(八)婚約者は魔女
クレオンもといクレアは正装に着替えて用意された部屋へと向かった。本日八度目となるお召替えだった。貴族の令嬢となれば場所を移すごとに装いを改めるのは至極当然のことではあるが、クレオンの場合は女装と男装とを交互に繰り返すものだから、普通の令嬢の倍の手間がかかる。
『クレア王女』が遠出を嫌う理由はひとえにこの手間のせいだった。正直に言えば、人目を気にしない分、離塔に閉じ込められていた頃の方が楽だった。せめて王城で大人しくしていれば、これほどまでに煩わしい思いをせずに済んだのだ。
(……だというのに、あの田舎者が)
どうしてもパーセンに行きたいと駄々を捏ねるから、手配をしてやったのに。ギデオンからの呼び出しを無碍にできないのも、パーセンの式典に出席する役を譲ってもらった借りがあるからだ。
それをまるで自分は無関係かのように素知らぬ顔をするジキルの太々しさが、クレオンには許し難かった。古い友人だか親友だか知らないが、リリアの相手をしている自分を置いてサディアスと一緒に挨拶に行くとは何事だ。晩餐の時だって、目の前で『クレア』がギデオンに言い寄られているのだから、婚約者として苦言を呈するべきだろう。挙句、先ほどもサディアスと楽しそうに談笑していた。どういうことだ。何故サディアスなのだ。ここ半年近くはずっと行動を共にしている自分ではなく、何故サディアスなのだ。
脳内でひとしきりの悪態をついている間に、ギデオンの部屋に到着した。夜の挨拶をし、テーブルをはさんで向かい合う。
給仕の者が温かい茶を用意したが手を付ける気にはならなかった。王都の状況など、他愛のない話を一通りして――ようやく、ギデオンは本題に入る。
「――で、あの平民とはどうなのだ」
「『あの平民』とは?」
わかっていながらもクレアは澄ました顔で訊ね返した。
「魔獣狩り殿のことだ。聞けば、パーセンでも無礼を働いたそうではないか」
「致し方ありません。殿下がご指摘なさった通り、彼は宮廷作法には明るくないのですから」
「それは寛大なことで……しかし、此度の婚約はそなたの望むものではあるまい」
当然。しかしクレアに拒否権はない。それはギデオンとて重々承知のはず。
「陛下のご命令です」
「しかし、その陛下が間違っていたとしたらどうだ。主君の過ちを正すのは臣下として当然の義務であろう?」
ギデオンの目に鋭い眼光が宿る。
「どういう意味でしょうか」
「たとえ陛下のご命令であろうとも、あの魔獣狩りはそなたとは結婚できぬ。どうあがいても不可能なのだ」
自信満々に断言するギデオン。クレアはやけに心臓が跳ねるのを感じた。
「殿下、話が回りくどいかと。はっきりとおっしゃってください。わたくしの婚約者に何か問題でもあるのでしょうか?」
ギデオンは薄く笑って、懐から紙を取り出してテーブルに置いた。
「三年前の住民登録票だ。当時のノストラ地方は混乱していたため、明確な記録は残っていない。だが、レムレス地方の記録を調べたところ、興味深いものが出てきた」
クレアは三つに折りたたまれたそれを開いた。レムレス領の住民登録――難民が移住する際に申請したものだ。登録が完了すれば、一定の税を納める代わりに領民として保護される。マクレティ兄妹も移住先で難民から領民へと登録をしたようだ。
申請書類は二人分――クレアは眉を顰めた。ジキルとロイスの分しかなかったのだ。しかしすぐさま合点がいった。あえてルルは住民登録をしなかったのだろう。母親が処刑された魔女だと知られれば、おのずと妹も魔女だとバレてしまう。
(だが、領民としての保護が受けられないとなると……いくら田舎とはいえ、かなり不便だったはずだ)
税を払わなくて済む代わり、いざという時に守ってはもらえない。街道一つ通るにも代金を払わねばならず、最低限の教育も受けることができない。それでも命には代えられないということなのか――などと考えていたら、申請書類の署名欄が目に留まり、クレアは愕然とした。
ジキル=マクレティの性別欄には「女」と記載されていた。
「あの魔獣狩りは魔女だ」
勝ち誇るギデオンの声は、どこか遠くのことのようにクレアの耳を通り過ぎた。




