第68話 ヴェルヘルムの謎
「ありがとね。おかげで助かったわ」
「いいえ……ご無事でなによりです……」
窓から梯子を架けて貰い、フェリはどうにか部屋の中へ入ることが出来た。
安定した足場にホッと胸を撫で下ろしながら、窓辺で不安げに佇む少女を改めて見る。
(見たとこ……7歳くらい? 貴族の娘かしら)
風に揺れる白いスカートはドレスと言うよりワンピースに似ているが、透明感のある儚げな顔立ちが深窓の令嬢を思わせる。
肩まで伸びる銀髪の上半分を、後ろで少しだけ結い上げた少女にはどこか上品さが漂っており、これでもう少し背が高ければ同じ年頃と勘違いしていただろう。
フェリは自分の胸くらいの位置から見上げてくる少女に、部屋へ入った時から気になっていたあることを聞いてみる。
「えっと、私はフェリ。あなたはその……何してたの? こんな所で」
こんな所と言うのは失礼な気もしたが、フェリは本当にそう思った。
室内のベッド、机、調度品は全て、フェリの閉じ込められていた部屋と同じかそれ以上に高級そうな物で揃えられていたが――とにかく暗い。
部屋の四方にある窓は、フェリが入ってきた窓を除いて全てが黒いカーテンで閉ざされていて、外の光がほとんど射し込まない。
にも関わらず室内の照明は数本のロウソクが灯されているだけなので、まるで夜の様な薄暗さだった。
「外を……見ていました……他にすることも、ないので……」
「することがない? ねぇあなた、もしかしてここに閉じ込められてるの?」
もしかすると、フェリと同じ様に何処かより連れ去られ、監禁されているのかもしれない。
そう思ったが、少女は少しだけ目を見開いた後ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、ここは……私の部屋なんです……。本を、読んでいたら……男の方の声が聞こえたので……窓に……」
(ああ、ガルデンね……)
フェリのいた部屋とこの部屋は、そう離れていない。
あれだけ大きな声で怒鳴り散らしていたガルデンの声なら、当然聞こえるだろう。
「だけど、こんなに暗い部屋じゃ本が読みにくいんじゃない?」
「明るいと、気持ちが昂ってしまうので……。今も少し……」
「えーと……もしかしなくても私、出て行った方がいいわよね? 下へ降りたかっただけだから、もう行くわ。ごめんね」
フェリは急に、囁くように小さな声で話す少女が心配になった。
もしかしたら病気か何かで、興奮すると体に良く無いのかもしれない。
ならば明らかにイレギュラーな存在である自分は、長居しない方がいいだろう。
そう思ったフェリは後ずさる様にして遠慮がちに扉へと近付いたが、少女は意外にも悲しげな表情でそれを引き止めた。
「ま、待って下さい……っ。もし、もしよかったら……少しだけお話してくれませんか……?」
「話を? それは私としても助かるけど……」
城の周りを部下に見張らせるという様な話も聞いていたし、下手に外へ出てガルデンと鉢合わせても困る。
それにフェリは実の所、話がしたいと言う少女に強い親近感を抱き始めていた。
同性の子どもというのもあるが、少女の置かれている状況がかつての自分にひどく似ている様に感じたからだ。
「あの、あの私……ユリアナと申します」
「よろしくね、ユリアナ」
「はい、フェリ……さま」
窓から差し込む光で照らされた少女の顔が、少しだけ緩んだように見えた。
--------------
「アレが部屋を抜け出したそうだな」
「はっ……連れ戻しますか? アークウェル殿下」
広間の最奥に置かれた椅子に腰かける主と共に、宰相フリードは最後に扉から出て行く貴族の背を見送った。
王の間と呼ばれる執務室代わりのこの部屋に残っているのは自分と、この城の主――第一皇子アークウェルだけだ。
「よい。アレもいずれ気付く。この城が自分にとって、世界で最も安全な場所なのだということにな」
「御意」
国で最も貴いこの椅子に座れるのは本来なら唯一人なのだが、アークウェルが座ることに異を唱える者などこの城には1人もいない。
少なくともこの首都で暮らす者は誰もがそうすべきだと思っていたし、いずれそうなると信じて疑わなかったからだ。
もちろん最初からそうだった訳では無く、反対勢力の排斥はとうに済んでいるからに他ならないのだが。
「此度も実に有意義な会議であった。導き出した結論を実行できればの話だがな」
「私の力が及ばず……申し訳ございません」
今でこそ重々しい雰囲気が漂ってはいるが、全ての窓が開け放たれた王間は明るく、開放的に作られている。
毎日の様に高位の貴族がやって来ては、この国の政策や問題について真剣に話し合っているのだ。
しかしいくら意見を交わした所で、その政策の効力はこの首都グランツにしか及ばない。そのことを、この2人だけでなく貴族達も理解していた。
この国全体を治める為には、真の意味でこの玉座に座る必要がある。
「父王を殺せなかった事を悔いているのか? くだらぬ感傷に浸るのはよせフリード。殺して死ぬ様な相手ならばとっくに片はついている」
「…………」
「ふっ、相変わらず生真面目な男だ」
黙り込むフリードの様子に、アークウェルはその紺碧の瞳を閉じた。
呆れている様にも、面白がっている様にも見えるが、表情はほとんど動いていない。
長きに渡り皇子のそばに仕えるフリードでも、この皇子の感情を読み取るのは至難の業だった。
「現時点で考えの及ぶことについては全て話した。我は暇だ」
「我が君? どこへ……」
「銀封じの塔へゆく。お前は例の件を片付けておけ」
ゆるゆると扉へ歩き出すアークウェルを追おうとしたフリードの足が、ピタリと止まる。
例の件――それは宰相としてでは無く、もう1人の自分がしなければならない仕事だ。
「……生きて戻れ」
巨大な扉の閉まる音に混じって聞こえた主の声に、暗殺者フリードは静かに頭を下げた。
--------------
「良かった……フェリさまも、紅茶がお好きみたいで……」
「ええ。って言っても、好き嫌い自体あまり無いんだけどね」
フェリは空になったカップをテーブルに置きながら、向かいに座る少女――ユリアナに笑いかけた。
話がしたい、と言われて多少身構えていたのだが、聞かれるのは好きな食べ物や趣味などの他愛ないことだけ。
ユリアナはフェリが何故あんな屋根の上にいたのかも、どんな理由で枷をつけているのかも聞いて来なかった。
それは逆にユリアナ自身の事を聞き難くもしていたのだが、詮索されずに済むのはフェリとしてもありがたい。
「おかわり……入れますね……」
「ありがと」
ユリアナの動きは恐ろしくゆっくりで、フェリがやった方が恐らく早いのだが……紅茶を注ぐ顔が少しだけ嬉しそうに見えたので、大人しく見守ることにした。
部屋の中は相変わらず暗かったが、目の前のテーブルには大きめのロウソクが灯されている為、ユリアナの顔がよく見える。
(この子……かなりの魔力持ちね)
部屋に入ってすぐに気付いた事だが、この塔には強力な魔封じの結界が張ってある。塔全体が、巨大な魔力制御装置になっているのだ。
フェリはユリアナの銀の髪をチラリと見た。
「ねぇユリアナ。あなたってこの国の出身?」
「はい。そう……だと思います」
「ローグセリアに親戚とかいたりしない?」
「それは……ありえません……」
「……それもそうね」
ローグセリア王国とヴェルヘルム帝国の間にあるのは戦争の歴史ばかりだ。
今でこそ商業大国ゲルト経由で国民の出入国は出来るが、200年前に戦争が終結して以降も国としての交流は途絶えたまま。
ヴェルヘルム帝国の貴族の娘らしきユリアナに、ローグセリアの親戚がいるとは考えにくい。
だからこそ、フェリは不思議でならなかった――銀の髪を持つ者というのは、そうはいない。
(あれ? そういえばあの人も……)
ふと記憶を遡ろうとして、小さな金属音にハッと後ろを振り返る。ドアノブの回る音だ。
暗がりに浮かぶ扉がゆっくりと開いていくのを見て、フェリは反射的に立ち上がった。




