(二)望まない婚約者
予想通りと言えば予想通りだったが、晩餐は険悪な雰囲気の中執り行われた。
気づいていないのはギデオン王子だけだろう。婚約者であるジキルの目の前でクレアにしきり話し掛ける。クレアも無礼ではない程度には応じるので、ご機嫌は絶好調。
ジキルは豪華な料理の数々を味わいつつ、その様子を傍観していた。同じく放置されているリリアと一方的な連帯感を抱いてはいたが、かといって相手は未来の王太子妃殿下。おいそれと声を掛けていい方ではない。
その判断がつく程度には、貴族の常識を学んでいた。自分も成長したものだとジキルは自画自賛した。
「先ほどからほとんど手をつけていないではないか」
ギデオンが指摘する。食前酒を舐める程度に口をつけただけで、クレアは何も食べていないに等しかった。メインディッシュである子牛のカツレツに至ってはフォークすらつけていない。婚約者としてここは一声掛けておくべきだろう。
「まだお身体が優れないのであれば、退席させていただくのはいかがでしょう」
言葉遣い。口調。どれも完璧――とまではいかないだろうが、及第点。だというのに、クレアからの返答は射殺さんばかりの鋭い視線だった。
「……ご心配には及びません」
押し殺した声音でギデオンに答える。ジキルのことは無視。他人には礼儀作法にうるさいくせにこういう時は平気で無礼を働く。わかってはいたが、湧き上がる苛立ちはどうしようもない。ジキルは何事もなかったようにフォークとナイフを手に取った。
「そなたはただでさえ食が細いのだから、栄養のあるものを食さねば」
ギデオンが側に控えていた侍従長に目配せする。心得たように侍従長は一礼し、配膳係に指示を出した。すぐさま白磁の皿を持ってきた。湯気の立つスープをクレアの前に置く。前菜ならばまだしも、メインディッシュを食べている最中に出すとは珍妙なことだった。
「これは……?」
隣に座るジキルの方にもただようコンソメのような食欲をそそる匂い。ちらりと横目で確認すると澄んだ褐色のスープだった。
「占星国アルディールの女王も好んで飲んだというスープだ。活力の源とされており、栄養価も大変高いと聞いてレシピを取り寄せた」
誇らしげに語るギデオン王子。
「まあ、それは……」クレアは慎重に言葉を選んだ「わたくしなどにもったいのうございますわ」
「何を言う。これくらい当然のことだ」
当然のごとくジキルの分はなかった。リリアの分すらも。ここまであからさまに差別化されて、さすがのクレアも呆れていた。
が、ギデオンの目にはそれすら映らないらしい。恋は盲目と言うが、惚れた相手が何を考えているかくらいは読み取ってほしかった。ギデオンに促され、クレアはスプーンを手に取った。優雅な動作で栄養満点なスプーンを一口。
「美味でございます」
「それは良かった」ギデオンは顔を輝かせた「望めば私付きの料理人がいくらでも作ろう」
いや、レシピ教えてやれよ。これからも用意させるのかと、口から出掛かった言葉は子牛の肉と共に呑み込んだ。ここまで周到に、執拗にクレアと繋がろうとするギデオンが滑稽で、少しだけ哀れだった。
何も知らないギデオンは嬉々としてとスープ自慢を始めた。なんでも秘伝のレシピで、七種類の肉と三十種以上の食材を用いるらしい。具がないとはいえ、それだけ肉を使えばかなり重たいスープになるだろうに。
案の定、クレアはお愛想程度にはスープに手をつけているが、その実ほとんど飲んでいなかった。クレアもといクレオンは、男にしてはかなり食が細い。好き嫌いも多くて、食事はほとんど残していた。肉料理は食べられなくもないようだが、どちらかと言えばあっさりしたものを好んで食べていた。短い付き合いであるジキルでさえ知っていることだった。
クレアの澄ました顔の裏では怒り心頭に発しているのが見て取れた。
(七種類の肉のスープかぁ……)
猪肉、牛肉、鶏肉、羊肉――あとは何だろう。ロイスが聞いたら飛びつきそうだ。食欲旺盛なジキルとしては自慢のスープのお味をぜひとも知りたいところだが、そんなことを言えるはずもない。庶民のジキルはひたすらカツレツの消費に精を出した。
クレアの婚約者としてギデオンに一言苦言を呈するべきなのかもしれない。しかし、あえて自分から波風を立てる真似はしたくなかった。自分に実害がなければ別にいい。あとは王族のお二人でどうぞ勝手によろしくやっていてほしかった。
ふと視線を感じて目をやれば、リリアが心配そうな顔でこちらを見ていた。正確にはスープを飲むクレア王女を、だ。
「リリア嬢、何かございまして?」
「い、いえっ……失礼いたしました」
慌てて取り繕うリリアだが、その顔は青ざめていた。クレアは微かに眉を顰め、ギデオンは水を差されたせいか不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「王女に対して何たる無礼を。そなたは既に王族のつもりかもしれないが、婚姻が成立していない今はただの、」
ギデオンの台詞が耳障りな金属音にかき消される。ジキルが空の皿にナイフとフォークを落としたからだ。
「これはこれは、大変失礼いたしました」
「呆れた奴だな。身分が低い者はどう取り繕っても所作に卑しさがにじみ出てしまうようだ。それでよくもまあ恥ずかしげもなく――」
「申し訳ございません」
畏れ多くも皇太子の言葉を遮って、頭を下げた。ジキルではなく、クレアが。
「わたくしの婚約者が犯した無礼な振舞いを、なにとぞ寛大なお心でお許しください」
驚きに目を見張るギデオン。しかしクレアに謝罪されてしまえばそれ以上嫌味を重ねることもできないようだ。バツが悪そうに「な、何もそなたが頭を下げずとも」とぶつぶつ言って引き下がった。
クレアが庇ってくれた。しかしジキルの怒りは収まらなかった。クレアが頭を下げる必要がないくらい些細なことのために、この王太子様はリリアを責めたのだ。ふざけるな、と怒鳴りつけてやりたかった。望まない結婚はお互い様だろう。実の父親に生贄として差し出された娘の痛みを、想像したことがあるのか。




