第69話 意図せぬ悪意
「あの、兄さま……お砂糖は……」
「不要だ」
「はい……フェリさま、おかわりです……」
「……ありがと」
少女とのささやかな親睦会は、緊張のお茶会へとすっかり様変わりしてしまった。
といっても緊張しているのはフェリだけで、あとの2人の振る舞いはごく自然なものだったが。
(なんでこんなことになったのかしら……)
おかわりの入ったティーカップを受け取りながら、フェリは向かいに座る男と目を合わせない様に視線を逸らした。
ユリアナの兄らしいこの男はフェリを一瞥しただけで名乗りもしなかったが、纏っている王者然とした風格が『只者では無い』と言っている。
(何かもう見てるだけで怖そう……。今さら後悔しても遅いけど、やっぱりさっさと部屋から逃げるべきだったわ)
扉が開くと同時に警戒で立ち上がったものの、間抜けにも座り直してしまった自分を恥じる。
何故こうなったかと言うと、部屋に入った男がユリアナに勧められるままさっさと席に着き、あまつさえ紅茶まで飲み始めてしまったからだ。
男を見て本能的にマズいと感じた自分とは対照的に、「兄さま……!」と嬉しそうな顔で席を勧めるユリアナに戸惑ったというのもある。
状況に流されたと言えばそれまでだが、この落ち着き払った人達の前で逃走を図るのがひどく場違いに感じたフェリは、結局腰を下ろしてしまったのだ。
(ま、今から逃げてもどうせ捕まるしね。城内で手枷を嵌めた女を、城の人間が見逃してくれるわけ無いし)
逃がしてくれそうな雰囲気だったユリアナと違い、一筋縄ではいかない人物なのは見ればわかる。
それに城内に監禁されていた以上、かなりの地位にいるであろうこの男が無関係とは考えにくい。
フェリは流れに身を任せることにした。しかしそれは、決して呑気に構えていたわけではない。
あえて言うならこの時――フェリは精神的にかなり疲弊していた。
「兄さまが来て下さって……嬉しいです……」
「そうか」
「紅茶は……熱くないですか……?」
「丁度よい」
男はユリアナに短い相槌を打つだけで、フェリに何か言う様子は無い。
表面上は落ち着き払って相手の出方を窺うフェリだったが、内面的には追い込まれたネズミの様な心境だった。
焦りでどうにかなるのではというくらい心臓が音を立て、楽しそうに話すユリアナが何を言っているのかもわからない。
(大丈夫、なんとかなるわ。一応、武器だってあるし)
フェリは監禁部屋を出る際に持ち出した燭台を、スカートの上からこっそり確認した。
もしも男がフェリを攫わせた首謀者なら、神殿を破壊し、アイトやルークに怪我をさせた張本人だ。
どんな目的があるにせよ、ガルデンの様な人間を使う男がこのまま黙って立ち去るはずが無い。
(隙を見て捕まえるつもりなのかしら……その後どうなるの?)
この時、フェリの心の中で暗い何かが渦巻いた。
また監禁されるのだろうか、何かに利用されるのだろうか、それともやはり殺されるのだろうか……そんな不安が弾ける様にポツポツと浮かんでくる。
(一生どこにも帰れなくなくなる? そんなわけない。みんなも私を探してくれてる……二度と会えないかもって? 師匠にも、アイトにも……『彼』にも?)
「フェリさま……?」
まるで語り掛けてくるかのように、不安だけがフェリの焦りを刺激する。
捕まるわけにはいかない――そう強く感じたフェリの瞳が、心配そうに自分を覗き込むユリアナをとらえた。
(そうだ、それならせめてユリアナだけでも…………え!?)
そこまで考えて、フェリはギクリと身体を震わせた。
自分が今とんでもない事を思いついたことに気付き、どっと汗が吹き出す。
「な、なんで? なんでそんな……」
「フェリさま……どうなさったんですか?」
「わ、私……今……」
「して、住まいに不都合は無いか?」
「……え?」
わけがわからずパニックになっていたフェリの思考が、一旦停止した。
一瞬ユリアナに言ったのかと思い直したが、違う。男はフェリの目を見て、フェリに話し掛けている。
「……は?」
「与えた部屋で過ごすのに、不便は無いかと聞いている」
2度もとぼけた声を出したフェリに、男は淡々と同じ質問を繰り返す。
もしかしなくても自分は今、監禁生活が気に入ったかと聞かれているのだろうか――フェリの頭が、少しずつ冷静になってくる。
「……あなた何者?」
「この城の主で、名はアークウェルという。好きに呼ぶが良い」
「まさか住み易いかどうか確認させる為に、私を1週間放置した……なんて言わないわよね?」
「それもある。が、単純にそなたに構っている暇が無かった」
「それもあるんだ……って暇が無いとは何よ!? 説明くらいしなさいっての!!」
「きゃっ……!?」
フェリが至極真っ当な抗議と共に立ち上がると同時に、ユリアナが怯える様にしゃがみ込んだ。
驚かせてしまったと気付いたフェリはハッと口元を押さえると、背中を丸めるユリアナに駆け寄る。
「ご、ごめんユリアナ。大丈夫?」
「平気です……少し、驚いてしまって……」
「ふむ」
自身はその様子を心配するでもなく、アークウェルは少しだけ考える様に目を閉じた。
しかしそれはほんの一瞬で、次に開かれた目がフェリをまっすぐに見据える。
何やらプレッシャーを感じたフェリが顔を上げると、先手を打つかのような有無を言わさぬ瞳に射竦められた。
そしてゴトンという鈍い振動と共に、フェリの手枷が絨毯に落ちる。鍵を開ける音も、壊す音もしなかった。
「へ……? 枷が……外れた??」
「では、後は任せる。姫は体が弱いゆえ、あまり刺激せぬように。兵に見張らせている場所以外であれば、城内は好きに歩いてよい」
「ちょ、ちょっと……どういうこと?」
「話は済んだ」
返事は関係ないとばかりに、アークウェルは立ち上がって背を向けた。
そしてスタスタと扉へ向かい始めたのを見て、フェリは慌てて呼び止める。
「待っ! ……待って。攫った理由くらい教えなさいよ」
「そなたは人攫いをする様な人間が、丁寧に理由を教えると思うのか?」
「開き直ってるし……えっと、教える場合もあるかな~なんて」
「教える気は無い」
「ならこのまま逃げるけど」
「不可能だな。我の配下には手練れが多い」
「…………」
フェリはユリアナの前で大声を出さないよう控えめに食い下がったが、無下にされてしまった。
呆れを通り越して放心状態になっていると、アークウェルが扉を開けながら思い出したように振り返る。
「姫。これからは客人も訪ねてくるゆえ、部屋はもう少し明るくせよ。……客人に燭台を持参させることの無いようにな」
「は、はい……兄さま」
「燭台を持参? ……き……きぃやぁぁああーーーー!?」
言葉の意味に思い当たったフェリが自分を見下ろすと、スカートを突き破った燭台の先がキラリと光っていた。
フェリは燭台……というより空いた穴を隠す様に押さえながら体を捻り、顔だけをアークウェルに向ける。
「もっとも、蝋燭が無ければ火も点けられぬがな。何か別の用途でもあったか?」
「……っ!」
アークウェルのからかうような言葉に、フェリはギョッとした。
からかうと言っても無表情で、目は笑っていない――これは警告だと、そう思った。
何も言えないまま静かに閉じる扉を見つめ、自分を見上げるユリアナの声で我に返る。
「あの……大丈夫ですか? お顔が真っ青です」
「え、ええ。大丈夫よ。…………ごめんねユリアナ」
「? いいえ、フェリさま……」
アークウェルの警告は、フェリの心に深く突き刺さった。
護身用にと隠し持っていた燭台を見抜かれたからではない。
先ほどユリアナを見て思いついた言葉が、何度思い返しても信じられないからだ。
(どうして、あんなことを考えたのかしら……)
ユリアナを人質にして逃げる、くらいならまだしも。
いずれにしろ二度と考えるべきではない。思い出したくもない。
自分の脳裏に、『せめてユリアナだけでも始末しなくては』という言葉が過ったことなど。




