プライバシーは配慮しております③店主の恋
「それは偶然だった。だが運命ともいえるかもしれない。花屋の前で、彼女がハンカチを落とした。僕はそれを拾い上げた。花の刺繡が入った真っ白なハンカチからはガーベラの香りがした」
「え、匂い嗅いだの?」
「いやだわ!」
「僕は急いで彼女を追いかけた。勇気を出して、後姿にすみませんと呼びかけると彼女はふわりとスカートを膨らませながらこちらを振り向いた。その姿は尊く気高く、女神がそこにいるのかと錯覚するほどだった。ピンクのガーベラの花言葉は『崇高なる美くしさ』。まさにその言葉は彼女を表していた。彼女は僕が差し出したハンカチに一瞬驚いた顔をした。そして花のつぼみがほころぶように美しく微笑んだ。この世の美しいものをすべて集めても君の美しさにはかなわない。僕は直視できずに目をそらした。すると彼女はあろうことか僕の手をその華奢で白い両手で握りしめ、その小さな唇が『ありがとう』と動いた。僕は天にも昇るような気持だった。いやもはや少し昇天しかかっていた。一生分の幸せを集めても、いまこの瞬間に勝るときは訪れないと僕は確信した。しかし、ここから地獄が待っていようとは僕は思ってなかった」
ここまでひと息に喋ると、日記はしばし沈黙した。
「え? この後どうなるの?」
「地獄って何!?」
「なんで黙ってるの?」
なぜエリオは天国から一気に地獄に突き落とされてしまうのか。エリオに何があったのか。それともフィオリーノに何かが?
続きが気になってしょうがない僕らが声をかけるが反応がない。
「もう一度箱に入れてみましょうか」
あんなにプライバシーとか言っていた店主までもが身を乗り出した。
なかなか喋り出さない日記に焦れたのか、ミランダが口を開いた。
「あんなに情熱的に誰かを思うってどんな気持ちなのかしら」
「人間は誰でも恋をすればあんな恥ずかしいことを平気で言えるようになるの?」
メリンダが店主に訊ねる。店主は苦笑しながら少し考えるようにカップを置いた。
「どうでしょう。人によるとしか……」
「店主は恋したことある?」
「内緒です」
「店主もあんなポエムを書くの? 君の瞳がどうのこうのって」
「内緒です」
「え! 書いたことあるの!? 誰? どんな人?」
「そもそも恋愛対象は人間なのかしら」
「確かに、遺失物《僕たち》と話してばっかりいるから、人間じゃないのかも」
「そもそもこんな所じゃ出会いがないわ」
「てことは店主……」
「勝手に話を進めないでください」
エリオの恋の行方がなぜか店主に飛び火したところで、突然日記が話を再開した。




