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忘れられた落とし物④青い服の女神

「これに見覚えはありませんか」


店主はカウンター席に座るジーノにそっとハンカチを差し出した。

首を傾げながらジーノはそっと手を伸ばすと、そのハンカチを広げて刺繍をじっくりと眺めた。

見る間に彼女の目尻に涙が溜まっていく。


「これ、確かに私が刺繍したものです」

「そうですか」

「このハンカチは、昔アデラインに来た旅のお医者様に渡したものなんです」


東の大陸にある国の小さな都市、アデライン。いまでこそ立て直したが、以前は貧しい国だった。

裕福ではない国のさらに地方では、貧困層が多く、飢えや病気に苦しむ人々がたくさんいた。

ジーノもその一人だった。

ジーノの家は食品を扱う商家だったが天候不良や人手不足などで商品自体が思うように入手できず一家は苦しい生活を送っていた。

そんな時、弟が病気になった。

その頃流行していた感染症がジーノの住む村にも広がったのだ。栄養状態がしっかりしていればそこまで恐れることのない病気だったが、まだ5歳の弟は食べるものもなくやせ細っていた。

この状態で病気になることがどれだけ危険なことか、幼いジーノにもわかっていた。

両親は弟を部屋に隔離し、ただ神に祈るのみだった。

ジーノはいてもたってもいられなかった。

少しでも弟の栄養をつけさせようと自分の食事を減らし弟の皿に分け与えた。

同じ病気にかかって回復したという人に、どんなのことをしたのか尋ねて回り、それを試した。

しかし一向に弟の具合はよくならない。

両親も心労でやつれていく。

このままでは家族がみんな死んでしまう。ジーノは何もできない自分に怒りを覚えた。


「そんな時、あの方が現れたんです。青い服に全身を包んだ、旅のお医者様。最初に見た時は女神かと思いました」


その女性医師は動ける人々にてきぱきと指示を出し簡易的な隔離施設を一晩でつくりあげた。そこに村中の患者を集め、重症度に応じてエリア分けし、優先順位と治療を変えた。

弟は最重症患者の場所に寝かされた。

家族でさえ感染を恐れて隔離するだけだった弟に、彼女はにっこりと微笑んで手をつないだ。


『私が必ず治してあげる』


そう微笑む彼女は、どんな薬より効果があった。

彼女の的確な治療と献身的な看病のおかげで弟は回復した。

ジーノは彼女について回り、仕事の様子をじっと眺めた。

薬草を煎じたり調合したりする手つきはとても素早く、体長や症状、体格などから患者一人一人にあった処方と治療を行う。


『魔法みたい!』


ジーノが感動すると彼女はにこりと笑った。


『魔法じゃない、医療だよ』


傷や病気を治す白魔法使いは存在するが、その数は極めて少ない。

ジーノのような一般人が治療してもらえるような相手ではない。

だから自分のような医者が必要なんだと彼女は笑った。


「彼女のおかげで私の村は救われました。私はどうしても感謝の気持ちを彼女に伝えたくて、この刺繡をしたハンカチを作ったんです」


露草は薬にもなると彼女が教えてくれた。

青い服の色とその花の色が同じだし、可憐で美しく、薬効もある。彼女にぴったりだと思った。

村の患者が落ち着いたからと彼女が村を去る日、ジーノは泣きながらハンカチを渡した。

村の人々も皆感謝の言葉を贈り、彼女を見送った。次の行き先を聞かれた彼女は、患者のいるところだと答えて笑いながら去っていった。


「私が薬剤師をしているのは彼女の影響なんです。少しでも彼女に近づきたくて」


ジーノの指がやさしく刺繍を撫でた。


「でも、どうしてこれがここに」

「さあ。うっかり落としてしまったのかもしれませんね」

「実は私、少し迷っていたんです。医療に携わる者としての覚悟、というか。とにかく最近自信を無くすことがあって、この仕事向いてないんじゃないかって思ってたんです。でも……私がどうしてこの道を志したのか、ちゃんと思い出せました。このハンカチのおかげです」


ジーノはハンカチを大事にポケットにしまうと、お礼を言って店を出た。


「その魔法陣に乗ってあなたがいた場所を思い浮かべてください。ダンジョンの入り口に出ることができますよ」

「本当に、ありがとうございました。きっと彼女もどこかでまだ旅を続けているんでしょうね。いつかもう一度会うことがあったら胸を張って会いたいので、私、頑張ります!」

「応援していますよ」


店主は笑ってジーノを見送った。

ハンカチから話を聞いていたなら、その女性医師がどうやってそれを落としたのか店主は知っているはずだが僕はあえてそれを訊ねなかった。

世の中には知らなくていいこともたくさんあるはずだ。

店主が先ほど叩きつけたこぶしを見つめていたのを、僕は見ないふりをした。


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