名前のない女の子
数日後、10番が消えていた。
訓練場にも、部屋にもどこにもいない。
夜になってもベッドは空のままだった。
「父さん、10番はどこに行ったのですか」
はじめて疑問を口にした8番に、父は神経質な目で観察するように彼を眺めた。
「10番は故障したから処分した。……なぜそんなことが気になるんだ?」
聞かれて8番は首を傾げる。自分でもよくわかっていなかった。
そして思い至った。
食堂に、10番の食事が残されたままだったのだ。
「食事を片づけていいかわからなかったので」
そう答えると父はあからさまにほっとした表情を浮かべた。
「ああ、そういうことか。片づけてかまわないよ。まったく驚かせないでおくれ。お前まで故障したのかと思ったよ」
そうか、故障はいけないことなのか、と8番は理解した。
父を失望させることなのだ。
だが、故障とはなんだろう。どうなったら故障と判断されて、父を悲しませることになるのだろう。
10番のように、音楽が聞こえなくなったら故障なんだろうか。
「父さん、ピアノを弾いてください。『エチュードの8番』を」
「ああ、いいとも。さあ、近くにおいで」
父のピアノは相変わらず素晴らしかった。
激しく、だが優雅なその旋律は8番を高揚させ、自分は幸福の只中にいるのだと感じさせてくれた。
さっきまでの不安が嘘のように消え、演奏が終わっても頭の中で音楽が鳴り響いていた。そしてそのときはじめて、自分が不安だったことに気づいた。
部屋に戻ってベッドに潜る。隣には10番のベッドがある。皺のないシーツが周囲を拒絶しているように張り詰めて見えた。
そっと触れてみる。
その思いがけないほどの冷たさは、10番の目から零れた雫の熱を思い起こさせた。
音楽が、遠ざかっていった。
野外訓練は定期的に行われていた。
いなくなったエチュードに代わって、追加のエチュードが補充される。
エチュードたちは頭の中を流れる音楽の指示に従って、ガラクタを次々と破壊していく。
8番もいつものようにガラクタに向かって走っていった。
だが、向けられた銃口に足が止まった。
あれが当たったら、どうなるのだろう。
いままで何度もかすったことはあったが、痛みらしい痛みは感じたことがなかった。
だがもしまともに直撃すればどうなる。
頭に当たったら?
自分の頭にも、このガラクタのように核があるのだろうか。
だったらその核を壊されたら、故障するのか?
ガラクタの攻撃を浴びたエチュードの姿がよみがえる。
あのあとどうなったのだろう。
動かなくなって、そのまま——。
手足が震えだした。
寒いのか? いや、寒くない。
じゃあこれは何だ?
「僕、怖いんだ」
10番の声が頭に響いた。
怖い。これが怖いという感情か。
一度自覚してしまうと、体がすくんで一歩も動けなくなった。
ガラクタの銃口が、こちらを向いたまま光りはじめる。
このままではあの光に貫かれてしまう。
そう思っても動くことができない。
ああ、音楽が欲しい。
頭の中の音楽さえあれば、何も考えずに動くことができるのに。
『エチュードの8番』を必死に思い出して鼻歌を歌う。
光が放たれたと同時に、何とか足が動いた。光は後方の木にぶつかって弾けた。
「驚いたな。自分で呪いをかけたのか」
どこからか声がした。
周囲を見回すが誰もいない。
「さらに驚いたな。俺の声が聞こえるんだな」
喋っていたのは、目の前のガラクタだった。
いままで一度も、ガラクタが喋るのを聞いたことがなかった。
空耳かと思った。
だがなおもガラクタは話しかけてきた。
「知っているぞ。お前たちはフォレスターの試作品だろ?」
エドワード・フォレスター。たしか父がそんな名前だったはずだ。
「父を知っているのですか?」
「知っている。といってもあの時のあいつはただの雑用だったがな」
「あなたはいったい何者ですか? ガラクタだと聞いているんですが」
「ガラクタか! はっはっは! それは面白いな」
そのガラクタは大きな声で笑い出した。
見た目はただの鉄の塊。車輪がついて、銃口がいくつもある。
目も口もないのに、おかしくてたまらないという表情が見えるようだった。
「俺たちは人間に作られ人間に捨てられた、野良の魔導兵だ」
「魔導兵?」
聞いたことのない言葉だった。
離れたところからは、他のエチュードがガラクタを攻撃する音が聞こえてくる。
土煙が舞い、鉄が吹き飛ぶガラガラという音がする。
「戦争で人間が死なないために彼らは俺たちを作った。敵国も同じく魔導兵を開発し、魔導兵同士の戦いが当り前に行われるようになっていった」
言っていることの半分以上が理解できなかった。
だがそれを気にすることなくガラクタは続ける。
「彼らは俺たちの魔力の回路に問題があると言っていた。戦場での指示がうまく通らないと。敵味方関係なく攻撃したり、戦場から逃げ出したり、人間を撃ってしまう魔導兵も現れた。俺らは生き物ではない。ただの道具だ。だがな、道具にも感情があるんだ。あまり知られていることではないが。戦争なんて嫌だったんだよ。たまたま敵と味方に分かれただけで、どうして魔導兵同士で壊しあわなければならないんだ。破壊したところで、それに何の意味があるんだ。壊した数で勝ち負けが決まるのか? そんな単純な話ではないだろう?」
語気が強くなる。
戦争があったのは知っていた。でもずいぶん前の話だと。
だがこの魔導兵は、戦争が終わってもこうして荒野をさまよい続けているのだ。
「すみません。難しくてよくわかりません」
「いいんだ。気にするな。戦争が終わったあと、増やしすぎて、しかも指示も通らず人間に危害を及ぼす恐れのあった俺たちに手を焼いた人間は、俺たちを放棄した。簡単に言うと、捨てられたんだな。お前もじきにわかるだろう。なんたって、お前は俺たちと半分同じだからな」
「半分、同じ……?」
「お前たちも道具だ。いらなくなったら捨てられるのさ」
10番の顔が浮かんだ。
10番は故障し、いらなくなったから捨てられた。
エチュードは、魔導兵を処理するために利用されている。
人間が傷つくことのないようにと開発された魔導兵は、いつしか人間兵器になった。
エチュードは人間であって人間ではない。
つまりいつかは自分たちも壊されるということだ。
魔導兵のように。
「さっき言ってた、呪いというのはなんですか?」
「あの曲さ。あれは音楽なんかじゃない。あれは魔力の回路を操る命令だ。あんなのを聞いていたら、自分の頭で何も考えられなくなるぞ。いいか、お前は気づいているはずだ。もっとちゃんと知るといい。そして世の中の——」
その時、他のエチュードがこちらに向かって走ってきた。
魔導兵と向かい合っていた8番を不思議に思うでも怒るでもなく、虚ろな目で見つめた。
「何をしている、8番」
「あなたにはこの声が聞こえますか」
「声? 僕の頭の中は父さんの素晴らしい音楽で満ちているからな。余計な音は何も聞こえない」
「そうですか」
魔導兵の声は、自分にしか聞こえていないようだった。
そのエチュードは手のひらをかざし、魔法を放つ。
止める暇もなかった。
最大出力の火属性魔法が鉄を溶かしていく。
「自分の頭で考え、自分の心で感じろ。それが自由になるということだ……」
魔導兵の言葉が炎の中から聞こえてくる。
自分と同じ、破壊するための道具としての願いの込められた言葉だった。
パキンという音とともに割れて弾き飛んだ核の破片を、8番は拾い上げてポケットにしまった。
その日以降、野外訓練で出会う魔導兵の言葉が聞こえるようになった。
それに反比例して、音楽はどんどん聞こえなくなっていく。
魔導兵はエチュードたちを恐れ、怯え、死にたくないと語りかけてくる。
だが8番にはどうすることもできなかった。
音楽が聞こえていないことが父にばれれば、8番は処分されてしまう。
まるで感情のない操り人形のように振舞わなければならなかった。
魔導兵を破壊するときも、その悲鳴が聞こえないふりをした。
魔導兵の攻撃にやられ吹き飛んでいくエチュードの姿も、見ないふりをした。
やがてポケットに入れたままにしていた魔導兵の核の声が聞こえるようになった。
それはいつも短い言葉で会話などはできなかったが、考えることをやめるなと常に8番に語りかけた。
父は音楽家としての活動も忙しく、たびたび研究所を空けた。
そのたびに8番は研究所を抜け出し、街の図書館に行き様々な本を読んだ。
歴史や哲学、科学や文学。
どれも知らないことばかりだったが、8番は少しずつ知識を取り入れていった。
やがて、このエチュードにまつわる研究は国が禁止しているものであること、エチュードは人間の赤子に魔核を埋め込むことで人工的に魔力量を増やし、外部から操ることが出来るように改造されていたことを知った。
エドワード・フォレスターは優しく暖かな父などではなく、子供を使った人体実験を行う違法な科学者であった。
そんな生活が数年続いた。
研究所を抜け出しても他のエチュードたちは8番を気にも留めなかった。
余計なことを考えないように洗脳されていて、訓練中以外は言葉を交わすこともなかった。
だが、唯一の例外がいた。
敷地内の別の研究所で魔核を埋め込まれた子供は、4,5歳になるとこの訓練所にやってきてほかのエチュードたちとの共同生活がはじまる。
音楽によってコントロールされた彼らは幼いながらもフォレスターの指示を守り、喧嘩をすることもなかった。
しかし、最近やってきた一人の女の子だけは様子がおかしかった。
遊びたいようで、ちょろちょろと同年代の子供たちの周りをうろつき、思っていた反応が帰ってこないと怒り出し、泣きわめく。
まるで普通の子供のようなその反応に8番は驚いた。
フォレスターはエチュードがある程度成長すると、よりパーソナライズされた指示を与えるためにそれぞれに曲を作った。その番号がエチュードの名前となる。
「遊びたいんですか?」
まだ名前の付けられていないその小さな女の子は8番の問いかけににっこりと笑った。
それは彼がこの場所で見たはじめての笑顔だった。
だが彼女の特異性はすぐにフォレスターの知るところになる。
「なんなんだ、あれは」
鍵盤にこぶしを振り下ろす。不協和音が室内にこだまする。
フォレスターは音楽によるコントロールが一切できないその小さなエチュードに腹を立てていた。
本人の前で表立って怒鳴ることはないが、一人になった時などにぶつぶつと文句を言いながら原因を探っていた。
そのころには優秀なエチュードを演じていた8番への信頼はとても厚く、彼の前で愚痴をこぼすこともあった。
「いますぐ処分するのは簡単だが、原因が分からなければ今後同じような個体が出てきたときに対処できないからな」と、8番の前で「処分」という言葉を平気で使うこともあった。
フォレスターにとってはエチュードはあくまで試作品で、実験の道具に過ぎないのだと魔導兵の言っていた言葉が浮かぶ。所詮は道具なのだ。
8番は小さなエチュードが処分されないように、なんとかしなければならないと考えた。
こんなに小さな普通の子供が他人の都合で殺されるなど、絶対にあってはならないことだ。
彼は注意深く彼女を見守った。
あるとき、彼女が機嫌よくボールを持って遊んでいた。そのボールは魔法の訓練で使うものだったがそんなことは知らない彼女は、壁にボールを投げ一人でキャッチボールを楽しんでいた。
彼女はにこにこと笑いながら鼻歌を歌っていた。
それを聞いて、8番は衝撃を受けた。それと同時に、音楽が彼女をコントロールできない理由を悟った。
彼女はひどい音痴だった。
リズムも一定ではなく、音程も上がったり下がったり激しく動く。
音痴であることと魔力のコントロールに関係があるかはわからなかったが、これが原因としか思えなかった。
それと同時に、これに気づかれれば彼女は処分されてしまうだろうと確信した。
彼女の同年代のエチュードに次々と曲が与えられ名前が付けられていく中、彼女だけはいつまでたっても曲を与えられず落ち込んでいた。
そんな彼女はいてもたってもいられず、あるときフォレスターにお願いをした。
「父さん、あたしにも曲を作って。みんなばっかりずるいよ」
「……君も曲が欲しいのか?」
「うん! 早く曲をもらって、2番や8番みたいに早く父さんの役に立ちたいの!」
「そうか。……近々な」
「本当!? うれしい!」
喜んで飛び回る彼女を見つめるフォレスターの顔が、まるでゴミを見るような冷たい目をしていた。
彼女は不良品でノイズ。不必要なものは取り除かなければならない。そう顔に書かれていた。
8番はフォレスターに気づかれないように書類を集めた。
マエストロと呼ばれる偉大な音楽家が、その裏で実は国が禁止した研究に手を出していることや、その研究が生きている人間を使ったものだということ、そしてその証拠となる資料をできるだけたくさん集めた。
フォレスターが外出した隙をついて、8番はそれらをもって国の機関を訪れた。
そしてフォレスターを告発した。
「お願いします! エチュードたちを解放してください! 殺されそうなエチュードを助けてください!」
突然現れた少年に担当者は戸惑いながらも、持ち込まれた証拠がどれも信憑性を裏付けるものだったことから8番の言うことを信じてくれた。
「いままで大変だっただろう」と若い担当職員から肩を叩かれたとき、8番は力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
これであの子を助けられる。
あの子だけじゃない。すべてのエチュードを、あの地獄のような場所から救い出すことができる。
もう死んでしまうのではないかと怯える必要もないし、怖い思いもしなくて済む。
震えていた10番の顔が浮かんだ。
あのとき流れていたものが、涙だということはもう知っていた。
これで、彼の無念や苦しみも少しは晴らすことができただろうか。
ポケットの中の魔核を握りしめた。
研究所への立ち入りは10日後に行われることになった。
フォレスターが逃げないように兵を連れてくると言っていた。
地下にある研究所の場所がわかるように、時間になったら研究所を抜け出して8番が場所を案内する手はずになっていた。
それまでの10日の間に幼いエチュードが処分されてしまわないようにと、8番はさりげなく見守っていた。
あと10日。
それですべて解放される。
その日が来るのが待ち遠しかった。




