十一章(一)堪忍袋の緒が切れた婚約者
「不貞のいい訳はなんだ」
屋敷の前で仁王立ちで待ち構えていたクレオンは、開口一番にそう言い放った。
「大げさだな」
「僕の許可もなく婚約者であるクレア様を置いてこっそり他の女の所に行く。不貞行為と見なされても致し方ない」
「キリアンは男だよ」
「そういう問題じゃない」
じゃあどういう問題なんだ。精神的疲労感を覚えつつもジキルは弁明した。
「一言声をかけておかなかったのは悪かったよ。でも伝言も残したし、キリアンの所に行くことは最初に言ったじゃないか」
「すまない、クレオン。俺が伝言を残せば大丈夫だと言ったんだ」
「サディアス、僕は今、こいつと話をしているんだ」
剣呑な口調で突っぱねる。近衛連隊長同士、最低限の礼儀は守っていたはずのサディアス相手に不機嫌丸出し。これは相当お怒りのようだ。
「だが、君にリリアの相手をさせておきながら、兄である俺が――」
「二度も言わせないでくれ。リリア様は関係ない。僕が問いただしたいのは、こいつに婚約者としての自覚があるのかということだ」
怒りの矛先はあくまでもこっちにあるらしい。サディアスは巻き込まれているだけ。長くなりそうだったので、ジキルは「二人で話すよ」とサディアスに言った。王太子付きの近衛連隊長をこれ以上拘束するわけにはいかなかった。
「大丈夫だから、気にしないでくれ。ちょっと二人で話がしたい」
なおも物言いたげなサディアスに釘を刺した。
「晩餐の準備もあるんだろ? ギデオン王子の様子を見ておいた方がいい」
(直訳)見張っておけ。
ジキルの意図を的確に察したサディアスは、心配そうにジキルとクレオンの顔を交互に見た。
「クレオン、ジキルに非はない。俺が言い出したんだ」
クレオンは答えなかった。これ以上話すことがないと言わんばかりに口を閉ざし、ひたすらにジキルを睨む。肩を落としたサディアスにジキルはもう一度先に戻るように促した。躊躇いながらようやくサディアスが離れたのを確認してから、ジキルはクレオンに向き直った。
「まずは謝るよ。黙って屋敷を出てすまなかった」
ジキルは早々に頭を下げた。一言でも謝っておかないと話が進まないからだ。
「でも言い訳はさせてくれ。二人の邪魔をしたら悪いと思ったんだ」
「僕のせいだと言いたいのか」
「違う。どうしてそうなるんだ。ただリリアとクレオンが親しげに話していたから」
「リリア『様』だ。お前ごときが呼び捨てにしていい方じゃない」
リリアは『様』付けで、自分は呼び捨ての上に『ごとき』扱い。あまりにも対照的な扱いにジキルは落胆すらできなかった。わかりきったことだ。
「リリア様はお前に用があるようだったから、気を使ったつもりなんだけど……」
「なるほど、サディアスと仲良く『お出かけ』をするためにお前なりに気を使ったということか」
「サディアスはたまたま居合わせて、一緒に行っただけだ。お前を除け者にしたつもりはない」
懐疑的な眼差しでクレオンはジキルを見た。初めて会った頃を彷彿とさせる、蔑むような目だった。
「ただ挨拶に行っただけにしてはずいぶんと時間がかかったようだが? どうせお前のことだ。サディアスとその猟師にパーセンでの内情をぺらぺらと喋ったんだろう」
これでは詰問を通り越して尋問――いや、こじつけだ。クレオンはとにかくジキルを非難したくて仕方がないように見える。理解してもらおうとしている自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
(なんで俺がこんなに弁明しなきゃいけないんだ)
不意に浮かんだ疑問は、苛立ちと共に募ってゆく。そもそも、庭園に出た途端に自分を放置してリリアの相手をしたのはクレオンだ。仮にも王太子妃であるリリアを優先させるのは当然だが、一言自分に声を掛けて然るべきではなかったか。
(クレオンにとって、俺は一体何なんだ)
「……なあ」思わず疑問が口をついて出た「クレオンにとって俺は『利用するための婚約者』のままなのか?」
「いきなり何を言いだすかと思えば……それと今回の件と何の関係がある」
「答えてくれ。俺は、クレオンのことは友達だと思っている。成り行きで婚約したけど、パーセンでは本当に世話になったし、お互いに助け合えた。できればこれからも協力していきたいと思ってる」
ジキルは顔を上げた。
「クレオンはどうなんだ?」
一笑に伏すかと思ったが、クレオンは困惑を露わにしていた。今までジキルがまともに反論をしたことがなかったからだろう。いつでも譲歩するのは自分だった。
「僕は……」
言い掛けてクレオンは口を噤んだ。逡巡の時間はいくばくかだっただろう。権謀術数渦巻く宮廷内に身を置く貴族としては致命的な迷いだ。そうさせる程度には、絆されていたのだろう。だが、
「僕はお前と協力した覚えはないし、これからも協力するつもりはない」
クレオンは切り捨てた。迷いを断ち切るように。
「パーセンの件も手強い魔女の肉親であるお前を利用しただけだ」
そうか、とジキルは呟いた。わかりきったことだったのに、落胆している自分が不思議だった。
「わかった。じゃあ俺もさっきまでの謝罪を全部撤回するよ」
「はあ!?」クレオンは戦慄いた「お前、この後に及んで、」
「あいにく、これでも婚約者としての自覚はあるよ。最低限の義務は果たしているつもりだ。なら、それ以外は俺がどこで何をしていようがクレオンにいちいち報告する必要はないよな?」
ジキルは失笑とも嘲笑ともつかない笑みを浮かべた。
「だってクレオンは、俺の友達でも同志でも何でもない、ただの王女付きの近衛連隊長なんだから」




