03.実務研修、捜査
「この遺体を作ったのは獣じゃないかと思うんだ」
「今までは隣国風の、それも霞岌の装いだって断定できるほど、衣服がしっかり残っていたんだよね。資料にも写真が載っていたし、体は肉片と書くほど棄損されているのに、衣服は確認できる状態で残っていた。服を脱がせてから肉体だけ棄損したのか……それこそ、人が意図してそうしない限りそうはならないと思う」
「獣が食い散らかしたのなら、こういう感じになるだろうから」そう言いながらつい視線が遺体のほうへ向いてしまう。衣服はびりびりに引き裂かれてしまって、原形をとどめていない。残された遺体の肉の断面に、まるで皮ごと齧り付いた無花果の皮が実にめり込むように、ほつれた布の端が肉に喰い込んでいた。なんの躊躇も理性もない蹂躙によって、全体的にほとんどが真っ黒く血で汚れてしまっていて、辛うじて汚れず残っている生地の一部でようやく模様の判別がつくくらいだ。馴染みのない模様や、例えば無地の黒装束なんかでは、特定は難しくなるんじゃないだろうか。
足立君は僕が話し始めたのを遮る様子もなく、同じように指摘した個所を目で追ってくれた。
「肉の断面も刃物で切ったふうじゃない。もっと鈍い……爪や牙で抉り取ったって印象じゃないかな?」
「確かに衣服の状況は気になるが、断面に関してはこれまでの事件でも刃物とは断定できない状態だったぞ」
「そうなんだ。うーん……鍬なんかで抉れば近くなるかもしれないけど……。
確かに人間の犯行である可能性は零でないと思う。だけど、おかしな獣が出るって話をしたのを覚えてる?」
しゃがみ込んでいた足立君の頭が振り返って、まっすぐに目が合った。
「いつもなら人に向かってこないような獣が、積荷を襲ってきたんだって。
獣だって言っておいてなんだけど、野生動物の捕食なら不自然なこともあるんだ。まず骨を食べ残していないし。傷の感じからそう大きな牙や爪ではないと思うけど、そうすると失われた肉体――食べた量が多すぎる。熊のような大きい獣にしては足跡も残ってないしね。
もし……もしもだけど、犯人が”魔物”なら、全部説明がつく」
――襲われた荷車が運んでいた積荷は、輸入した魔物素材だったんだよ。その言葉を聞いて、彼の目が僅かに揺れたように見えた。けれど、そうと認識した頃にはもういつも通りの泰然自若とした面持ちだった。
「魔物は、魔物を喰らう……」
「魔術師もね。
前回の事件では、襲撃犯と僕らが同じように倒れていたのに、悪人だけを襲ったというのも野生動物ではありえない。襲撃者は分からないけど、僕は魔力を有していたみたいだし、それを襲わなかったのだから魔物のしわざでもない。これまでの一連の事件が人間の犯行なのは間違いないと思う。
だけど今回の事件に関しては、判断するには情報が足りないんじゃないかな。帝都に戻る前に、周辺で変わった獣を見なかったかとか、地元の人に話を聞いてみたらどうだろう。あとは亡くなった人の身元――できれば本人の魔力の有無が分かればいいなって……」
「なるほどな」と、言いながら立ち上がった彼は、横で話を聞いていた警部さんに声をかけると、僕を引き連れて藪の外へ降りた。
「たしかに聞き取り位ならばそう時間はかからないだろう。一先ず上には電報を打っておく。犯人が獣ならば隠蔽工作などしないだろうし、痕跡の残っている可能性も高い。帝都に戻るのはそのあたり確認してからでもいいだろう。日も落ちてしまった、今日は宿に戻るとして、明日一日で情報を集めよう。それはそれとしてだ――」
手を上げて、続々と乗り付ける憲兵の警邏車を回してもらいながら、彼は片眉を上げた。
「もし、助けられたという少年を庇っているのなら、あまり入れ込まないほうがいいぞ」
「うっ、いや……でもほら、彼は一撃で沈めてたし、あんな惨状にはならないんじゃないかな……!」
図星を差されて慌てて言い募るも、足立君はこの話に関しては呆れた顔をするだけだった。
二時間ほど前に玄関先を通り過ぎた宿に戻ってきて、部屋でようやく一人になった。
大部屋を含め、捜査本部で離れをまるごと借り上げているらしい。新しい事件で出払っているのか、あたりはとても静かだ。病み上がりなのだからと、無理を通して一人部屋を用意してくれていて、知らない町の、見慣れない六畳間があんまりしんとしているから、非日常じみていて落ち着かない。
「あ、忘れるところだった」
もう着替えて休もうと旅行鞄を開けたところ、目に留まるようにと一番上に乗せられた機械に、医院で与えられた指示を思い出した。
「一日一回は魔力の量を記録してって言ってたけど……」
独り言ちながら、腕輪のような機械と、傍らの小さな記録帳を手にとった。
事件の後、もともと持っていなかったはずの魔力が計測されたのだけど、その値は目が覚めてから徐々に下がっていった。一般的な魔術師であれば使ってもいないのに減ることはないそうで、経過を記録したいからと測定器を渡されたのだった。これは魔道具の一種らしく、ゴツい腕帯から伸びる管に、卓上温度計が繋がったようなへんてこな形状をしている。いかつい見た目で物々しいけど、頑丈そうだと思えば旅のお供としては有難かった。
「――あれ?」
なぜか、前日の記録よりも魔力が増えている。不安になって確認しても、ちゃんと血圧計のようにがっちり固定してあって、医院で何度も測ってもらった手順通りだ。
うーん……よくわからないけど、結果通りに記録するしかない。今まで、魔力の事も魔術の事も、自分には関わりのない話だと思っていたし、あまり詳しくはない。
そもそも、市井にはあまり情報が出回っていないのだ。見かけるのは、海外の冒険小説のようなものとか、嘘か本当か分からない怪奇譚じみたものとか、弁士が好き放題話を盛る活動写真だとか……娯楽として楽しむようなものばかりだった。港の市にはときおり魔物素材などの輸入品の品目録なんかもあって、読んでみるととても面白くはあるけれど……
記帳も済ませて、気を取り直して就寝の支度をした。布団に潜り込んで真っ黒い天井を見つめていると、先ほどの惨状だとか、思い出したくない絵面ばかりが浮かんでくる。無理矢理に頭から追い出して、小さなころ読み漁った冒険譚の場面を、スクリーンに映写するみたいに思い描いてみた。今だ何も分からない、自分の身に与えられた魔術……もし自由に使えるようになったならどんなことが出来るんだろうと、ささくれた心も少しだけ弾むような気がした。
翌朝、支度を済ませて朝食を食べに大部屋へ降りていくと、足立君と警部さんがもう食卓へ着いて話し込んでいるようだった。
「ああ、おはよう!」
そういって手を招いてくれる彼に甘えて、お話中のところを失礼して卓についた。ぺこりと軽く会釈をすると、向かいに座る警部さんも笑って手を上げてくれる。歳は四十を過ぎているだろうか、貫禄のある体型と人好きのする表情が、足立君とはまた違った親しみやすさを感じさせた。
「こちらは土方警部、一連の事件の捜査の指揮を執っている方だ」
「昨日は挨拶してる暇が無くて悪かったな、土方哲平だ。面倒な事件には大抵首を突っ込んでいるから、まぁこれから顔を合わせることもあるだろう、よろしくな」
「よ、よろしくお願いします!」
父ほども年の離れた男性から、改まって挨拶を受けた経験なんてあまりなくて、正直ちょっと緊張してしまう。二人は食事をとりながら昨日僕らが去った後の捜査進捗を確認していたらしい。
「ではやはり、被害者は周辺の村人だと」
「あぁ、家人が帰ってこねえと名乗り上げた人間がいた。衣服から確認も済んでいる。現場からそう離れてない家に住んでいて、昨日は昼に仕事に出たまんま帰ってこなかったそうだ」
今の自分には、聞いているだけで気が沈んでしまう話だ。口を出すことも無いので、黙って焼魚を口に運んだ。
「――で、魔力測定の結果だが、確かに仏さんは魔力持ちだった」
さすがに驚いて、魚の骨に向いていた目線を上げた。足立君も目を剥いて、手に持った味噌汁を卓に置いた。
「ですが、このあたりの魔力保有者の名簿に条件の合いそうな人間は――」
「ああ、何か事情が有るんだろうが……まぁ登録漏れくらいはそう珍しい話じゃない。こういう田舎では特になぁ。
問題なのは、現場から検出された魔力が一つでないってことだ。つまり、犯人も魔力を持っていた……殺しに魔術を使ったかまでは分からんが、これまでの犯行では犯人は痕跡を残していないからな。これは柊弥君の説も真実味がでてきたじゃないか」
警部さんはそう言って愉快そうに笑うと、豪快に焼魚に齧りついた。つられて白米を口に運んだ僕に続いて、足立君も気を取り直すように味噌汁を啜った。
「山狩りの連中には動物にも気を付けるよう指示を出してあるが、巣穴にでも逃げ込まれていたら分からんからなぁ。
日も上ったし、そろそろ聞き込みも始められるだろう。君たちはどうするんだ」
「俺たちもまずは聞き込みを。上には夜のうちに電報を打って、情報を確認してから戻って来いと返答をもらっています。今日一日はこちらで行動して、明日一度中央に戻ろうと思います。ご配慮いただきありがとうございます」
「いやなに、若者は張り切りすぎるくらいでちょうどいい!」
朝食を食べ終えて席を立った警部さんに、「まあ頑張りなさい」と肩を叩かれてようやく、配慮とは僕の当て推量を信じてくれたことを言っているのだと気が付いた。
慌てて下げた頭を元に戻したときには、もう警部さんは立ち去ったあとだった。なんでも夜通し現場にいて、食事のために宿へ戻ってきたけれどまた現場に戻るんだそうだ。誰よりも張り切っているのは警部さんではないだろうか……?
「土方さんは非常に優秀な方なんだが……なんというか、絶対現場しかやりたくない人でな。公治局は上から口を出し、一方的に事件を巻き取ったりするから、現場と空気が悪くなることも多い。あの人はその辺り割り切ってくれるから、うちと組むことも多いんだ」
顔を覚えておけという助言だろう。神妙にうなずいた僕に、足立君は安心させるように言った。
「まぁ、とても面倒見の良い人だから、なにかあったら頼るといい。俺も随分世話になった」
帝国東部を南北に流れる蓬賴川、その緩やかに蛇行した流れの上に、真っすぐに伸びる巨大なアーチ橋を自動車が通り過ぎていく。車の窓から見える田圃の景色はとても静かで、早朝の澄んだ空気の中、朝霧がキラキラと輝いていた。普段通りならば朝の早い農家の人がぽつぽつと畑仕事に向かう姿が見られたのだろうが、昨日の今日では皆家に籠っているのか、人影一つないその様子が別世界のように感じられた。現場周辺へと向かいながら、今後の予定を確認する。
「猟師さんに話を聞くのはどうかな? 魔物って言っても、最初はただ魔力を有した動物だったものが代を経て進化したって説があるそうなんだ。
おかしな獣が――って噂を聞くようになったのはここ最近だし、魔物と言っても一世代程度なら、ただの獣だった頃の生態とそう変わらないかもしれない」
「そうだな。家の位置は地図を預かっているから、ひとまずそこへ向かうか」
「人を襲うなら熊か大猪だろうなぁ。近頃この辺で見たって話は聞かねえが……。死肉を食うだけなら、食うやつぁ色々いるが……」
”獣”も用心するようにと、警部さんが辺りの家々に周知してくれたみたいだ。村で唯一の猟師だという男性は、自責の念でも感じているのだろうか、沈んだ表情をしている。それでも安全を求めてだろうか、猟師さんの家には何人かの村の人が身を寄せていた。
「魔物が発生した可能性があるんです。魔物は魔力を取り込むために雑食性に変化したり、凶暴性が増したりするらしくて……獲物が魔力を持っていたのなら、襲うはずのない動物が人間を襲ってもおかしくないんです。
なにか普通じゃない行動をする動物を見たとか、そんな話を聞いたことは無いですか?」
「そんなら喰い残したほうが不思議かもな……熊なら持ち帰ったってよかったんだ。喰い切れず、巣穴に持っても帰れねえくらいの獣ってなると……
そういやほら、橋のほうに魔導線設備てのがあったろう。あのあたりでイタチを見かけるって話は聞いてるな。普通なら小さい獣は魔力を嫌がって近づかねえんだが……」
イタチなら、餌場に戻ってくるかもしれねぇな。と独りごちる猟師さんの言葉に、足立君と目が合った。
「大変参考になりました。ところで、亡くなった方についてなのですが、魔力保有の国勢登録に記載がありませんね。なにか事情をご存じありませんか」
「…………」
口を噤んでしまった猟師さんの後ろで、村の人たちが目配せをしている。人のよさそうな年配の女性が、無言のけん制を振り切るように口を出した。
「あんまり責めないでやってくださいよ。あの子はねぇ、魔術師なんて柄じゃあなかったんですよ」
口火を切ったその女性に勇気づけられたのか、同調するような声が上がる。
「そうですとも、村ぁ出たくないって本人も言うとりました」
「一人っ子だものねぇ、孝行息子で」
「優しい子で、虫も殺せないような子でしたよ」
「帝国としては、本人の意思を無視して徴発するような真似はしていませんが」
流れを切るように発せられた足立君の言葉に、村の人たちはどうしたものかという表情で目配せをした。気まずげな沈黙の後、それでも僕らが子供であることに気が緩んだのか、「ここだけの話ですけどねぇ」と声を潜め話しだした。
「領主様が、私兵の勧誘を随分強引にやっとったみたいですよ。国境もそう遠くないし、あたしらも守ってもらっとると思えばあんまり悪くも言えないけどねぇ」
「その辺のことは、拝み屋の婆さんのが詳しいでしょう。ただ、今は傷心で話せるかどうか……」
こういった小さな集落には、拝み屋、魔女、呪術師等と呼ばれるような民間の魔術擬きを扱う相談役がいるものだ。
「内々での弟子のようなもんだって、この辺の人間はみんな分かっとりましたから」そう話す彼女らの顔は同情で沈んでいる。
情報提供に礼を言う足立君の横で、僕は、家で家族の帰りを待っていたであろう母の事を想った。
きっと一人で生活をしているのだろう。教えてもらった場所に向かうと、こじんまりとした、いかにも自然の中で暮らしているといった構えの陋屋が、村はずれにひっそりと居を構えていた。
拝み屋のお婆さんは、話を聞きに来たという僕らに最初は気丈に振る舞っていたけれど、亡くなった方の話をするうちにだんだん声が揺れていった。
「大したことは教えてはおりません。そう大きな力を持った子じゃあありゃあせんでしたし、本人も普通に暮らしたいゆうて磨く気も無いもんで。
戦に立つなんてとても勤まらんと、止めたんが悪かったか……」
痛ましい様子に、思わず肩に手を伸ばした僕の事を気にする様子もなく、訥々と話す彼女に足立君が切り込んだ。
「このあたりの領主が無茶な徴兵をしていると聞いたのですが、何か見聞きしたことはあるだろうか」
「……都の人らには分からんだろうが、お上に目ぇ付けられるんがそれだけでどんなに重荷になるか。若い頃は何べんも役人が来よったし、大人しくなったか思えばまたこそこそと人を探しよるみたいだで」
「何か今更兵を増やそうとするような、思い当たる理由はあるだろうか」
「さあねぇ、焦りよるんじゃなかろうか。じきに選挙もある。昔っからのご領主様じゃ言うたって若いもんは知らんじゃろう。守ってくれんようになったらそれまでじゃて」
それで足立君は納得したようだった。僕のほうに聞きたいことは無いかと目配せした後、「ありがとうございました」と頭を下げて退席した。
僕も後を追おうと、お婆さんの背中から離れた手を、枯れ枝のような細腕が、思いがけない力強さでぐっと掴んだ。
さすがに馴れ馴れしかっただろうか。気を悪くしてしまっただろうかと思いながら振り返ると、そのまま腕を引かれ、近くなった耳元に彼女は忍ぶように囁いた。
「――歪な形をしておる、お前も戦には向かんだろう、お前のそれは器じゃ」
「っ、それって……」
聞き返そうとしたとき、表から足立君の呼ぶ声が聞こえた。一瞬入口の方へ向けた視線を戻すと、手を離したお婆さんはもう何もなかったような様子でうなだれて座っていて、声をかけるのも憚られた僕は、そのまま挨拶だけを残して家を後にした。




