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黄色いエプロン

ついに約束の日がやってきた。

8番は予定の時間より少し前に部屋を抜け出して、外で担当官が来るのを待っていた。

やがて数台の馬車が現れた。

その中には武装した大勢の兵士が乗っていて、思っていたよりも随分物々しい。

一台の馬車から、若い担当官が降りてきた。


「待たせたね。では案内してくれるかい」


担当官の後ろから兵士が鋭い目でこちらを睨みつけている。

そのことに酷く違和感を覚えた。


「捕まえるのは、フォレスターだけですよね? エチュードは……子供たちはみんな助けてくれるんですよね?」

「あ、ああ。しかるべきところでしっかり保護することになっているよ」


やはり何かおかしい。

だが彼らを信じるしかなかった。

研究所の扉をあけると、フォレスターがピアノの前でいつものようにエチュードたちに演奏を聞かせているところだった。

一見幸福そうに見えるその光景に担当官が息を呑む音が聞こえた。

突然の侵入者に、フォレスターの指が止まる。


「誰だ、お前たちは!」


そして彼らの先頭にいる8番を驚愕の表情で見つめる。


「8番……なんでお前が……!」


8番は何も答えなかった。

かわりに担当官が懐から書類を取り出して掲げて見せた。


「エドワード・フォレスター。違法魔法研究の容疑でお前を逮捕する。大人しくついて来い」

「8番、お前は父を売ったのか」


悲しそうな表情でフォレスターが口を開いた。

かつては8番も優しく頼もしい父が大好きだった。

父に褒められることが何よりの喜びで、父の弾く曲が日々の楽しみだった。

確かに一度は感じた幸福な子供時代を思い出し、8番は目を背けた。


騙されてはいけない。

この男は10番を殺した。他のエチュードもたくさん殺したんだ。


「私はあなたの呪縛から、兄弟たちを助けようと決めたんです」


するとフォレスターは顔を覆い、お前は何もわかっていないと諭すように零した。


「お前たちを助けてくれるって? エチュードは私にとってはとても大切な子供たちだ。だがな、こいつらにとってはお前らはただの危険な兵器に過ぎない。こいつらはお前も、お前の兄弟たちもみんな殺すつもりなんだぞ」


その言葉に含まれた大きな悲しみに8番は動揺する。

すぐそばにいた担当官を縋るように見上げる。


「エチュードは保護されるんです。そうですよね?」


若い担当官は8番から視線をそらして何も言わなかった。


「……どういうことですか?」


血の気が引いていく。

その時になってはじめて、兵士たちが持っている武器が対魔導兵用のものだということに気づいた。

荒々しい足音とともに大勢の兵士たちが雪崩れ込んでくる。


「いいか、子供だと思って油断するな! こいつらは魔導兵と同等か、それ以上の強さだぞ! 気を引き締めろ!」


突然のことに、ピアノの周りにいたエチュードたちは驚いて立ち上がった。

だが音楽のせいかぼうっとした表情のまま周りを眺めるだけで、攻撃をしたり逃げ出したりする様子はない。


一人だけ、あの女の子が戸惑った表情で怯えていた。

8番は咄嗟にその子を後ろから抱き上げると走って逃げた。

だが子供を抱えたまま遠くへ逃げることはできない。

そもそもどこに行けばいいのかもわからない。

とりあえず8番は建物内の人気のない場所まで女の子を連れていくと、床下に隠した。


「いいと言うまで、絶対にそこから出てはいけません」


そう言って、8番は別の場所に身を隠した。

隙間から見えたのは、フォレスターと無抵抗なエチュードたちが縄に縛られて連行される姿だった。

エチュードたちは自分がどういう状況にあるのかも一切理解していないような人形のような表情をしていた。

兵士たちは若干拍子抜けした顔で、だが両脇をしっかり固めて縛ったロープを引っ張った。


自分のせいだ。


8番はポケットに手を入れて魔核を握りしめた。

割れた魔核の尖った部分が手に食い込んで血が流れる。

自分のせいでエチュードたちが殺されてしまう。


一人で兵士たちに立ち向かおうかと思ったが、そんなことをしたらこの子も見つかって殺されてしまうかもしれない。

床下を見つめる。


「そこに誰かいるのか!」


他にエチュードが隠れていないか確認しに来た兵士によって8番は見つかってしまった。

咄嗟に建物の外へと走る。


「待て!」

「捕まえろ!」


声と足音が追ってきたが、振り返らずにひたすら走った。

そうしているうちにやがて誰もいなくなっていた。


一人になって考えた。

どこに行けばいいのか。

これからどうすればいいのか。

だが何も浮かばなかった。

ひたすら人目につかない場所を歩き続けて、8番はついに力尽きた。



小さな部屋の中で目が覚めたとき、一番最初に視界に飛び込んできたのは黄色いエプロンだった。

眩しいほどの鮮やかな黄色いエプロンをつけた男が、8番が寝ているベッドの横で椅子に座って本を読んでいた。

8番も無口だったが、彼はそれ以上に無口な男だった。

何も言わずにただそばにいてくれることに安心して、この場所が安全な場所だと本能的に感じた。

気づいたらいままであったことのすべてをその男に話していた。

黙って聞いていた男は、話し終えると一言「そうか」と言っただけだった。


次の日、朝早く目覚めた8番は男の家を出て研究所へ向かった。

床下に置き去りにした女の子が気になったからだった。


研究所は荒らされていて誰もいなかった。

シンと静まり返ったその場所を、8番は唇をかみしめながら歩いた。

床下にいた女の子もいなくなっていた。

おそらく兵士に見つかって、連れていかれたんだろう。


目から熱い雫が流れた。

泣くのは初めてだった。

だから止め方がわからなかった。

流れた雫は地面を濡らした。


ふと足元に目をやると、大量の楽譜が散乱していることに気づいた。

その中に『エチュードの10番』があった。

8番はそれに手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめた。


どのくらいそうしていたのか、気が付くとあたりは暗くなっていた。

8番は自分の番号が書かれた楽譜と10番の楽譜を持って外に出た。

ドアの前には、いつからそこにいたのか黄色いエプロンをつけた男が立っていた。


「帰るぞ」


たった一言。

だがそれが8番にはたまらなく嬉しかった。


男は古道具屋を営んでいて、店の中には見たこともない道具やたくさんの本があった。

8番は男のことを「先生」と呼び、そこでいろいろな知識を学んでいった。

先生との静かな時間は、8番にとってこの上なく穏やかで落ち着いた時間だった。


エドワード・フォレスターのことやエチュードのことは、新聞にも一度も載ったことはなかった。マエストロとしての活動も、同時期にぴたりと止まった。

それ以降、この件についての情報は何一つ得られなかった。


すべてをなかったことにして一から人生をやり直すこともできた。

だが、あのとき拾った魔導兵の魔核がいつも語りかけてきた。


「お前は自分のしたことが許されると思っているのか?」

「自分だけ幸せになって、それで満足か?」


かつては励ましの言葉を伝えてくれていたその魔核は、いまでは呪いのような言葉を吐き続けていた。

8番にしか聞こえないその声は彼を苦しめた。


数年後、8番はある情報を耳にした。

隣国が魔導兵研究を行っているというものだった。

噂程度でどの程度信憑性があるものかはわからなかったが、彼は警戒した。

あのとき逃げたエチュードがいたことは、関係者なら知っている話だろう。

もしも実験の為にエチュードを利用したいという科学者が現れたとしたら、きっと8番は最高の実験材料になる。


ここにいたら、先生に迷惑がかかるかもしれない。


そう考えた8番は、先生のもとを離れる決断をした。

そうしてたどり着いたのが、ダンジョンの中の亜空間にあるあの場所だった。

8番には、遺失物の声が聞こえた。

人間に落とされて、置いていかれたモノの声。

利用されて捨てられて、忘れ去られたモノの声。

声が聞こえるのは、自分がそれらに似ていたからだろう。


8番はそこで身を隠しながら、遺失物センターを開くことに決めた。

独立の記念に何か贈ろうと先生が言ったとき、8番は迷わず答えた。


「では、このエプロンをください」



◇◇◇



「ったく、あんなに酔うなら先に行っとけよ」

「すみません……」


チェロキーの馬車酔いで大変な目に遭いながらも、僕たちはなんとか遺失物センターに帰ってきた。


「なんか久しぶりな気がします」


チェロキーが店を見渡しながらつぶやいた。

店主のいない遺失物センターは、やっぱり少し寒く感じる。


「そういえば、あの時はどうしてここに? カフェめぐりが趣味とか、この場所にたどり着けたら正式採用してもらえるとか言ってたけど、どこまでが本当なの?」

「そうですね……。しいていえば全部本当ですけど、ここの店主が私の兄弟を殺したエチュードだっていうのは知っていました。それで、一度顔を見に行こうと思って。当時は幼くて、顔も覚えてなかったので」

「へえ。で、どうだった?」

「どうというのは?」

「恨む気持ちとか、あった?」

「……どうでしょう。ただ、意外でした」

「意外?」

「そんな人には見えなかったので」

「そっか」


僕たちが話をしていると、ジェイドが勝手に注いだ水を一気飲みしてカウンターにグラスを置いた。


「そろそろ行こうぜ。早く行ってやらねぇと、あいつも待ちくたびれちまう」

「ちょっと待って、ジェイド」


僕はカウンター奥の扉に視線を送る。

早く店主のところに行きたいのは山々だったが、どうしてもあれが気になる。


「店主を連れ戻すためにどうしても必要なものなんじゃないかって気がするんだ」


カウンター奥の倉庫のさらに奥。厳重に封印をかけられたその場所に、店主の大切なものが眠っている。そんな気がした。


「つってもこの前確認したときは話もできなかったんだろ? そもそもあいつじゃなきゃ封印解けねぇんじゃねぇのか」

「確かに店主の魔力じゃないと反応しないと思うけど……」

「あるわよ、ここに」

「店主の魔力」


その声に振り返ると、ミランダとメリンダがお互いを指さしていた。


「でも、そんなことしたら双子ちゃんが消えちゃうんじゃないんですか?」


チェロキーが困惑して僕を見た。

たしかに僕たちの形態を保つために使われている店主の魔力を使えば封印は解けるかもしれないけど、そんなことをしたらふたりの姿が剣に戻ってしまう。


「何を悩んでいるの、バル」

「私たちは別に人間になりたいわけじゃないのよ。剣であることに誇りを持っているし」

「それに、おいしいものを食べたくなったらまた店主に魔法をかけてもらうわ。だって、店主を連れ戻すんでしょう?」


店主が戻ってこないかもしれないなんて可能性は少しも考えていない顔でふたりが平然と言う。


何を弱気になってたんだろう。

どこかで、店主にもう会えないんじゃないかって僕は不安に思っていたみたいだ。

前の持ち主みたいに、二度と会えないんじゃないかって。


「そうだね。すぐに連れ戻すよ。だから、お願いできる?」

「ええ」


封印された扉の前で僕たちはふたりを見守る。

倉庫の奥は薄暗い。

ミランダとメリンダは手をつないで、同時に魔力を鍵穴に注いだ。

店主と魔力と同じ色の淡い光がぽうっと灯る。

ふたりの姿がだんだんと薄くなる。


光が消えあたりが暗くなると、二人の姿は完全に消えた。


そして、カチリと扉の開く音が聞こえた。

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