前を見ながら後ろを見る⑩言葉がなくても
カウンターの上に置かれたバングルが、いままでのことをとうとうと話した。はじめて自分の声を聞いてくれる存在に会い、ずっと心に募っていた思いが溢れて止まらないのかひたすら話し続けている。どれだけ素晴らしい師弟関係だったか。親のいないニロにとっては師匠であり親だった。師匠にとってもニロはかけがえのない存在だったのだと。
店は休みだから僕たち以外には誰もいない。店主はゆったりと珈琲豆を挽きながら先を促した。
「それで、なぜあなたはあの場所に?」
「……あの場所が彼が最期を迎えた場所だからだ」
僕ははっと息を呑んだ。
ニロと師匠は『時の牢獄』の攻略に向かった。いままでも何度もダンジョンに入っていたから、ニロはこれが二人での最後の冒険になるとは夢にも思っていなかったのだ。しかし、年老いた彼は知っていた。自分の人生の終わりがすぐそこまで迫ってきていることに。彼は誰よりも冒険者らしくあろうとした人物だった。死に場所ははじめから決めていた。最期まで剣を握り、冒険者として逝きたい。そしてその姿を弟子に見せることこそが、自分が教えられる最後の心得だと。だから彼はダンジョンの古城の入り口で、彼のバングルを弟子に譲ったのだ。自分の存在が、ニロのこれからの長い冒険者人生に少しでも役立てばいいと思って。
誰よりも師匠を理解し寄り添ってきたニロだったが、しかしその最後の思いだけは伝わらなかった。
「ニロは師匠が死んだあと、冒険者を辞めた。彼の最期の場所に俺を置いて、行ってしまった」
バングルは悲しそうに魔石をキラキラと光らせた。それはまるで泣いているようにも見える。
「俺は悔しくてたまらないんだ! もしも俺の声がニロに届いたなら、全部話してやることができたのに! 冒険者を辞めることなんて、あいつの望みとは全然違う! ニロだってあんなに楽しそうに冒険者をやっていたのに……!」
バングルの金属の混じる声が響く。店主は豆を挽く手を止めて、少し離れたところで一人酒を飲んでいるジェイドに声をかけた。
「新しい依頼をお願いします。人探し、頼めますか?」
「ったくボス倒したばっかだっていうのに人使いが荒えんだから」
「報酬として飲みたがっていた限定バーボンを差し上げようと思っていたんですが、残念です」
「やる! やるよ!」
店主がカウンターの下からちらりと茶色い瓶を持ち上げて見せると、途端にジェイドの目の色が変わった。すぐに上着を掴むと魔法陣に乗ってどこかに消えた。
今回のように持ち主があえて置いて行った場合は、遺失物の持ち主が自ら現れる可能性は少ない。名前の情報だけで探せるのかはわからないが、意外とジェイドは顔が広いらしいから何とかなるだろう。
ジェイドが戻ってきたのは翌日のことだった。
大柄なジェイドの背に隠れるようにして、まだ少年の面影の残る細身の青年、ニロが現れた。
「おい店主、連れてきたぞ」
「これはまた、だいぶ手荒な真似を……」
ニロの身体にはロープが巻かれ、逃げられないように両手も縛られている。その顔は暗く淀み、酒の匂いが漂っている。
「いやあ、酒場で飲んだくれてたところに声を掛けたら暴れるもんだからよ。限定バーボンに逃げられちゃ適わねえと思って、ついな」
「なんなんだよあんたら!」
こちらを睨みつけながら叫ぶニロに苦笑しながら店主が口を開いた。
「私は物と話をすることができると言ったら、あなたは信じますか」
「はぁ? 何言ってんだよ、信じるわけねえだろうが、そんなの!」
「では、これに見覚えは?」
手に載せたバングルをニロの目の前に差し出す。ニロの目が大きく開かれた。
「あなたがこれを置いたんですよね、『時の牢獄』のボスの部屋に」
「なんでそれを……。けど、だったらどうだっていうんだ! これはあの場所に置く必要があったんだよ!」
「弔いのため、ですか? でも”彼”はそんなこと望んでいなかったようですよ」
店主がバングルに視線を送る。
「なんでそんなことお前にわかるんだよ! お前が何を知ってるっていうんだよ!」
店主に掴みかかろうとしたニロのロープをジェイドが引っ張る。バランスを失った彼は床に膝をつき、興奮で赤くなった顔で店主をなおも睨みつけた。
だが店主は涼しい顔をして応えた。
「ああ、彼というのはあなたの師匠のことじゃないですよ。このバングルのことです」
「はあ?」
「色々教えてくれましたよ。あなたが弟子入りをした時のことや、はじめて魔物を倒した時のこと。初恋の相手が隣村のパン屋の娘だったことやただの氷魔法に『白銀の堕天使』って名前を付けてたこととか……」
「ちょ、ちょっと待て! もういい!」
「信じてもらえました?」
店主は首を傾げてにっこりと微笑んだ。
「……本当に話ができるのか?」
確かめるようにこちらを窺い、本当のことなのだと確信するとその表情が大きく歪んだ。
「だったら教えてくれ! 師匠は、師匠は俺のことをどう思っていたのか。出来の悪い弟子だと失望していたんじゃないのか、俺みたいな弟子をもって師匠は幸せだったのか……」
言葉は次第に嗚咽へと変わった。
ニロはあの時ダンジョンで師匠を救えなかったことをずっと後悔してきたのだ。もっと自分が強ければ、師匠のことを守ることができたのに。もっと修行に励んでいれば、師匠を失うことなどなかったのに。
「そんなことはない! あいつはずっとお前を自慢の弟子だって言っていた。冒険者として魔物を倒す喜び以上の喜びを見つけたって。お前を育てることがこの上なく幸せだって! 頼む店主、これをニロに伝えてくれ! 冒険者を続けてほしいって言ってくれ!」
バングルが店主の掌の上で必死に叫ぶ。ようやく自分の言葉を伝えてくれる存在が現れたのだ。これでやっと誤解が解ける。
「バングルはなんて言っているんだ? 頼む、教えてほしい!」
ニロも頭を下げた。しかし、店主はきっぱりと告げた。
「いやです」
「店主、どうして!」
僕は思わず声を上げた。断られると思っていなかったのかバングルもニロも言葉を失っている。
「だって、私がそれを伝えたところで、その言葉は偽物です。たとえ一字一句間違えずに話したって本当の思いを伝えることなんて私にはできません」
「だからって!」
店主がゆっくりとニロのロープをほどくと、彼の手にバングルを載せた。
「このバングルはダンジョンに入る前に師匠から譲り受けたそうですね」
「……ああ」
「昔、左腕に怪我をしたことは?」
「え? ……たしかに5年ほど前、骨を折ったことがある」
「あなたの師匠は、あなたがその怪我が原因で少し左腕が動かしづらくなったことに気づいていたんでしょうね。このバングル、その動きを補う強化魔法がかけられています。きっと自分がいなくなった後も、師匠は弟子を守りたかったのでしょう」
見る間にニロの目に涙があふれ、バングルも呼応するようにきらきらと煌めいた。
「言葉を交わすことが出来なくとも、分かり合うことはできます。それは、もう話せなくなった人とも同じだと思いますよ」
人とモノ、生きているものともういないもの。
話すことはできなくとも繋がることはできると店主はそう伝えていた。
僕は少しだけ嬉しくなって、胸の中でそっと彼に呼びかけたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
次回は全1回です。




