第20話 投げられない
大木の様にどっしりした迫力を持つその男は、太い片腕だけでマリアーナを軽々と抱え上げていた。
目立った武器は持っていないが、滲み出る殺意が何らかの攻撃手段を持つ事を予感させる。
自分を見上げたまま動かないフェリを見て、大男は得意そうな顔でニヤリと笑った。
「おかしいと思ったぜ。自分から仕掛けた癖に逃げてくし、攻撃は音がデカいだけの爆竹ばっか投げやがる……コイツは囮だったって訳か」
「マリアーナをどうする気?」
「心配しなくても、もう1人もじきに捕まらぁ。この小娘の使い道は村人と同じだ。欲しがる奴等に売る。当然……てめぇもだ」
「村人全員を売るっていうの? そんなこと出来るはず無いわ」
フェリは別に、世の中に人身売買が無いと言っている訳では無い。
表向きは国際法で禁じられているとは言え、裏では今もそういった需要があることくらいは知っている。
しかし、1つの村の人間を丸々取引するなんて目立つ話は聞いた事が無い。
それだけの人間が失踪して、国が動かないはずがないのだ。
恐怖による焦りから声を上擦らせるフェリの様子に、大男はますます満足そうに口角を上げる。
「世の中には嬢ちゃんの知らねー事情ってもんがあんだよ。わかったらさっさと……」
「フェリ!! マリアーナ!!」
大男がフェリに向かって腕を伸ばしたその時……巨大な体が衝撃を受けたように前のめりになった。
体当たりされてよろけた拍子に、緩んだ腕からマリアーナがドサリと落ちる。
フェリの名を呼んだ声の主が、気絶している仲間を庇う様にして立った。
「アイト! どうしてここに!?」
「マリアーナの姿が見えなくなって、もしやと思ってな。キミに貰った豆を使い果たして撒いて来た」
「良かっ……」
「このクソガキがぁ!!」
ホッとしたのも束の間、大男がアイトを横薙ぎに殴り飛ばした。
吹き飛ばされたアイトがフェリの横をすり抜け、背後にあった暖炉の枠にぶつかる。
「ぐはっ!?」
「てめぇ……舐めた真似しやがって」
大男が自分を素通りしてアイトに近づいていくのを呆然と眺めながら、フェリは唐突に気付いた――状況は何も変わっていない。
さっきは助けられたことに安堵したが、毎日一緒に旅をしているのだからわかる。
アイトがこの大男に勝てる見込みは……ゼロだ。
(私が助けないと……魔術? それとも……)
フェリは震える手で、ローブの中から1本のナイフを取り出した。
これまで果物を切ることにしか使っていなかった――神器のナイフだ。
「頼まれてんのは村人だけだ。女2人はともかく、テメーまで生かしておく必要はねぇんだぜ?」
そう言って、大男が指をバキバキと鳴らす。
傷みに耐えながら、アイトは壁を伝ってズルズルと立ち上がった。
「頼まれた……だと……一体誰……に……」
「テメーにゃ関係ねぇよ。おらぁ!」
「くっ……!」
まるで金槌で叩きつけるようにして、大男が握った拳を振り下ろす。
アイトは半ば倒れ込む形でそれを避けたが、拳はそのまま暖炉の埋め込まれた壁に直撃した……。
それを見て、フェリは戦慄する。
「ウソ……壁が……」
大男は建物の壁を易々と叩き割っていた。
壁は木造だが、その衝撃は下方のレンガ作りの暖炉までも粉砕している。
こん棒の様な腕で振るわれる殴撃――それがこの大男の武器だったのだ。
いつの間にか降り出していた豪雨と共に、生暖かい狂風が室内に入り込む。
その勢いの強さに、壁に掛けてあったランプがいくつか破裂し、床にバラバラと落ちていく。
「ぐっ!? クソッ……」
「アイト!? まさか頭を……!」
吹き飛ばされた時にぶつけたのか、アイトが頭を抱えて苦しみ始めた。
大男がアイトに向き直るのを見て、フェリはナイフの柄を握りしめる。しかし――
(ダメ……怖い……!)
遭遇した魔物とは何度も戦い、食料として動物を捌く事さえあるというのに。
今になって、人間に刃物を向ける事への恐怖がフェリの中に湧き上がる。
≪「殺る」って思わなきゃ、武器は当たらないよ?≫
特訓中にデュオが何度も言っていた台詞が、頭の中に響き渡る。
彼は自分に警告していたのだ。人に刃物を向ける――その意味を。
(これを当てて……もし、死んだりしたら……)
投げナイフは魔力の様に、ローブで抑えることは出来ない。全力で放たなければ当たらないのだ。
実際にフェリのナイフが致命傷を与える可能性は低いが、その確率はゼロではない。
(だってディックさんは……あんなに簡単に死んじゃったじゃない……)
このナイフ1つだけでいとも簡単に命が奪えると言う事を、フェリは知っている。
だからこそ、刃物を人に向けるという一線がどうしても越えられなかった。
ここへきてようやくフェリは、人を傷つける戦い方が自分に向いていない事を悟る。
人にナイフは投げられない――では、何が出来るだろう?
(魔術しか……ないの……?)
「くたばれやぁ!!」
「しまっ――」
頭を抱えてうずくまるアイトを逃がさないように踏みつけて、大男が拳を振り上げる。
フェリは反射的に、そばに落ちている壊れたランプを投げつけた。
「うぉ!? ……チッ、鬱陶しい真似しやがって!」
投げつけられたランプを腕で庇った後、大男が忌々しそうにフェリを睨む。
そしてフェリに向かって一歩踏み出した瞬間――なんの偶然か、大男の足が床に落ちていた酒瓶を踏みつけた。
「うおぉ!?」
「えっ!? ウソ!?」
踏んでしまった酒瓶のせいか、それとも天候による暴風のせいか。
巨大な体が仰向けに傾きながら、大男の上半身が壊れた壁の向こうへ消えていく。
その様子を見つめながら、フェリは引き返せない恐怖を感じた。大男が崖から落ちた一因は、間違いなく自分にある。
(ウソ……死んだ、の……? 私のせいで……?)
殺すつもりで、投げた訳ではない。
なのに今目の前で、人の命が最悪の結果を迎えようとしている。
結末を予感して膨らんでいくフェリの絶望と共に、大男の絶叫が遠ざかる――かに見えた。
「フェリ! 手伝ってくれ! 早く!」
「!? アイト!」
素早く起き上がったアイトが、男の足をギリギリで掴んだ。
フェリもすぐ駆け付け、アイトと協力してどうにか男を部屋まで引き上げる。
2人が息を整えながら安堵していると、同じく息を切らしていた大男がアイトを睨み付けた。
「てめぇら……なんの……つもりだ……」
「殺す為に来たのではない。盗賊は全員騎士団に引き渡す」
「どうせ待ってんのは……死刑だってぇのにか?」
「……それでも、勇者は人を殺さない」
癖の様に髪を撫でつけながら、アイトは言い切った。そしてそれはフェリの気持ちでもあった。
自分には人を殺せない。そして勇者も人を殺さない。だからこそ、これからも彼の旅について行ける……そう思えた。
「ところでフェリ…………見たのか?」
「え? 何の話?」
「い、いや……見てないなら、いい」
「……そう」
ホッとした表情のアイトを見ながら、フェリは思う。
せっかくやり遂げた高揚感に水を差す必要は無いと。
(というか……言えない……)
あえて端的に真実を述べるとしたら……フェリは確かに見た。
大男を持ち上げながら強風に煽られた時、彼の――勇者の髪が、不自然に浮いていたのを。




