第90話 ルークの大冒険⑤
初めてその地を踏んだヴェルヘルム帝国を実感する間もなく、ルークは更に北――イグスロード大陸北西のエルドリア共和国へやって来た。
時刻は昼より少し前。フリードと共に山岳地帯で身を潜めながら、ルークは岩陰から垣間見える銀世界に大きく目を瞬かせる。
「スッゲー! オレ、雪って初めて見たッス!」
「あまり顔を出すな」
「あ、はい。ぶへっくしょん!」
「……静かにしろ。我々のことを彼等に知られる訳にはいかない」
少し呆れた様子を見せつつ、フリードはルークが眺めていた方角へ警戒の視線を向けた。
街道らしい地面すら整備されていない真っ白な大地には、今、異彩を放つ存在が2つある。
1つは、地平線近くに見える土気色の巨大突起物。隆起した地面の上に建立された、エルドリアの中央都市・アベイルだ。
そしてもう1つは、その都市を守るように蠢く黒い斑点の集合体――フリードが「彼等」と呼んだ、エルドリアの軍勢である。
「うひゃ~~。ドラゴン1匹にスゲー騒ぎッスね」
「これ以上近づけば、こちらが気付かれる。……この国の民は目と鼻が良いからな」
この国は200年前の統一戦争で領土の殆どを侵略された為、帝国の10分の1程度の大きさしかない。
それでも戦争終結後、大国に属することなく国として維持できている理由――それには『不可侵結界』という特殊な力とは別に、その国民性が大きく関係している。
「小さくてよく見えないッスけど……あの軍隊、ホントにみんな獣人なんスか?」
「そうだ」
エルドリアは世界で唯一の獣人国家であり、その人口の9割が屈強な戦士であるとも言われている。
中央都市に住むほとんどの獣人が南へ向けて移動する様子に、隣国の人間であるフリードは不安と焦りを覚えた。
あれだけの軍勢がもし、ヴェルヘルム帝国の国境を侵しでもしたら――今の自国には、それを防ぐだけの力が無い。
「どうにか間に合った、と考えるべきだろうな。もし中央都市が襲われていれば、戦争に発展してもおかしく無かった」
「けど、肝心のドラゴンはいないみたいッスよ? 一気にここまで来ちゃいましたけど、他の町を襲ってるんじゃ……」
「この国で町と呼べるのは、あの中央都市だけだ」
獣人族にはそもそも、『町を作る』という概念が存在しない。
今でこそ国の中枢を担っている中央都市も、元は戦争時に使用した砦の名残なのだ。
そう説明されて、ルークはようやくフリードが「間に合った」と言ったわけを理解した。
ドラゴンの暴れた形跡を辿って北上してきたが、人や村が被害を受けている状況を目にしなかったことも、これで説明がつく。
「ドラゴンは元々、あまり長距離を移動する生き物ではない。エルドリアの戦士達があそこにいるということは、ここより北にはまだ現れていないということだ」
「えっ!? じゃあ……この近くにドラゴンが潜んでるってことッスか!?」
フリードがこの場所で待機すると決めたのは、ここがエルドリア軍の警戒している方角で一番高い山だったからだ。
つまりたった今ルークが危惧した通り、自分達が潜んでいるこの山のどこかにドラゴンがいる可能性が高い。むしろフリードとしては、いてもらわなくては困るのだ。
「そうでなければ意味がない。我々はあの獣人達に気付かれない内に、ドラゴンの始末をつけねばならないんだからな」
「大丈夫かなぁ……」
「お前は戦いに参加する必要はない。周囲を警戒し、何かあれば知らせろ」
「はっはい!」
初の指示に緊張気味な返事をした後、ルークは周囲を見張るために少し離れた岩壁をよじ登った。
そこは山のほぼ頂上であり、後はルークより少し背の高い尖った岩があるのみ。周囲を見渡すにはうってつけだ。
もっとも、フリードの部下達が既に適正な指示の下で配置についているので、端から戦力外のルークがどこで見張ろうと、大して役には立たないのだが。
「ぶへっくし! にしても寒いなぁ……」
山の上、しかも辺り一面雪景色ともなれば、当然気温は低い。
比較的温暖なローグセリアで生まれ育ったルークは、経験したことの無い寒さに震えながら肩をさすった。
そして身を屈めながら、地面を覆っている雪を物珍しそうに眺めた。無意識に伸びた指が、手近な雪をツンとつつく。
「わ、冷てっ。スゲ~よな~、こんな冷たくて柔らかいモンが空から降って来るんだもんな~」
跡が付くのが面白くて、ルークは周辺の雪をズボズボと歩いて回る。
たまに周囲も警戒しているので、見張りという役目も一応忘れてはいない。
「ドラゴンてどのくらいデカいんだろうな~。家より大きいってばあちゃん言ってたから、この岩くらいかな~」
そんなことを言いながら、ルークはすぐそばの岩を呑気な顔で見上げる。
ドラゴンは大きいのだから、隠れていてもすぐに気が付く――それは、ドラゴンを見たことのない者として当然の考えだ。
だからこそ、ルークにはわからなかった。家より大きい生き物が近くにいながら姿を見せない……それが何を意味するのかを。
「って、流石にそれはねーよな。こんなデカい岩が空なんて飛んだら、生き残れる気がし…………」
軽くタッチした岩肌の予想外の感触に、ルークの動きがはたと止まる。
触り心地は確かに硬くてゴツゴツしているが、どことなく弾力があり、脈打っている様に思えたのだ。
「…………あったかい…………」
ルークはイヤな予感がした。触れていた手を体ごと遠ざけようと、足を一歩後ろへ下げる。
しかし、感触に気付いたのは向こうも同じだった様だ。フリードを呼ぼうとルークが口を開けたその時――地面が動いた。
「あ……わ……わわわっ?」
覆っていた雪をボタボタと払い落としながら、足下の土が盛り上がっていく。
上へ上へと伸びていく灰色の壁はやはり岩に見えたが、ルークはその考えを一瞬で捨てざるを得なかった。
何故ならその壁の表面は明らかに脈打っていて、地鳴りと共に低い唸り声の様な音を発していたからだ。――明らかに生きている。
「…………グルルルル…………」
(ド……ド……ドラ……!?)
その場を動かず、声を出さず、心の中でただ時が止まるのを願う――。
遥か高い位置からルークを見つめ返したのは、雪を布団に身を休めていた灰色のドラゴンだった。
(どどどどうすんだよぉぉ!? フリードさんに知らせ……で、でも声が出せねぇぇ!!)
いっそ気絶でもした方が楽かもしれない。
そう思ったが、下から聞こえて来たフリードの声に思わず目を見開いてしまう。
「いたぞ! ヤツはまだ幼体だ! 全員で畳み掛けろ!」――という、あり得ない声に。
「え? だって……」
「――――――――――――――――!!!!」
「ひぃ~~っ!」
鼓膜どころか地面も割れそうな音圧に、ルークが耳を塞ぐ。
思わず呟いてしまった声をキッカケに、ドラゴンが大きく吼えた。




