(七)懲りない王子様
汚れ一つない青地の軍服。腰には意匠を凝らした鞘に納められた魔剣。一分の隙もなく近衛連隊長を装ったクレオンは腕組みをして、こちらを睨んでいた。
「どうしてここに?」
心外だとばかりにクレオンは鼻を鳴らした。
「屋敷内に不審者がいないか見回りしているだけだ」
「不審者って……クレオン、言葉が過ぎ」
「リリア様が探していたぞ」
嗜めるサディアスを遮って、ジキルは『クレオン』に教えてやった。
「お前のことを心配されていた。わざわざ夜食まで持ってきてくださったんだから」
その場にいた『クレア』なら知っていること。それを人前でわざとらしく『クレオン』に告げたのは、ジキルなりの嫌味だ。
「レオノーレが今、預かっているはずだ」
「何故そこでリリア様が出てくる」
「こんなところをうろついている場合じゃないだろ。早く受け取って、礼の一つぐらい言うべきだ」
未来の王太子妃が用意させた食事だ。リンゴ一つとは比べものにならないのは言うまでもなかった。きっとクレオンの好みにも合う素晴らしい夜食なのだろう。野暮ったい猪肉ではなく高級な牛肉。田舎の小さな食堂の主人ではなく、王室付きの料理人が腕をふるった――比較するだけ惨めだ。生まれも育ちも価値観も違う人種と張り合おうとするだけ徒労だし、無意味であることをジキルは理解していた。
「俺は部屋に戻って寝る。もう屋敷内をうろついたりはしないから安心しろ」
言いたいことだけ言って、ジキルは踵を返した。
「お、おい、ジキル」
サディアスの声は上ずっていた。おざなりに「おやすみ。また明日な」とサディアスには挨拶して、あてがわれた部屋へと向かう。
「おい」
背中にかかる不機嫌な声など無視。ジキルは足を早めた。しかし追手も存外しつこかった。
「貴様、いい加減にしろ」
「何がだ。俺は自分の部屋に戻る。お前も自分の部屋に戻る。朝までぐっすり安眠。それでいいじゃないか」
ひたすらに前を向いて歩く歩く。走っているのと大差ない状況だ。自室の前に到着したところで、ジキルは足を止めた。
「で? ただの婚約者に何の用だ」
突然振り向いたジキルに驚いたのか、クレオンは一瞬目を見開いた。が、すぐさま怒気を露わに眉を寄せる。
「用があるのはお前の方だろうが。いきなり僕の部屋に押しかけておいて」
「あー、それね。うん」ジキルは投げやりに後ろ頭をかいた「もう済んだからいいよ」
「な……っ!」
クレオンは絶句した。
「俺が間違ってた。今後は仲良くしようとか、いい婚約者になろうとか、余計なことは考えないようにするよ。クレオンだって、そういうのは望んでいないだろ?」
元々、国王の命令で仕方なく結ばれた婚約だ。そうでなければ平民風情が一国の王子と関わることなどなかった。王位を目指すクレオンにしてみれば、ジキルは突如背負わされたお荷物に過ぎない――ならばせめて、負担にならないよう努力するべきだった。いい婚約でいる必要はない。どれだけ取り繕っても周囲はジキルの卑しい出自に目を留め、蔑む。ならば表に出なければいいのだ。クレア王女様の恥にならないよう、いてもいなくても気に留められなくなる者になればいい。
クレオンは顔を曇らせた。困惑しているようだ。あの自分のことしか考えていないワガママ王子様が。とはいえ、それでジキルの気が晴れることはなかった。
「お前、さっきから何を言っている」
「いいよ無理に理解しようとしなくて。無駄だから」
会話の終了を示すつもりでクレオンに背を向ける。ジキルがドアノブに手をかけたその折――落ち着いた声に呼び止められた。
「お取込み中失礼いたします」
「レオノーレ、すまないが後にしてくれ」
「ですがギデオン殿下がお呼びです」
「僕を?」
レオノーレは首を横に振った。またしてもクレア王女。晩餐だけでは満足できなかったらしい。
「具合が悪くて臥せっていると伝えたのか?」
「はい。しかし今しがた、リリア様とお会いになっていたことを、どなたかが殿下に申し伝えたのでしょう」
クレオンは舌打ちした。招かれている立場上、屋敷の主人を無碍にするわけにもいかない。が、ジキルには関係のないことだった。扉を開けて部屋に潜り込む。
「じゃ、俺はこれで」
「逃げるつもりか!?」
「人聞きの悪いことを言うなよ。そもそも俺は関係ないじゃないか。ギデオン殿下がお呼びなのはクレア王女様。俺が行ったところで、部屋の前で追い返されるだけだ」
案の定、クレオンからの反論はなかった。当然だ。ギデオンもクレアもリリアもジキルのことなど路傍の石程度にしか考えていないのだから。
扉を閉めようとしたら、またしてもひきとめられた。
「なんだよ。それでもギデオン殿下の部屋までエスコートでもしろってか?」
「面倒事を片付けてくる。話の続きはその後だ」
続きも後もねえよ。これっきりだ。
ジキルの心情を読み取ったのか否か、クレオンはさらに言い募った。
「お前の部屋に行く。だから待ってろ」
ジキルは扉を閉めることも忘れて、呆気に取られた。クレオンがわざわざジキルの部屋まで再び足を運ぶ。たかが平民の婚約者風情のために。冗談だと笑い飛ばすにもクレオンの表情は真剣だった。
「……それはどうも」
我ながら間の抜けた返答だ。ジキルは少し考えてから口角をつり上げた。
「期待しないで待つことにするよ」




