第85話 真夜中の訪問者
夜が深まるにつれ、暗澹とした町はより暗く、より静かな眠りへと誘われてゆく。
それはアイト達の泊まる宿屋も例外では無く、明かりのわずかに漏れる一室を除き、町のほぼ全てが宵闇に包まれていた。
住人達の眠りは早く、今夜は月もない。ベッド脇で唯一灯るランプが最後の光と知ってか知らずか、アイトはなかなか寝付けずにいた。
「う~~~~む」
風呂上がりのタオルを頭に被せながら、アイトはベッドの上にいる白い生き物をじっくりと眺め回す。
先に拭いてやってすっかり乾いた白ウサギは、掛け布団の端に香箱座りしながらウトウトと目を閉じている。最近のアイトはほぼ毎日、この白ウサギと寝起きを共にしていた。
マリアーナとリサが相部屋なので、白ウサギはアイトと相部屋で――という飼い主の言い分に、何の疑問もなく納得してしまった為だ。しかし、取り立てて不満はない。
「お前はどうして、あんな所にいたんだ?」
仲間の前では口に出さないが、アイトはこの生き物が気になっていた。
アーストと入れ替わるように現れたこのウサギは、もしかすると魔術か何かで姿を変えられた本人なのではないか、と。
誰もが突拍子もない話だと言うだろうが、アイトにしてみれば魔物や魔法の存在するこの世界も充分に突拍子が無い。あり得なくはないと、そう思っていた。
「アースト」
試しに名前を呼んでみると、白ウサギは耳をピクリと動かし、わずかに目を開いた。
会話できないことは最初からわかっているが、それでも話しかけてしまうのはやはり、期待しているからなのだろう。
あるいは、この町には自分1人しかいないのではないかと思わせるほどの静けさに、無意識に抗おうとしていたのかもしれない。
少し前までは隣の部屋から仲間2人の聞き慣れた言い争いが響いていたのだが、今はそれも無いので寝てしまったのだろう。アイトは話し相手が欲しかった。
「似ている様な、似ていない様な……」
白ウサギの赤い瞳がまた閉じてゆくのを見つめながら、大きく首を傾げる。
実に不思議なのだが、アイトはアーストの瞳が赤だったのかどうかすら思い出せないでいた。
瞳の色だけではない。髪の色も、顔立ちもボヤけている。覚えているのは優しげな声と、穏和な雰囲気だけなのだ。
「ぶへっくしょんっっ!!」
ふいに寒気を感じてくしゃみをしながら、手でしっかりと頭のタオルを押さえる。
アイトはフェリがいなくなってから、誰よりも後に入浴することが多くなっていた。
表向きはレディーファーストだのと理由をつけているが、その方が色々と気兼ねせずに済むからに相違ない。
しかし慎重に慎重を重ねるせいで長風呂になった挙げ句、先にウサギの方を拭いてやったのでは、湯冷めするのは当然だろう。
「このままでは風邪をひいてしまうな。早く布団に入って体を暖めなくては……いや、やはり髪の手入れが先だ」
横になる前に髪をしっかりと乾かす――それはこの世界でできる数少ない手入れだ。
被り物の汚れを落とし、丁寧にブラシをかけることも忘れてはならない。勇者の髪は1日にして成らずである。
「……ふっ」
しかしアイトは鏡台の前に立ちつつ、なかなか頭の諸々を外そうとしない。
鏡の奥に映る白ウサギは、目を閉じている。なのに、どうにも見られている様な気がするのだ。
動物相手にそこまで気にするのもおかしな話だが、普段も死角で手入れしたり衝立をしたりとその視線を避けているので、背後にいられると落ち着かない。
(私は何を気にしているんだ? あのウサギに見られたからって、言い触らされる訳じゃないんだ。それにアーストなら、仮に私の秘密を知っても笑ったりしないはずだ)
アイトは意を決して立ち上がり、ベッドの前へ立ち戻る。
それと同時にパッと見開かれた赤い瞳と目が合って、アイトはほんの少しドキリとした。
人の近付く気配を感じて目が覚めたのだろうか、それとも元から起きていたのだろうか。
何かを待つように自分を見上げる白ウサギを見て思う――やはり普通のウサギとは、何かが違う。
「お前に私の秘密を明かそう。だからお前のことも教えてくれ」
そう言って、まずは頭に乗せていたタオルをハラリと取る。
そして一瞬の逡巡の後、パッと見なんの変哲もない黒髪へと両手を伸ばした。
アイトは話すつもりなのだ。初めて自分の意思で、取って見せるつもりなのだ。
(これは賭けだ……!)
たとえ毛根の悲劇を知られたとしても、相手がただのウサギなら話せないし広まる心配はない。
もし予想通りアーストだったとしても、見たことはそっと胸にしまい、秘密を守ってくれるだろう。
どちらにせよウサギが喋る訳はないので、何の賭けにもなっていない。常に視線を気にして過ごすくらいなら言ってしまいたい、というのが本音だろう。
「ん? あ、あれ? ちょっと待ってくれ、留め具が……」
アイトがモタモタと髪を弄る様子を、白ウサギはただじっと見つめている。
一体どんな気持ちで見ているのやらわからないが、とにかくアイトは髪に、ウサギはアイトへと意識が集中している。
そんな状況で、誰が予想できただろうか。全く予期せぬ第三者の声に、心臓が飛び出しそうになるなどと。
「なー……このウサギ食っていいか?」
「うわ!? わ! なあああ!?」
驚いた気持ちと冷静になろうとする理性が混ざり合い、おかしな声が出る。
しかし咄嗟に自分の口を押えて声の主を見、抱き上げられたウサギを見ると、見開かれていた眉間に皺が寄る。
「……なんで貴様がここにいるんだ」
「腹減った……なんか食わせて……」
ゲッソリとやせ細ったルークから、アイトは一先ずウサギを取り上げることにした。
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「いや~あいあほな! おはええ助ばっぱえ~……ゴクンッ。ところでお前ら、いつ町を出るんだ?」
「食べ終わったならさっさと出ていけ。まだ町を出るつもりは無い」
この時間に宿の主人を起こして食べ物を貰うのも忍びないので、アイトは仕方なく旅用の非常食を分け与えることにした。
遠慮なく干し肉を頬張るルークの様子に、アイトは不服そうな表情を隠さない。いくらでも入るフェリのローブが無いので、最低限しか持ち運べない貴重な食料なのだ。
「なんでだよ。先輩の伝言、ちゃんと聞いてたのか?」
「伝言は聞いた。何が『帝都グランデへ行け』だ。ヤツに行き先を指示される筋合いはない!」
例の焼けた村を出る前に気絶から目覚めたルークから、アイト達はデュオの伝言を聞かされている。
『帝都グランデへ行け』――ルークの伝え方が悪かったのかもしれないが、アイトは即行でこれを断った。
情報屋のいるグランデへはもともと行く予定なのだが、それも言っていない。理由は単純明快。ライバル視する相手に行き先を指示されるのは、気分が良くなかったからだ。
「じゃなんでこの町にいるんだよ? 方角は同じじゃんか」
「たまたま行き先が重なっただけだ。いつ行くかはこちらが決める」
「だから~、姐さんの為なんだって! お前だって姐さんのこと助けたいんだろ?」
「もちろんそうだが、ヤツの伝言を信じる理由はない」
結局は信じるか信じないかの話だけで、アイト達が帝都グランデを目指していることに変わりはない。
もし情報屋という手掛かりすらなかったなら、たとえ嫌いな相手の情報でもグランデへ向かっただろう。
しかし、アイトにもプライドというものがある。ルークがうっかり口を滑らせた「まぁ姐さんは帝都にいないけどな~」という言葉も手伝い、アイトは今まで通り、自力でフェリを探すと決めた。
ルークに居場所を吐かせようにもすばしこくて全く捕まえられないし、身の安全だけは聞き出したので一先ずは安心している。デュオの思惑通りに事が運んでいる気がするのは、気に入らないが。
「先輩の言うことは絶対だぞ! めっちゃ強いし、凄いんだからな!」
「強いのは認めるが何が凄いのかサッパリわからん。所詮は……人殺しだろう」
「お前わかってねーな~。……よし! じゃあオレ様がとっておきの話をしてやるよ!」
「おい、誰もそんなことは頼んで……!」
「良いから良いから。ど~せ暗くて怖くて眠れなかったんだろ?」
「なっ、なんだと!? デタラメを言うんじゃない!」
怒るアイトをスルーして、ルークは話し始める。
フェリにも話したことのある、デュオとの出会いの話を――。




