持ち物には名前を書きましょう② 本当の持ち主
あなたにその指輪は渡せない。
その店主の言葉に、冒険者は戸惑いを隠せない顔で訊ねた。
「どうしてですか? それは私の指輪よ!」
「では、それを証明するものはありますか?」
店主が淡々と事務的に返した。
「そんなのあるわけないじゃない! でも間違いなくそれは私のものよ!」
頭にかっと血が上ったのか、その女性冒険者はこぶしを握り締め真っ赤な顔で店主を睨みつけた。
だが店主は完璧な笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと首を振った。
「ここは遺失物センターですから、遺失物の意思が一番重要なのです」
「遺失物の意思? なによそれ」
「この指輪は、持ち主はあなたではないと言っています」
「何言ってるのよ。指輪が喋るわけないでしょ!」
その言葉に、店主はただ微笑んだだけだった。
しかし、かたくなな姿勢は崩さない。
僕の耳には、小さな指輪の声が聞こえてくる。
「その人じゃない。私の持ち主はその女の人じゃないわ。……どうしてあの人は来てくれないの」
待っていた持ち主ではない、別の冒険者が自分の持ち主だと名乗り出たことで、指輪は混乱し再びぐすぐすと泣き出している。
店主は慰めるように、そっと指先で指輪を撫でた。
「とにかく、あなたはこの指輪の持ち主ではありません。ですが、私にはあなたが嘘をついているようにも見えません」
「当り前よ、嘘なんてつかないわ。ほら、これ!」
冒険者は首にかけていたチェーンを取り出した。
「私はずっとこの指輪をチェーンにつけて、肌身離さず持ち歩いていたのよ。見て!」
そう言って指輪の一部を指さす。
「ここ、チェーンで擦れたキズがあるでしょ? どう? これで私の持ち物だって証明にならない?」
彼女の言うとおり、指輪には内側に何かが擦れたような跡があった。
指輪の証言がなければ、間違いなく彼女が持ち主だと思ったはずだ。
さすがに店主も少し困ったように、指輪と冒険者を交互に見つめる。
「あなたの言い分はわかりました。ですが、本当にこれはあなたの指輪ですか? もう一度、よく見てみてください」
その言葉に悪意や騙そうという意思がないことを感じ取ったのか、冒険者もだんだんと落ち着きを取り戻していった。
店主に椅子をすすめられ腰を下ろした冒険者は、ハンカチの上の指輪を手に取るとまじまじと観察した。
「大きさだって一緒だし、そこまで新しくも古くもないところまでおんなじ。ねえ、やっぱりこれは私のもので間違いないと思うんだけど」
店主は珈琲を彼女に差し出すと、考え込むように顎に手を当てる。
「内側はどうです? 何か刻印とか模様とかがあったりは?」
「刻印?」
彼女は指輪をつまむと上に掲げ、ランプにかざした。が、すぐに諦めた。
「……見えないわ。ここちょっと暗いんじゃない?」
ちょっと気が短いみたいだ。冒険者らしいともいえる。
店主はにこりと笑ったまま僕に視線を送った。
しかたなく僕は横から手を伸ばして彼女から指輪を受け取った。
同じようにランプにかざす。
揺らめくランプの灯りに照らされて、内側に陰影が浮かび上がる。
「あ、何か書いてある。『永遠の愛をこめて。MからEへ』……」
その瞬間、彼女が飲んでいた珈琲を噴き出した。
顔に珈琲の直撃を受ける。
「わ、ちょっと何するの」
近くにあったタオルで顔を拭いて文句を言うが、彼女は驚いた表情で固まったまま微動だにしない。
そしてようやく絞り出すように、かすれた声でこう言った。
「それ……私のじゃ……ない…………」
そして彼女は、ゆっくりと語りはじめた。
指輪についての思い出と、かつて愛した人の話を。
◇◇◇
「いったん整理しましょう」
彼女の話を聞いた店主がまるで納得のいかない表情で話を引き取った。
「つまりあなたは、かつて別れた恋人にもらった指輪を、ネックレスにしてお守りのように大事にしていた。それをダンジョンで落とした。ここまではあたなの身に起きた事実ですよね」
「ええ」
「そしてここからがあなたの推測です。同じダンジョンで、そのかつての恋人が偶然同じように指輪を落とし、自分の指輪と間違えてあなたの指輪を拾った。その後拾われることのなかった彼の指輪が、こうしてここに届けられた。こういうことですか?」
「そのとおり」
彼女は大きくうなずいた。
確かにその説明なら、本来の持ち主である冒険者が指輪を取りに来ない理由がわかる。彼は自分のものだと思い込んでいて、その指輪がすり替わっていることに気づいていないのだろう。
「私の指輪には、確か『EからMへ』って書かれていたの。エリオからマイアへ。マイアは私の名前で、エリオは彼の名前。彼とおそろいで指輪を作って、お互いに贈りあったの。だから彼の指輪には、『マイアからエリオへって書かれてるのよ」
熱弁する彼女に、しかし店主は腑に落ちない顔で首を捻った。
「彼も同じように指輪をネックレスにして、偶然サイズも同じで、偶然同じダンジョンに、しかも同時期に入って、そしてどちらも指輪を落とした、と。偶然にしては出来すぎてはいませんか」
「偶然っていうか運命なのかも……」
彼女が頬を赤らめてぽつりとつぶやいた。
「二年前、彼のほうから別れを告げられて、私はずっと未練たっぷりで生きてきた。ずっと一緒にいようって言ってくれたのに、私を置いていなくなるなんてひどいって。でもそんな彼を忘れることが出来なくて、指輪を捨てることが出来なくて。でも、彼も同じように指輪を大事にしていたのなら、脈ありと思っていいのかしら?」
「ここは恋愛相談所ではないので、他をあたってください」
冷たくあしらった店主の陰から、突然声がした。
「恋愛相談なら、私たちに任せて」
「私たちは恋のえきすぱーとよ!」
ミランダとメリンダだった。
先ほどまで興味なさげに自分たちの世界に浸っていたのに、彼女たちの恋バナセンサーが動いたようだ。
どこで覚えてくるのか、最近難しい言葉をよく使いたがる。
どのへんが恋のエキスパートなのか聞きたかったが、それを聞いた瞬間八つ裂きにされそうなのでやめた。
「私知ってるわ」
いつも表情の乏しいミランダが、今日はやけに得意げに目を光らせた。
「指輪をネックレスにしている人っていうのはね、心臓に一番近いところに指輪を置いているってことだから、心臓が弱点ってことなのよ。狙うなら心臓一択ね」
「人間はみんな心臓が弱点だよ、ミランダ」
僕のツッコミはミランダには届かない。
「私だって知ってるのよ!」
今度はメリンダが対抗して訳知り顔で前に出た。
「つまりあなたは彼ともう一度付き合いたいのよね? 人間の男は胃袋を掴むといいって聞いたわ。まず短剣で腹を横に切り裂いて、それから——」
「ちょっとちょっとメリンダ、物理的な話じゃないから!」
そんなことしたら付き合うどころか死んでしまう。
一体彼女たちは本当にどこで情報を得ているのか。情報源に不安しかない。
「そもそも、どうして振られたのかはわかってるの?」
僕の問いに彼女は眉を寄せた。
「それが……彼は私が冒険者を続けることを反対してて。危ないからって。それで喧嘩になって……。結局私はまだ冒険者を続けているから、彼とはよりを戻せないかもしれない……」
テーブルに顔を伏せて大きなため息を吐く。
僕には人間関係のごたごたや、まして色恋のいろいろなことなんかは縁がないけれど、多分どっちが悪いというわけじゃなくてもうまくいかなくなることはたくさんあるのだろうと思う。
「とにかく、もう一度きちんと向き合ってみてはいかがですか? この指輪を彼のもとに返してあげないといけませんし」
店主が彼女を促すと、しばらく考え込み、やがて一つ大きく頷いて椅子から立ち上がった。
「わかりました。とにかく、この2年私が努力して強くなったことをちゃんとわかってもらうわ。そのうえで、きちんと自分の気持ちを伝えてみます!」
「はい、頑張ってください」
彼女を見送った後、店主は指輪に顔を近づけてそっと訊ねた。
「あなたはこれでよかったのでしょうか。もしかすると、あなたにはつらい思いをさせることになるかもしれません」
指輪は静かに、だがはっきりと告げた。
「いいの。私は彼にすごく大事にされてたくさん愛されてきたの。それがもし、さっきの女の人に向けたものだったとしても、”モノ”としては、十分愛されたと思うもの。だから私は、彼が幸せになるならそれが一番うれしいわ」
店主はふっと微笑んだ。そこには敬意が滲んでいる。
「あなたのその無償の愛は、きっと持ち主にも伝わっているはずですよ」
「そうかしら」
嬉しそうな、それでいてどこか寂しそうな声で指輪がこたえた。
指輪はその後、照れたように笑い合う男女によって引き取られていった。
近い将来、指輪の定位置は心臓ではなく左手の薬指に変わり、その後もずっと彼とともに生きていくのだが、そのことはまだ誰も知らない。




