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第63話 桜庭愛人


 桜庭(さくらば)愛人(あいと)は元々、「どこにでもいる普通の男子高校生」だった。

 あえて特徴を挙げるとしても、精々ラノベ好きでどちらかと言えば気の弱い、やはりさして珍しくもないタイプだ。

 なのに何故、ラノベで憧れていた異世界転移を果たしたのか……客観的に見れば気になる所だが、本人にとってはそうでも無かった。


「ここは、一体……?」

「ふふ……」


 気が付いたらアイトは見知らぬ広間にいて、足元には魔法陣が輝いていた。

 どこかのカルト集団に拉致されたのかと疑いつつも、握手を求めて来たローブの人物に応じる。

 握った手が思ったより細く柔らかかったので、もしかしたら女性かもしれないとアイトは思った。


「この世界へようこそ。勇者様」

「勇者……まさか、自分にこんな事が起こるなんて……!」


 勇者と呼ばれたことで、アイトの疑念は一瞬にして吹き飛んだ。

 握手した相手から漂ってきた甘い香りに、安心したのかもしれない。

 ついに来た、選ばれた――そんな高揚感が、「何故自分なのか」という疑問をあやふやにする。

 読んだラノベの主人公が転移する理由は大抵偶然や運が良いだけだったし、自分もそうだと思うことに何の抵抗も無かった。


「どうか世界をお救い下さい。魔王を倒せるのは、勇者様だけなのです」

「!! もちろんだ。俺……()に救える命があるなら、喜んで協力しよう」


 これまで何度もイメージトレーニングを繰り返した台詞を口にする。

 相手の表情はフードを目深に被っているのでわからなかったが、アイトには少しだけ笑った様に見えた。



------------



「勇者……勇者か。ふふふ……」


 ローブの集団から一通り賞賛の嵐を受けた後、アイトは与えられた部屋で1人ほくそ笑んだ。

 眺めている剣の刃に、緩みきった自分の顔が映り込む――代々の勇者が使用したという聖剣を、勇者の証として渡されたのだ。


(もう進路もカツアゲも気にする必要は無い。俺は生まれ変わったんだ!)


 アイトは高校3年の受験生であったが、ここ1年は殆ど登校していなかった。

 高校に入学して間もない5月……背の高い上級生とすれ違った時、相手の手が頭に当たってアレが外れてしまった事が原因だ。


(あの日、桜庭愛人としての高校生活は終わった……)


 聖剣に映るアイトの表情が、徐々に暗くなる。

 中学を卒業するまでは、髪についてそれほど深刻に悩んではいなかった。

 まだ若かったし、大切にしていればきっと大丈夫だろうとアレもつけていなかった。

 ただほんの少しオシャレな髪形にして、高校デビューを飾りたい……そう思ったばっかりに。

 髪を傷めたくなくて、そもそも禁止されているカラーやパーマをしなかったツケが、思わぬところで回って来た。


(だが、それでも俺は頑張った! 努力したんだ!)


 親に心配をかけないよう、学校へはその後も通い続けた。

 友人には「笑いを取ろうと思った」と誤魔化し、片思いの女の子にはバレないように気を配ったりもした。

 通称『毛が落ちた事件』から約2年間――「あいつヅラらしいぞ」という視線に立ち向かった自分を、頑張ったと褒めてやりたい。


(なのにヤツらは……そんな俺の努力を……!)


 2年間のストレスが祟って出来た10円禿げをクラスメートに暴露され、「ヅラの貴公子」のあだ名は決定的なものとなった。

 さらに悪い事は続くもので、高校2年の終わり……不良にお金ではなくアレをカツアゲされそうになった時、アイトの心はついに折れた。


(俺はもう、疲れたんだ……)


 アイトは3年になった春休み明けから登校拒否になり、ひきこもり生活を始めた。

 学校では笑われ、親には迷惑をかけ、そんな自分が嫌だったが、遺伝というやりきれない思いが周囲の励ましを拒絶した。

 そしてそんな鬱々とした日々を過ごしていたある日、新聞で気になる記事を目にする――『転移自殺』だ。


(死ぬつもりは無かったが、結果的オーライ……なのか?)


 ひきこもる前から、『転移自殺』という言葉はちょくちょく耳にしていた。

 新しい世界を夢見る若者が、ラノベやゲームの影響でトラックの前に飛び出して自殺を図ることから、そんな名前がついたらしい。

 アイトの知る限りでは未遂に終わっていたし、興味のない人間からすれば安直で愚かなことだが、実行する青少年は珍しくなかった。

 そして実際、アイトも試そうとした……そのくらい、自分の未来に絶望していたのだ。


(あのお年寄りは……助かったのか……?)


 しかしあの時自分は、転移自殺を試みようと大通りをうろついていたものの、勇気が出ず帰ろうとした。

 そして踵を返した直後、角を猛スピードで曲がって来るトラックと、点滅する歩道を渡るお年寄りに気付いて、駆け出したのを思い出す。


(俺は向こうで死んだことになってるのか? だとすると……)


 お年寄りがお婆さんだったかお爺さんだったかもわからない。そのくらい一瞬の出来事だった。

 覚えているのはお年寄りを押した時の感触と、「学校へ行く」と嘘を吐いて家を出る自分を嬉しそうに送り出す母親の顔だけだ。

 今は、泣いているのかもしれない――そんな考えを、アイトは必死で振り払う。


「あ。しまった、また……」


 あまりにも勢いよく頭を振ったので、アレがズレてしまった。

 聖剣を鏡代わりに状態を確認していると、部屋にノックの音が響く。


「勇者様、入ってもよろしいですか?」

「!? す、少し待ってくれ! 今開ける!」


 アイトは微妙にズレた人工の髪を整えた後、慌てて扉を開けた。

 立っていたのは、またローブを着た人物――召喚された際に握手を求めてきた人と同じ香りがする。


「お邪魔でしたか?」

「いや、大丈夫だ。それで私は、陛下にお会いすればいいのだろうか」

「それが陛下はお忙しく、今は会えないそうです。ですが世界の危機は一刻を争う状況……出来ればすぐにでも旅立って欲しいと」

「すぐに? しかし……」


 部屋へ来るまでの説明で、ここがローグセリアという国にある召喚専用の塔だという事は聞いた。

 召喚を指示した国王に成功した事を知らせるので待っている様に言われたが、生憎と会う事は出来ないらしい。

 さすがに訝しげな顔をしたアイトに、相手が少し慌てた様子で続ける。


「旅の資金についてはご安心下さい。召喚された勇者には、国から補助が出ますので」

「それはありがたいが、資金を気にしている訳では……いや、一刻を争う状況だったな。人々を救うためにも、早速旅立とう」

「ありがとうございます。世界を救った暁には地位も名声も思いのままだと、陛下はおっしゃいました」

「いや、そんなものは別にいらない」

「え?」


 ずっと淡々と話すだけだった相手が、初めて素で驚いた様な声を出した。

 だが別に、アイトは自分が意外なことを言ったとは思っていない。何故なら、今までもずっとそうして来たからだ。


「困っている人を助けるのは当然だ。私はただ……『自分らしく』生きられればそれでいい」


 アイトは親ですら心配するほどの、根っからのお人好しだった。

 人並みに煩悩もあれば不満も感じるが、優しく、心がほんの少し弱い。

 落とし物を交番に届け、捨て猫がいれば里親を探し、大雨の日に通りすがりのサラリーマンに傘を貸すような人間だ。

 そんな生き方をしてきたからこそ、登校拒否による罪悪感に耐えられなかったとも言える。周囲のからかいにも傷付いた。


「本気で言っているのですか? 人助けで死ぬかもしれないのに」

「そうならないよう、出来れば旅立つ前にこの世界のことを色々と教えて欲しい」

「……勇者様はお人好しか、あるいは……」

「バカだとは、よく言われる。それに参考になるかわからないが、私はここに来る直前、人助けで死んでいる」

「ふっ……ふふふふっ」


 アイトが話し終わると同時に、ローブの人物が体を震わせて笑い出した。

 その声を聞いてやはり女性だと思うと同時に、バカにされたのだろうかと少し不安な気持ちになる。


「この世界でも、私の様な人間は生きにくいのだろうか……」

「そうですねぇ。でも、仲間がいれば生き延びられるかも。私もそうでしたから」

「仲間?」

「勇者様、よければ私も同行して良いですか? あまり役には立ちませんけど、きっとお友達くらいにはなれますよ」

「ほ、本当にいいのか? ありがとう!」


 予想外の好意的な言葉に、アイトはホッとして頬を緩めた。

 念願の異世界転移とは言え、いきなり1人で放り出されることには不安があったし、寂しさもあった。

 気を許してくれたのか、相手が最初より随分と砕けた口調で話してくれているのも嬉しい。

 アイトは初めての仲間に笑顔を向けた。


「私は少し疑心暗鬼になっていた様だ。そんな風に言ってくれて嬉しい。えっと……」

「リサって呼んで下さいね。勇者様」

「ああ、よろしく頼む。リサ」


 フードを脱いで名乗った相手は、短い緑の髪と艶めいた目を持つ、アイトが異世界で初めて目にする美少女だった。

 元の世界への気がかりが無くなった訳ではないが、少なくともこの瞬間から桜庭愛人は、この世界で勇者として生きる事を決めた。


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