第79話 悪夢と好機
魔術大国とも称される国の城内で、王の間に限りなく近い区画――許可無き者の立ち入りが禁止されている通路の奥に、その部屋はあった。
かつては『貴賓専用』として常に誰かが滞在していたであろうその場所が、今や少女1人を閉じ込める為の牢獄でしかないことは、一族の者なら誰もが知っている。
すっかり商人や町民の行き来が途絶えた城にはもちろん召使いや兵もいたが、この秘密の廊下だけは昼夜関係なく静まり返っていた。
そんな寂しい絨毯の上を、少女は今日も独りで歩く。
「あと30歩……29歩……にじゅう……はちほ……」
大扉へと歩を進めるその足取りは重い。
しかし少なくともこの城の中で、彼女を苦しみから救い出せる者などいるはずもなかった。
騎士も魔術師も、召使いも奴隷も、王族も貴族も……この城に関わるもの全てにとって、少女は生贄でしかなかったからだ。
「ああ、そんな……なんてことなの!」
「え……?」
絶望へと近づく小さな体が、ふいに暖かさで包まれる。
亜麻色の髪を高く結い上げた女性が突然現れて、少女を抱きしめたのだ。
あまり反応を見せない少女の髪を気遣う様に撫でながら、女性が焦りに満ちた表情を浮かべる。
「どうしたの? まさか私が……お母さまのことがわからないの?」
「おかあさま……?」
「ええそうよ。ああなんて酷い……とても我が子にする仕打ちではないわ」
少女を抱きしめる腕に、力がこもる。
多くの者が少女のことを考えないようにしていたが、気に掛ける者もわずかながら存在していた。
この女性はその中でも特に理解のある貴族の協力を得て、厳しい見張りを掻い潜ってここへ来たのだ。
「とにかく逃げましょう。私の実家へ行けば、身を隠すくらいは……」
そこまで言い終えた瞬間、女性の表情が強張り、青ざめた。
自分の数メートル後ろで、何かが小さく軋むような音が聞こえたからだ。
震える母の肩越しから覗く少女の瞳は、目的地だった部屋の扉が静かに開く様子をぼんやりと捉えていた。
「やあ、来たね。待っていたよフェリシア」
「あ……」
フェリシアと呼ばれた少女が、自分に向かって手招きするその男を見てビクリと肩を震わせる。
扉に寄り掛かる様にして、優しげに目を細める銀髪の男――その頭上で、小さな金の王冠がキラリと光った。
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「っ……いやああーー!! ……はぁっ、はぁっ……」
布団を払いのけるようにして、フェリは叫びと共に飛び起きた。無意識に窓へ向けた瞳に、まだ暗い空が映り込む。
いつの間に眠ってしまったのだろう――全身に絡みつく汗が、先程までうなされていたことを物語っていた。
「また……なのね……」
フェリはよろよろとベッドから降り、着替えを探す為にクローゼットへ向かう。
お風呂に入れる時間は決まっていて今は利用できないが、せめてこの汗だくの服だけは脱ぎたかった。
着替えを見つけ、着るのも脱ぐのも不便なドレスの紐を解く。寝間着ではないので、汗で着心地が悪くなって仕方ない。
脱走する隙がなく、仲間と連絡を取ることも出来ず、ドレスが動きにくい……不満を挙げればキリがないのだが、憂鬱なことは他にもある。
(眠い……でも最近、夢見が悪いのよね……)
フェリはこの城へ連れて来られてから、1度も安眠できていなかった。
軟禁生活という状況を考えれば当然なのだが、理由はそれだけではない。
これまでぼやけて忘れかけていた過去を、頻繁に夢で見るようになったからだ。
「昔はこんな夢……見なかったのに……」
もう何度、同じ夢を見たかわからない。
ラキアと過ごしていた頃は、昔のことなど気にも留めていなかったのに。
旅立ってからたまに思い出すようになった過去について、今では毎日の様に考えている。
(ま、条件がこれだけ揃ってたら思い出しもするわよね)
ユリアナの部屋の方が状況としては近いのだが、こうして薄暗い部屋に独りきりでいれば嫌でも思い出してしまう。
外してもらえた手枷の重みは今も生々しく残っているし、ガルデンやユリアナとの会話もフェリの記憶を刺激する。
しかし過去への恐怖心がそうさせるのか、フェリは未だに夢の内容を覚えておくことが出来ないでいた。あの頃の夢である、ということ以外は。
「ってああもう、汗で湿って脱ぎにくい~!」
背中の結び目をどうにか開いた後、フェリは次に腕を抜こうと袖を引っ張った。
もともと腕周りに密着するタイプである袖が、湿気を帯びたことでより脱ぎにくくなっている。
フェリにとっては、この動き難い服装も充分に枷であると言えるかもしれない。とにかく窮屈なのだ。
「きゃっ! な、なに!?」
どうにか肘の辺りまで脱いだところで、フェリはハッと天井を見た。物音がする。
ネズミにしては大きいので、例の監視だろうか――そう思って、わざわざ脱いだ袖をまた通しながら耳を澄ませる。
(考えない様にしてたけど……やっぱ着替えとかも見られてたのかしら……)
常に見張りがいることは知っていたが、プライバシーくらいは守ってくれていると信じたい。
囚われの身の立場でそんなことを望むのもどうかと思うが、そうでなくては今後は安心して着替えまで出来なくなるからだ。
「……なんなのよ、こんな時間に」
聞こえてくるのは、バタバタ走る音と甲高い金属音、そして何かがぶつかる音。
天井裏を見たことはないが、これだけの騒ぎを起こせるならそれなりに広いのかもしれない……。
そんなことを考えながら、フェリの頭にほんの少し大胆な計画が浮かぶ――逃げるチャンスかもしれない。
(少なくとも、私を見張ってる余裕は無いってことよね? なら今の内に……)
大急ぎでクローゼットの服をかき集め、窓へ向かってそろそろと歩き出す。
扉の向こうにはいつものごとく、ガルデンが張り込んでいる可能性が高い。
(出るのはやっぱり窓からね。これだけの服を繋げれば一気に下まで……!)
大量の服を抱えたまま窓を開け放ち、外の様子を確認する。思った以上に静かだ。
流れ込んできた夜風は湿ったドレスを凍てつかせそうなほど冷たかったが、絶好の機会を逃す理由にはならない。
フェリは窓辺に座って、服と服をいそいそと結び始めた。いつのまにか静かになった天井の様子に気付かないまま、丹念に。
「千切れないようにしっかり結んで、と……。あ、でも行く前にユリアナに一言くらい言っておかないと」
「あれ? フェリどっか行くの?」
「見ればわかるでしょ逃げるのよ……ってきゃあああ!? ちょ、ちょっと待って! 今のは別に逃げようとしたワケじゃ…………え?」
いきなり背後から聞こえた声に振り返ったフェリは、まず目に入った黒装束に「バレた」と感じた。
そして咄嗟に言い訳を並べようとして、やめる。目の前にいるのが、今まで何度も自分の脳裏をかすめていた男だと気付いたからだ。
「久しぶり、フェリ」
「…………」
「ついでにこれ、忘れ物ね」
軽い調子で自分のローブを手渡されたが、フェリの目は手元を見ていない。
手の平から紫の布がさらさらと落ちていくのにも気づかず、呆然と目の前の男を見つめる。
「……デュオ」
フェリとデュオ――最後に会ってから、2ヶ月ぶりの再会だった。




