持ち物には名前を書きましょう① 愛された指輪
あの人は、私のことをずっと大事にしてくれていた。
私は幸せだった。
ずっとあの人と一緒にいようと思っていたのに、どうして?
どうしてあなたは行ってしまうの?
遠ざかる足音が聞こえる。
私を置き去りにしたことにも気づかずに、あの人は去っていく。
◇◇◇
ここは『ダンジョン遺失物センター』。
ダンジョン内のすべての落とし物が集まる場所だ。
カウンターでは店主が珈琲豆を挽き、のんびりと開店の準備をしている。
その姿は、いつもと何も変わらないように見える。
「店主、魔力は大丈夫?」
「ええ、もうなんともありません」
「本当?」
店主は手のひらを上に向けると、そよ風を起こしてみせた。
「ほら。何の影響も残っていませんよ」
昨日、ダンジョンの中で呪符が貼られた遺失物を拾った後、店主は魔力を封じられ魔法が使えなくなった。
一日程度で効力が消えると言っていたけれど、少し早めに回復したのだろう。
さすが店主だ。
ちなみに、あの後店主はジェイドにこっぴどく怒られていた。
ジェイドは日頃から、ダンジョンに入る場合はその深さにかかわらず必ず護衛をつけろと口酸っぱく言っていた。
でも店主は当然のようにそれを無視して、深層に行く場合のみジェイドに護衛依頼をしていたのだ。
今後もこんなことがあったらどうすると心配するジェイドに、店主はいつもの涼しい顔で「そのときはまた助けに来てくれますよね?」と煙に巻いていた。
そして、あの遺失物を店主がどうしたのか、僕はわからない。
「ですが……」
店主がふと手を止めて、困ったように眉を下げる。
「筋肉痛になりました」
「え?」
太もものあたりをさする店主を驚いて見る。
昨日はすごく余裕そうに見えたのに。
「さすがにあの長い階段を段飛ばしで走ったのはきつかったですね」
「意外……」
「実はああいう場面では普段、風魔法で体を軽くしているんですよ。だから久々に自重を感じました。もっと鍛えないといけませんね」
「……必要ないと思うよ」
「そうですか?」
きょとんとした顔でこちらを見る店主に、僕は曖昧な笑みを返した。
細身だが均整のとれた身体がジェイドみたいに筋肉質になるのも嫌だし、そもそも遺失物センターに筋肉は必要ないはずだ。
「バルムンク、そろそろ開店しましょうか。お客さんももう来ているみたいですし」
そう言うと店主は店の外に視線を向けた。
そこにあったのは、小さなプラチナの指輪だった。
店の前に、いつのまにかぽつんと置かれていた。
ダンジョンが異物として吐き出したのだ。
僕は駆け寄って指輪を掴むと、店主に差し出した。
「どうしよう、店主。すっごく泣いてる」
「そのようですね」
指輪は先ほどからずっと、声を上げてわんわんと泣き続けている。
店主は指輪をそっと受け取ると、カウンターの上に柔らかいハンカチを折りたたんで置き、静かにその上にのせた。
「どうしたんですか? 少しずつでいいので、教えてください」
店主は椅子に腰かけ、ゆったりと優雅に足を組んだ。
相手を急かすことなく、しっかりと寄り添っている。
ぐすんぐすんと泣き声を漏らしていた指輪だったが、やがて落ち着いたのか、泣き声が止まった。
「……あなた、人間なのに私の声が聞こえるの?」
まだ涙の残る声で指輪が訊ねた。
「ええ。数少ない特技の一つです」
店主がにっこりと微笑む。
「そう。あの人もそうだったら良かったのに」
「あの人というのは、あなたの持ち主のことですか?」
「ええ、そうよ」
再び声が震えはじめる。
「いつも一緒にいるのに、どうして私が落ちたことに気がつかないの……」
「ダンジョン攻略中に落とされてしまったのですね」
「私、何度も呼んだのに。置いていかないでって何度も……」
よほど持ち主のことを大切に思っていたに違いない。
その声は消え入りそうなほど小さく、不安に揺れていた。
基本的に、モノは自力で動くことはできない。
モノの運命はすべて持ち主にゆだねられている。
どんなに大事にされていても、壊れたら捨てられてしまうかもしれない。
飽きて自分に興味を持たなくなるかもしれない。
所詮は道具。
自分より質の良いものがあれば、そちらに乗り換えられてしまっても仕方がない。
いつもそんな不安が付きまとう。
だがそれでも、大事にされた分だけ、モノは持ち主を好きになってしまうのだ。
「それは辛い思いをしましたね。ですが、ほとんどの人間はモノの声を聞くことができないのです。きっと持ち主はいまごろ、あなたがいなくなったことに気づいて大慌てで探しているはずですよ」
「本当にそう思う?」
「ええ。すぐにここに、あなたを迎えに来てくれるはずです」
少し安心したのか、指輪はふふっと小さく笑った。
「そうね。あの人、私にいつも口づけして寝るのよ。私がいないことにきっとすぐに気づくわね」
いつもは首から下げているが、寝るときだけは外して眠る。
その時にかならずキスをしてくれるのだと指輪は嬉しそうに笑う。
その声はとても幸せそうだった。
冒険者がやってきたのは、それからすぐのことだった。
「すみません、ここに落し物があるかもしれないと聞いてきたんですが」
長い金髪を無造作に一つにまとめ、全身をすっぽりと覆うマントを着た冒険者が、不安とも焦りともつかない表情で店に入ってきた。
「こんにちは。あなたの落とし物というのは?」
「あの、指輪なんです。小さなプラチナの……」
店主はハンカチごと指輪を持ち上げて冒険者に差し出した。
「それはこちらの指輪ですか?」
その瞬間、冒険者の表情が一気に明るくなった。
「これです! 本当に大事なものだったんですが、うっかりダンジョンで落としてしまって。見つかってよかったです!」
冒険者が安堵の息を吐きながら指輪に手を伸ばした。
ところが。
店主がさっと手を引いた。
「残念ながら、あなたにはこちらの遺失物をお渡しすることはできません」
店主が静かにそう告げた。




