(九)不自由な王族
ジキルが、女。
頭の中で反芻するその言葉の意味を、クレアは理解しかねていた。
あの卑怯者が、田舎者で、礼儀知らずで、いつもヘラヘラしている馬鹿が。
(おん、な……)
クレアは額に手を当てた。
性別を隠していた理由は明白だった。魔女だからだ。旅をする上でも男と偽った方が安全と踏んだのだろう。そう考えれば、クレア王女との婚姻をジキルがあれほど嫌がっていたのにも合点がいく。個人的な好意以前に、自分の性別がバレることを恐れたのだ。
「クレア、大丈夫か」
クレアは肩を震わせて笑った。驚愕に次いで胸に湧き上がった感情を理性で抑え込む。目を覆う手を離すと、痛ましげにこちらを見るギデオンがいた。クレアを気遣う風を装っているが、その実邪魔なクレアの婚約者を排除できることを喜んでいる。浅慮なギデオンの思考が手に取るようにわかった。
(あいにくだが)クレアは可笑しくて堪らないと言わんばかりに――これ見よがしに、笑った(その程度では僕は揺るがない)
「殿下、ご冗談が過ぎますわ」
「冗談などではない。これはレムレスから取り寄せた正式な書類だ」
「ではその書類が間違っているのでしょう。当時は飢饉の影響もあり、ノストラ地方からの移住者は相当な数だったと聞き及んでおります。年齢の間違いもあったくらいですから、性別を違えていてもおかしくはございません」
「し、しかし」
「ジキル=マクレティは間違いなく男性ですわ」
クレアが断言すると、ギデオンはあからさまに動揺した。証拠一つで事を運べると信じて疑っていなかったようだ。たかが、紙きれ一枚で。
「何故、断定できる。男だという証拠は……っ!」
クレアはギデオンの口元に扇子の先を当てた。
空いた右手の人差し指は、自分の唇の前に立てる。艶然と微笑んで見せれば、ギデオンはクレアの意図を察した。頰が紅潮し、唇が戦慄く。
「ま……ま、まさか、そなた」
「婚前ですので、無論一線は越えてはおりません。しかし半年も共におりますもの。わからないはずがございませんわ」
腕を下げて伏し目がちに言う。狙い通り、クレアの仕草をギデオンは「恥じらい」と解釈し、言葉を失った。
「お、王女になんという無礼をっ!」
ギデオンはいきり立った。
「下賤な平民風情が! 穢らわしい、これだから下々は……っ!」
切れ切れに侮蔑の言葉を吐くギデオンは、クレアの目には醜悪に映った。
本当の性別を知らないとはいえ、婚約者のいる従兄弟を懸想し、周囲の目も憚らず好意を寄せるギデオンの方がよっぽど無礼で穢らわしかった。
「なんと不条理なのだ。そなたも私も結婚相手ですらまともに選べぬとは!」
クレアはそれとわからないようため息をついた。ギデオンが王太子となったのは彼が十四の時だ。生まれながら第一位王位継承権を持っていたクレオンとは違って、父であるダニエルが王になったことで王太子になった。そういった事情を差し引いても、この意識の低さは酷かった。
王族の結婚は然るべき時に然るべき相手を選んで行うべきもの。王国の発展を考えるならば、他国との同盟のため、あるいは国内の有力貴族の後ろ盾を得るために。自由恋愛など許されるはずがない。ましてや恋愛結婚など夢物語だった。
しかし、ギデオンに王太子としての心得を説いてやるほどクレアは親切ではなかった。むしろ好都合だ。
「殿下にはリリア様が、」
「あんな娘」ギデオンは吐き捨てるように言った「成り上がりの男爵家風情が王家の一員になろうとはおこがましい。父親に似て品性も卑しい娘には、それこそ平民の男がお似合いだ」
クレアは退室を決めた。この男は自らの婚約者を侮辱し、クレアの婚約者を愚弄した。どちらが大きな罪なのかはわからない。しかし不快指数は高まった。
「夜も遅いことですし、わたくしは失礼させていただきます。従兄妹とはいえ、このような夜更けに二人きりでお会いすれば、あらぬ噂を立てられるおそれもございますゆえ」
クレアは時計に視線を送った。この部屋に来て半刻は経過している。そろそろ頃合いだろう。まずはジキルに今の件について問いたださなければ。
立ち上がりかけたその時、視界が揺らいだ。強烈な目眩にクレアは額を押さえた。部屋全体が揺さぶられているような錯覚に、足元さえおぼつかなくなる。
「これ……は、」
たまらず膝をついたクレアにゆっくりとした足取りでギデオンが歩み寄った。
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