時には昔の話を③ 戦場の女神
「クソッ、まだ実用化どころか、耐久試験もできてないのに!」
カムリが紙をぐしゃぐしゃに丸めた。
レイチェルは彼の隣に座り、静かに話を聞いた。
「魔力の循環が問題なんだ。魔道具はある程度使用者の魔力を使って循環と安定ができるけど、僕が作りたいのは自律して動く魔道兵なんだ。戦争なんて、せめて循環と魔力補給の問題が解決してからにしてくれよ! 教授も、上のやつらもまるで分っていない。人間が血を流すことに何の意味があるっていうんだ!」
無知なレイチェルは、彼が言っていることはおろか、自分の国がどこと戦っているのかさえ分かっていなかった。
それでもレイチェルは彼の頭をそっと撫で、彼を励ました。
劇団で公演中のミュージカルの唄を口ずさむ。
『顔を上げて カムリ
ほら 太陽が輝いている
手と手を合わせれば なにもかも うまくいく』
「いまは夜だ。太陽なんて出てないよ、レイチェル」
「ここにあるでしょ、太陽」
おどけて自分を指さしたレイチェルの額に、カムリが微笑んでキスを落とした。
レイチェルがカムリにあの喫茶店に行こうと言われたとき、悪い予感しかしなかった。
その頃、戦火はますます激しくなっていき、嘘やデマがたくさん流れ、何が本当で何を信じればいいのか、人々は分からなくなっていた。
レイチェルの劇団も演目に規制がかけられ、恋や友情を題材にしたものではなく、人々を高揚させるような戦物語しか演じられなくなった。
「レイチェル、君に話があるんだ」
「いい話? 悪い話? 悪い話なら聞きたくないわ」
「……悪い話だ」
「なら聞かない」
「でもいい話でもある」
初めてであったあのボックス席で二人は向き合って座っていた。
あの時と違うのは、カムリがレイチェルをしっかりと見つめていることだった。
カムリがレイチェルの手に自分の手を重ねた。
「レイチェル」
「嫌よ」
「レイチェル」
ゆっくりとカムリが告げた。
「僕は戦争に行くよ」
その瞬間、レイチェルは立ち上がりカムリの頭や胸を何度も叩いた。
「嘘つき! これのどこがいい話だっていうのよ!」
彼女の大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。
カムリは立ち上がってレイチェルを抱きしめた。
「魔導兵の試作機がついに完成したんだ。僕は戦地でそれの実地試験を行うんだ。ついに夢がかなったんだよ」
レイチェルは涙でぬれた目でカムリを見つめた。
「大丈夫。僕は人間が誰も死なないためにずっとこれを作ってきたんだ。だから安心してほしい。僕は傷つくことも君の前からいなくなることもない。量産する手はずさえ整えば、すぐに帰ってこられるさ。だから待っていて、レイチェル」
「あなたの夢がかなったのね……?」
「そうとも。これで誰も死ななくなる。な? いい話もあっただろ?」
「……ええ、そうね」
二人は涙で濡れた顔で笑いながら抱き合った。
彼女は何もわかっていなかった。
それはカムリも同じだったかもしれない。
戦争の恐ろしさを。悲劇を。
カムリが戦地に発った後も、レイチェルはカムリのその言葉を信じて待ち続けた。
戦争は泥沼化し、戦況を伝える新聞は、数日前の使いまわしのような情報を垂れ流す。
戦争を始めた上の人たちは、始め方は知っていても終わらせ方を知らなかった。
やがて戦争は日常になっていった。
来る日も来る日も彼の帰りを待ち続け、だんだんと同じアパートで暮らしていた人々もひとり、またひとりと去っていった。
その日、レイチェルは10分後にはじまる公演のために小さな劇場の楽屋にいた。
レイチェルの役は勝利の女神だった。
神話の時代の戦いをモチーフにした作品で、勇気を失い戦場が怖くなった男たちの前に現れ、「大丈夫、私が付いているわ。怖がらずに敵に立ち向かいましょう」と励ます女神。
同じ楽屋で仲間が見ていた新聞に目が留まった。
「それなに?」
「いつものつまらない話が載った戦況新聞だよ」
手渡された新聞を見る。華々しく戦果を書き記した記事に隠れて、隅の方に小さく書かれていた記事に目が吸い寄せられる。
『魔導兵実験は失敗に終わる。■■教授以下研究員7名全員死亡。軍上層部はこの責任は研究所にあると発表し————』
「なによ、これ」
「レイチェル?」
「嘘だわ……嘘よ……」
頭は真っ白だった。
だが公演の時間だ。
体は勝手に動き、何度も練習してきた言葉が勝手に口から出ていく。
レイチェルは、自分が立っているのが舞台の上なのか戦場なのかわからなかった。
自分をかすめて飛んでいく魔法弾。馬のいななき。土埃。血の匂い。
舞台の上に、命の取り合いをする本物の戦場が見えた。
「カムリ……」
音もなくその名を呼んだ。
レイチェルはセリフを言う。普段と同じように、笑顔で。
「あなたたち、もう大丈夫よ! なんてったって、この国には勝利の女神の私が付いているんだからね。さあ立って。勇気を出して敵と……」
レイチェルは固まった。
セリフを忘れたと思ったのだろう。言葉が途切れたレイチェルを兵士役の役者が振り返って、口を動かして続きのセリフを伝えてくる。
「さあ立って、勇気を出して………………………………」
しばしの沈黙に、客席がざわめく。
そしてそれを切り裂くように、彼女の大きな声が響いた。
「戦争なんてばっかみたいっ!」
レイチェルは顔を上げると、客席を睨みつけた。
「勝利の女神なんていない! どんなに戦争を美化しても、そこにあるのはただ愛する人の死だけよ! 戦争なんて意味ないわ! たとえ勝ったとしても、あの人のいない世界で、どうやって幸せになれるというの!」
そして兵士役の男たちに叫んだ。
「敵に立ち向かう必要なんてない! あなたたちがすることは、すぐにその馬鹿げた殺し合いをやめて、愛する人のもとに帰って温かい食卓を囲むことだわっ!」
そしてとうとうレイチェルは大きな声をあげて泣き出した。
「カムリ……カムリ……帰ってくるって言ってたじゃない……カムリ……」
公演は中止になり、レイチェルは劇団をクビになった。




