願わくは夢の下にて② 店主の苦手なもの
「わかりました。ひとまず補修をしましょう。裏打ちすればこの状態を維持したままで保存できます」
「補修じゃなくて、書き写すことはできるかい?」
「もちろんできますが、それだとあなたの身体はよくなりませんよ」
「いいんだ。おいらはあんたが書いてくれた新しい地図にすべてを託すよ。もうおいらの役目は終了だ」
静寂が僕らを包んだ。
店主も地図も何も言わなかった。
店主はカウンターから水気のあるものを遠ざけると、慎重に地図を置いた。
そして横に同じくらいの大きさの紙を並べ、さっそく書き写しはじめた。
縮尺を示す記号はないが、崖や森などの絵がところどころにあることから、かなり広い場所だということが想像できる。
店主は一筆ずつ丁寧に道や絵をなぞり取っていく。
しかし。
「……あんた、絵下手なんだな。おいら心配になってきたよ」
「そうですか? わりと上手く描けているほうだと思うんですが」
店主の不得意なものを一つ知ってしまった。
はじめは呪符を書いているのかと思った。
直線もぐねぐねと曲がっているし、縮尺もおかしい。
森の絵にいたっては子供の落書きかと思うほどだ。
裁縫も料理もある程度できるし手先は器用なのに、絵は下手だなんて。しかも自覚がない。
もちろんできますと余裕そうに言っていたからつい得意なのかと思ってしまった。
「どうしよう。店主の地図じゃどこにもたどり着けないよ」
「何か言いました、バルムンク?」
冷たい笑顔で見つめられて、僕はすっと視線を地図に移した。
「ねえ。いままで誰もたどり着けていないってことは、そんなに強い魔物がいるの?」
話を変えようと僕は地図に訊ねた。
「ああ、強いなんてもんじゃないさ。もう歯がまるで立たない。本当に怖い場所だよ」
「へえ」
正直、強い魔物というものが想像できない。
なぜなら店主は遺失物の回収を優先するので、よほど深層に落とされたものを拾いに行く時以外はボスと戦うこともないし、戦うことがあったとしても、店主はそこまで苦労することなく倒してしまうからだ。
「店主でも大変かな?」
僕が何気なく店主に話を振ったのが良くなかったのか。
「あっ」
店主が短く声を上げた。
筆を持っていた店主の手が滑り、あらぬ方向に線が引かれ、本来右に曲がるべき道に左の線が書き足されてしまった。
店主はしばし考えたあと、間違ってしまった左の線の先端を右に大きく捻じ曲げ、何事もなかったかのように続きを描きはじめた。
もはや道を捏造してしまっている。
「店主……」
必死の様子の店主には口が裂けても言えなかったが、店主の地図では宝の場所にたどり着くより前に、崖から落ちて死んでしまいそうだった。
「ああっ」
そうこうしている間に店主はまたしても森と階段を描き間違えるという痛恨のミスをしていた。
「……いいんだ。宝はおいらとともに消え去る運命だったんだ」
悟ったように呟く地図に、店主が視線を向けた。
「ちょっと、なぜ諦めているんですか。私の地図でもじゅうぶん宝の場所まで行けるじゃないですか」
「……ありがとう。こんなに親切にしてくれて。その思いだけでおいらうれしいよ。おっと、おいらはそろそろ時間のようだ……」
「無視しないでくださいよ。あと勝手に消えようとしないでください」
店主は筆をおいてふうっと息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。
「わかりました。行きましょう。宝さがしへ」
「へ?」
地図がまぬけな声を出す。
「あなたは宝が本当にあるか、知りたいんでしょう?」
「そうだけど、でも……」
「直接現地に行って確かめるのと、私が描いた地図をたよりに誰か別の冒険者が宝を見つけるの、どちらが可能性が高いですか?」
「当然直接だよ!」
僕は思わず口に出していた。
「……そこまでひどいですか? 私の地図は」
店主は少し悲しそうに、描きかけの地図を丁寧に折りたたんで捨てた。
「で、でもおいら、もう誰も死なせたくないんだ……」
「矛盾しています。死なせたくないと言いながら、宝は見つけてほしいなんて。あなた本当はどちらなんでしょうか。宝があるかどうか、知りたくはないんですか?」
何もかも見透かすような、穏やかだけど底の見えない瞳でじっと地図を見つめる。
「…………知りたい」
やがて地図は小さな声で答えた。
「じゃあ決まりです。それから……」
これ以上地図が破れてしまわないように、優しく油紙をかける。
「死にませんよ。約束します」
ふっと店主が微笑んだ。




