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いつか壁にぶつかるでしょう② 忘れられない傷と新しい出会い

◇◇◇


ぼうやが生まれたとき、一番にぼうやを抱きしめたのは私だった。


この世に生を受けた戸惑いに泣くぼうやのことを、優しく包み込んであげた。

ぼうやは私の腕の中ですやすやと眠った。


その寝顔を見ながら私は呟く。


いとしい いとしい 私のぼうや


まだ柔らかいその肌に傷がつかないように、寒くて凍えることがないように、私はしっかりとぼうやを包んだ。


ぼうやは日ごとに成長していき、そのよだれだらけの顔を私にくっつけて笑った。


げっぷが上手くできずに吐いたことも、おもらしをしたことも、いまとなってはどれも大切な思い出。


自分で歩ける年になっても、ぼうやは私を離さなかった。


風邪を引いたときは傍にいて、寒い冬も常に一緒に眠った。

ぼうやがどんなに大きくなったって、眠るときにはいつも呟いていた。


いとしい いとしい 私のぼうや


ぼうやが大人になり、冒険者になった時も、私を連れて行ってくれた。

仲間にからかわれても「これがないと落ち着かなくて」と笑っていた。


ぼうやが幸せな時は私も幸せになり、ぼうやが悲しい時は私も悲しくなった。

ぼうやは私のすべてで、私の命に代えても守りたい、大切な存在だった。


あの日。


ぼうやは消えた。


私の目の前で魔族に殺された。



許せない——。


私のぼうやを奪った魔族が許せない。憎くて憎くてたまらなかった。


私はぼうやと一緒に消えてしまいたかった。

ぼうやのいないこの世界で、ひとりで生きていくことなんてできないと思った。


黄色いエプロンをつけた男の人が私のことを拾いに来た時、私は彼にお願いした。


私をぼうやのところへ連れて行ってほしいと。


彼は、それはできないと悲しそうに笑った。


そのかわりに、私は眠ることにした。


夢の中で私はずっとぼうやと一緒だった。

ぼうやは、赤ん坊の姿だったり青年の姿だったりしたが、いつも私を抱きしめてくれた。

思い出に過ぎないとわかっていても、私はぼうやとともにいられて幸せだった。


いとしい いとしい 私のぼうや


でも突然、声が聞こえてきた。

悲しそうな幼子の声——。


どうしたのかしら。何がそんなに悲しいのかしら。


幼子は母を呼んでいた。

何度も何度も、泣きながら、会いたいと泣いていた。


その泣き声に、私の胸は締め付けられた。

私が抱きしめてあげたい。


そう思った瞬間、私のぼうやがだんだんと遠ざかっていった。


ぼうや!

行かないで! お願い! 待って、ぼうや!


私は叫んだ。

でもぼうやは子どものままの無邪気な笑顔を私に向けた。


いままでありがとう。僕はもう大丈夫。


あたりが白い光に包まれた。

目を開けると、ぼうやの姿はもうどこにもなかった。



◇◇◇



店主は奥の倉庫から白い箱を一つ持ってきた。

カウンターに置き、そっと箱を開ける。


中には使い込まれた毛布が一枚入っていた。

毛足が長く、とても暖かそうだった。


店主は優しく取り出すと、泣いている男の子をその毛布で包んだ。

男の子は驚いて顔を上げ、そしてゆっくりと温もりを確かめるようにそっと毛布に触れた。


「あったかい」


「ぼうや……」


毛布がそっとささやいた。その見た目通りの、温かくて包み込むような声だった。


「おかあちゃん……?」


男の子の目から、ぽろりと涙が零れた。


「ここにいますよ、ぼうや」


毛布がそれに応えると、男の子はしゃくりあげた。


「おかあちゃん! おかあちゃん!」


濡れた顔を毛布に押し付ける。

毛布が涙で濡れていく。

毛布も一緒に泣いているみたいだった。


ジェイドも双剣も僕も、つられて泣きそうになる。


ただ一人店主だけが冷静に、毛布に訊ねた。


「酷なことを言うようですが、あなたはこの子の母親にはなれません。それでも、この子と一緒に行きますか?」

「ええ。この子には私が必要で、私にもこの子が必要です」

「あなたのぼうやを殺したのは魔族で、この子の母親を殺したのは人間です。それでも?」


毛布が息子のように大切にしていた冒険者は魔族に殺された。男の子は魔族だ。

そして同じように、男の子の母親は人間に殺された。


魔族を恨んでいないはずはない。

それでも毛布ははっきりと頷いた。


「それでも、私はこの子のそばにいたいんです」


店主はそれを聞き、少しほっとしたように力を抜いて笑った。


「あなたならそう言うだろうと思っていました」


そして毛布と男の子の両方に告げた。


「魔族と人間は敵対し、いがみ合い、殺しあっている。あなたたちにも忘れられない思いと消せない過去がある。きっといつか、そんな壁にぶつかるときが来るでしょう」


店主は手を伸ばすと、ぎこちない手つきで男の子の頭を撫でた。


「ですが、あなたたちならそれを乗り越えられると信じています」



男の子が小さな足で立ち上がった。その両手にはぎゅっと毛布を抱きしめている。毛布も男の子を温かく包み込んだ。

ふたりをおおっていた絶望が、かすかに希望の光に変わっていく。

それはまだ本当に小さな光だけれど、ふたりはその灯を大事に大事に守っていくだろう。

その後姿が見えなくなるまで、僕たちは静かに見つめていた。

この先の未来が少しでも明るいものであればいいと願いながら。


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