帝国では珍しいから、こいつらもそうならいい土産になるだろう」
こいつも早く検査してもらったほうが良いだろうなと、亡き骸を懐から取り出した麻袋にしまうと、もう一枚取り出した袋にイタチの子供を掴み上げて放り込んでいく。手伝おうかと申し出たけれど、「こいつら噛むぞ」と制されてしまった。
みんな捕まえ終えると立ち上がり、もぞもぞと動く麻袋を腰に括り付けた。
「戻るついでに、他にいないか念のため確認しておくか。警戒線を張っている方向へ追い込むように見ていけば、そう取り逃しも無いだろう」
そう言って歩き出す足立君に倣って、二人で広がって追い立てるように動いたほうが良いだろうかと、僕も少し離れて歩き出そうとした。
――途端、藪の陰から飛び出した何かが、その勢いのまま己のほうへ飛び掛かった。
即座に方向転換した足立君に庇われる。向かってきた男の突き出した刃物を、手首を掴んで躱しながら勢いよく地面にねじ伏せた。鈍い音を立てて地面に叩きつけられた男が、うつ伏せのまま体重をかけられ苦し気に息を詰める。
馬乗りになって男を固定する足立君が、こちらを振り返って目を見開いた。
「――後ろだッ!!」
咄嗟に振り向くと、もう一人仲間がいたのだろうか。覆面をした男の持つ短刀の先が、真っすぐにこちらに向かってくるのが、やけにゆっくり見えた。
――避けられない。そう思った瞬間、突っ込んできた小柄な人影が、飛ぶ鳥のような速度で男の横面を蹴り飛ばした。
立て続けの襲撃にうろたえる僕を歯牙にもかけず、その勢いのまま男の頭を岩に叩きつけた乱入者は、男を踏みつけたまま器用にバランスをとって静止した。
岩にぶつかって奇妙な方向へ折れ曲がった男の首から、小柄な影がのっそりと足を退け、こちらに顔を向ける。
あの少年だ。
真っ黒な見慣れない民族衣装、じゃらじゃらと珠暖簾のようにぶら下がった装飾品、耳元で鈍く光を反射する沢山の孔飾、そしてあの美しい顔も……あの日朦朧とした視界で見た少年の相貌を、そのまま鮮明にしたみたいに記憶のとおりだった。
彼は冷たい目でこちらを一瞥すると、興味を失ったように視線を逸らし、瞬く間に死体を担ぎ上げて木々の間の暗闇へ消えた。
足立君も、彼が僕が報告したあの少年だと気が付いたのだろうか。視界の端で足立君が立ち上がろうとするのが見える。しかし、突然船が座礁でもしたみたいにガクリと動きを止めて、見ると彼の下で捩じ伏せられた男が刃物で地面を刺していた。
まるで足だけをその場所に固定されたように、上体がつんのめった不自然な体制のまま、一瞬の逡巡を挟んで足立君が叫んだ。
「――、追えッ!!!」
その言葉に、はじかれたように走り出す。
あの少年は、もう簡単に見失ってしまいそうなほど距離を開けて走っていた。暗闇にチカチカと浮かぶ、月明かりに照らされる装飾品の僅かな反射だけが、なんとか彼の場所を教えてくれた。
幸い相手は大荷物を抱えていると、そう思っていたのに差は縮まらず、むしろこちらの体力が削れるにつれ、少しづつ草木に足を取られ始め姿が遠くなっていくばかりだ。
「待って!!」
とても追いつけそうにないと、焦燥のまま上げた声にちらとこちらを振り返った彼が、どうしてだか驚いた顔をして、距離を取るように高台に上って立ち止まった。
なんとか追いついて丘の中頃で立ち止まって、ぜえはぁと喘ぎながら息を整える僕を見下ろして、彼は愉快そうな顔をして笑った。
「へえ、元気そうじゃん」
……僕の事を覚えているみたいだ。対話の意思があるんだろうか、彼は依然死体を担ぎ上げたまま、いつでも逃げられる体勢を取りながら、その実完全に足を止めてこちらを観察していた。
助けられたとはいえ、目の前で幾人もの人間を殺してみせたその人を前にして、不思議なくらい恐怖や忌避感というものが湧いてこない。
以前に会ったときにはあんなに恐ろしく感じたのに。現金にも、助けられたと気が付いたからだろうか? それとも、小高い丘に迫り出すように生えた岩の上、開けたその場所で月光を一身に受けるその姿が、あんまり幻想的でいっそ嘘みたいに感じるからだろうか。
「その……遺体を……、返してほしいんだ、事件の捜査に必要で」
彼の担ぐ体は、明るい月光の下で確認してみれば、あの日の襲撃者と同じ見慣れない異国の黒装束を纏っていた。
だとすれば、まずは一番必要な事だろうと粗い息を抑えなんとか言葉を繋いだけれど、話題を間違えてしまったらしい。
彼はころりと不機嫌そうに表情を変えて、吐き捨てるように言った。
「べつにお前らのじゃないだろ、仕留めたのオレだもの。だいいち、助けてもらっといて礼の一つもないわけ?」
「あ、うん。ごめん……助けてくれてありがとう。さっきの事も、こないだの事も。お礼を言いたくて、もう一度会えたら嬉しいなって、ずっと思ってた」
慌ててそう返すと、彼は満足そうに鼻を鳴らす。勝気な仕草が、涼しげな顔立ちによく似合っていた。
和らいだ表情に、急いた気持ちのまま言い縋った。
「あの日一緒に助けてくれた人たちの目が覚めないんだ。怪我は一つも残ってないのに……どうしても治療の手がかりが欲しくて、だから――」
ふいに、背後から草木をかき分ける音と共に、がやがやと男たちの声が聞こえた。足立君が応援を呼んでくれたのだろうか、まだ距離のあるそれは、それでも確実にこちらに近づいている。振り返れば、木々の隙間から手提灯の灯りがちらちらと見えた。
――拙い、逃げられてしまう。そう思って向き直った目と鼻の先に、彼の顔が迫っていた。
「ヤグイの生き残りを探せ」
「……えっ」
囁く声に、一瞬動きが止まる。
ドンッと、体を押す手に抵抗も出来ずに、小高い丘から転がり落ちた。
幸い、すぐ下まで来ていた憲兵の人に抱き留められる。すぐに駆け上がって丘の周りを探したけれど、あの短い時間でどう逃げたのか、彼は痕跡も残さず煙のように消えてしまった。
「ごめん、逃げられちゃったよ……」
「いや……冷静になって考えれば、入ったばかりのお前に追わせるべきでは無かった。危ない真似をさせた、すまない」
取り逃がしたことを謝ると、逆に頭を下げられてしまった。
足立君はあの後すぐ動けるようになったようで、騒ぎを聞きつけた巡回の人たちと合流して後を追いかけて来てくれた。取り押さえた男は場を離れる為に拘束しようとした時点で死んでいたらしい。
「おそらくは動きを止めるような魔道具……いや、もっと原始的な呪具だろうか。そんなものだろうな」
術の発動を引き金に命を奪う仕組みでも仕組んでいたか……そんなことを言うものだから、手に先ほどの短刀を持ってしげしげと眺めている様子にこちらが不安になってしまう。
「それにしても、何を目的に襲ってきたんだろう。今まではちっとも証拠を掴ませなかったくらい慎重だったのに、こんなにお巡りさんたちが見回っている今襲ってくるなんて……」
「考えられる可能性としては、犯人が魔獣だなどと、明らかに今までの事件とは事情が違うからな……偶発的な事件だとすれば、あいつらが犯人であれ被害者であれ、やつらにとっても予測できない異常事態だったのではないか? 事態を把握しようと、こちらの動きを探っていたのかもしれんな。
最初に向かってきた男たちは、こちらが追い詰めるような行動をした為だろう。おそらく村までの何処かに偶々身を隠していたんだろうさ。しかし……」
そう口ごもり何か考え込む様子の足立君に、まず報告しないといけないことがあったと思い出す。
「そうだ、彼が言っていたんだ。『ヤグイの生き残りを探せ』って」
「やぐい……? 聞いたことの無い名だな。地名か、何らかの集団の名前か……」
余計に考え込ませてしまったのか、足立君は難しい顔をしてすっかり黙り込んでしまった。けれど、じきに遠くから僕らを呼ぶ警部さんの声が聞こえて、事情を聴かれたり軽くお説教をされたりとしているうちに、ようやく肩の力が抜けたようだった。
こうして、翌日には色々の報告を携えて予定通り帝都へと戻り、僕の初めての実務研修は一応つつがなく完了した。
幸運にも再会できた命の恩人だけど……結局、ちゃんと話をすることも出来なかった。また会えるだろうかと、それだけが少し心残りだった。
◆
「検査の結果、回収した獣は魔物であると断定されました。遺体周辺から採取された獣毛も同一個体のものと確認が取れ、今回の事件の原因とみて間違いないとのことです」
夜の闇が色とりどりの街灯りに彩られ、煌々と輝く大帝都の片隅。釣り洋燈に照らされた一室で青年が朗々と報告を読み上げている。
「襲撃者の着ていた衣服ですが、今まで発見された血塗れの衣類と同じ様式の物でした。回収した遺体は魔力を有していませんでしたが、例の乱入者の少年が持ち去った男は魔力を有しており、”遠聞”の魔術を保有していました」
籐編みの揺り椅子に腰かけた男が、満足そうに頷いた。
「例の少年も見たのだろう。お前の見解は?」
青年は一拍言葉を止めたが、しかし予想していた質問なのだろう、滞りなく口を開いた。
「魔力を有していることは間違いないでしょう、おそらくは魔術も。ただ、見えていたのに何も見えませんでした。
帝国の魔術体系とは別の物なのでしょう。しかし、それだけが理由とは思えません。まるで、絵を描いた色硝子を何枚も何枚も重ねて見ているような……。
これは所感ですが、それこそ話に聞く魔境の怪物共を想起させるような……正直、背筋の寒くなる心地がしました」
「そうか……ご苦労だった。下がっていい」
失礼いたします。そう言って青年は執務室を後にした。
残された長髪の男は繰っていた報告書を脇机に戻し、窓の外を眺めた。
硝子にぼんやりと滲んだ橙色の灯りの向こうから、遠く市街電車の夜間運航の響きが、かすかに耳に届いた。




