ここはダンジョン遺失物センター
深い暗闇の中に青年が立っていた。
自分の手足すら見ることができないほどの漆黒の闇。
ここはどこだろう。
前に進もうにも、どこが前でどこが後ろなのかもわからない。
何の音もしないその場所には、何の気配も感じられない。
風も、匂いもない、ただ虚無だけが無限に広がっている。
しかたなく、青年は歩き出した。
進んでいるのか、戻っているのか、はたまた同じところをただぐるぐると回り続けているだけなのかそれすらも判然としない。
だが、それでも青年は歩みを止めなかった。
ただひたすらに歩き続けた。
どのくらいの時間が経ったのか。
やがて、遠くのほうに針の先ほどの小さな小さな光が見えた。
自然と歩みが速くなる。
半ば駆け出すようにしてその光に向かって進む。
不意に、足が止まった。
その光の場所にいたのは、いつかの実践訓練という名の戦場で出会った魔導兵だった。
「久しぶりだな」
「あなたは……」
目も口もない金属の塊が、旧友を呼ぶような親し気な口調で語りかけてくる。
それに反応するかのように、周囲の景色が変わりはじめた。
霧が晴れるように暗闇が消え、オレンジ色の夕日が差し込む広大な荒野が姿を現す。
風が吹いた。
草がざわめき、夕暮れの空には鳥たちが横切っていく。
あのときの荒野は、こんなに美しかったのかとはじめて気づく。
魔導兵としばし向き合ったあと、青年は後悔を口にした。
「……あなたは私にいろいろなことを教えてくれたのに。あなたを壊してしまって、本当にすみませんでした」
「なに。気にするな。お前がやったことじゃない」
「あなたを壊したのは別のエチュードでも、それ以外のたくさんの魔導兵を私は壊してきました。だから……私を責めていたんですよね?」
音楽に操られてしまわないように、考えることをやめるなといつも語りかけてくれていた魔導兵の壊れた核は、いつしか青年を責め、呪いの言葉を吐くようになった。
彼はその声に耐えきれず、厳重に封印をして倉庫の奥深くに隠していたのだ。
だが魔導兵は、体を揺らして笑った。笑い声と一緒に鉄のキィキィと擦れる音がする。
「あれは俺ではない。お前があまりにも強く握りしめたから、切れた手のひらから血を伝ってお前の魔力が入ってきたのさ」
エチュードたちが捕まったあの日、食い込むほど核を握りしめた手のひらの痛みを思い出す。
「……お前を責めていたのは、こいつだよ」
魔導兵の背後から、一人の小さな少年がゆっくりと顔をのぞかせた。
青年は驚いて息を呑む。
その少年を、《《青年は知っていた》》。
口を真っすぐ結び、どこか怯えた瞳でこちらを射抜く少年。
彼は機械じみた硬い動作で青年の前に出た。
「お兄さんは誰ですか?」
「……私は」
青年は考えるように言葉を切った。そして告げた。
「私は、ダンジョンで遺失物センターを営んでいる者です。……君は?」
「……人殺しです」
少年の顔が歪む。絞り出すようなその声は、封印した核から聞こえていた呪いの声によく似ていた。
「なぜ……?」
「だって、たくさんの魔導兵を壊しました」
先ほど青年が魔導兵に対して言ったことを、少年もまた口にする。
青年は首を横に振った。
「あのときの君は、命令に背けなかったんです」
「でも、10番も見殺しにしました。他のエチュードたちが戦いで死んでいったのに、悲しみもしなかった。人の心などない、ただの兵器です」
「君は……」
青年の胸が締め付けられるように痛んだ。
少年の言葉は、青年自身が十数年もの間、片時も忘れずに自分に浴びせてきた言葉そのものだった。
目の前で苦しむ少年に、何か言葉をかけたかった。
そんなことはない。君は悪くない。
だがその言葉を口にすることは、青年にとっては簡単なことではなかった。
目の前の少年を許すことは、いまの自分を丸ごと肯定するということなのだ。
青年は何度も口を開こうとして、だが結局言葉を紡ぐことができなかった。
やがて、少年が泣き出した。
声を出さずにただ透明な涙が頬を伝い、荒野の土を濡らしていく。
「みんなを傷つけて、こんなところにずっと閉じ込められて……。こんなことなら、生まれてこなければよかった」
青年は泣き続ける少年を静かに見下ろした。
こうして見ると、思ったよりもずっと小さいただの子供だった。
無力で非力で、何も知らないただの子供。
本来ならば守られるべき存在であったその少年は、利用され、傷つけられた。
いったい、この少年にどんな罪があるというのか。
胸の中の霧が晴れていく。
青年は膝をついて少年に目線を合わせた。
「……いいえ。君は少しも悪くない。そして、君はこれからうんと幸せになるんです。たくさん笑って、友だちも作って、普通の人と同じように楽しく暮らすんです。冒険をしたり、助け合ったり。ときには喧嘩をしたりしながら……人として生きていくんです」
「でも……そんなこと許されるはずがありません」
青年が腕を大きく広げた。
その瞳からも少年と同じ温かな涙が零れていた。
「おいで」
少年はおずおずと青年に近づく。
青年はその小さな体をぎゅっと抱きしめた。
かつての自分。
何もできないと嘆き、自分を責め続けた自分。
青年はひとつも取りこぼさないように、しっかりとその腕に力を込めた。
「私は君を許します。私は……私を、許します」
その瞬間、世界が爆発的な光に包まれた。
荒野は光に飲まれ、魔導兵の姿も消えていく。
光の中心にいた少年は、抱きついたまま顔を上げた。
少年は笑っていた。
「だめですね。遺失物センターをやっている私がこんな大切なものを落としていたことに、いままでずっと気づけなかったなんて」
青年は慈しむように少年の頬を撫でた。
「待たせてしまってすみません。……さあ、一緒に帰りましょう」
光はやがて、すべてを白く塗りつぶした。
◇◇◇
ここは、ダンジョン遺失物センター。
世界中のダンジョンの落とし物が集まる場所。そして、落とし物の声が届く場所。
今日はダンジョン『逆立ちする迷路』から落とし物の声が聞こえていた。
僕と店主はダンジョンに落とし物を探しに行っていた。
「ねえ、本当に大丈夫なの? 怪我は? 記憶は?」
「バルムンク、その質問何度目ですか? ほら、このとおり。なんともありませんよ」
「ならいいんだけど」
あのとき、僕は咄嗟にチェロキーに渡していた核を店主の胸に押し当てた。核が光って店主の胸に吸い込まれて行って、そのせいなのかわからないけど、目を覚ました店主は記憶を持ったままだった。
そのあと店主は国の人たちに連れていかれていろいろ検査をした。そこでもう操られることはないとわかって解放された。
その時にお腹の傷も治療してもらったようだ。
しばらくはバタバタしていたけど、休業中だった遺失物センターも再開して、いまはこうして日常を取り戻している。
「ああ、でも……」
「なに!?」
心配になって顔を覗き込んだ僕に、店主が深刻そうに眉をひそめた。
「音痴になりました」
「……え? いいじゃない、そのくらい」
「よくありませんよ。笑われるじゃないですか」
「ガクだって楽器のくせに音痴だったでしょ。大したことないよ」
「まあ、それもそうですね。……ところでバルムンク、なんで逆さまになっているんですか?」
「店主だって!」
なんでも逆さまにしてしまうダンジョンの特性に苦労しながらも、僕たちはなんとか遺失物を回収することに成功した。
「また黒の革グローブですよ。そろそろなんとかしてください」
「僕に言われても困るよ。それこそ冒険者ギルドのルーシーちゃんあたりが言えばみんな言うこと聞くかもしれないけど」
「バルムンクもあの女性にあったことがあるんですか?」
僕は店主に、店主がいない間にあったたくさんのことを話しながらダンジョンを歩いた。
店主は楽しそうに耳を傾けていた。
店に戻ると、留守番をしていたミランダとメリンダの前にジェイドが座っていた。
「勝手に一杯やってるぞ」
ジェイドがグラスに入った黄金色のウイスキーを揺らした。
ミランダとメリンダはこそこそと、キッチンで何かを作っていた。
キッチンの中は甘い匂いが漂っていたが、また泥棒にでも入られたかのような散らかり具合になっている。けれど店主は苦笑いしただけで何も言わなかった。
「ダンジョンに入るときは依頼を出せってあれほど言ってんのに、全然聞きやしねぇ」
「バルムンクもいたし、浅いところだったし、いいかなって思ったんですよ」
「バルムンクはなんの戦力にもならねぇだろ。……いや、こいつはなかなかにヤバい剣だったな。なんかこう、むしゃくしゃしてくるっつうか」
「僕、使った人をむしゃくしゃさせる剣ってこと? なんかあんまり嬉しくないんだけど」
その時、店の前の移動用の魔法陣が青く光った。
「お待たせっす!」
「遅いぞチェロキー。ってか何でお前まで一緒に来てんだよ!」
魔法陣から現れたのは、チェロキーとエッジだった。
二人は手を繋いで、仲良く店に入ってくる。
カウンターの隣り合った席に座ると、顔を見合わせてにこにこと笑い合う。
その光景に僕たちは固まった。
「団長、俺、彼女ができたっす!」
「…………は?」
でれでれと鼻の下を伸ばして報告するエッジに、ジェイドが間の抜けた声を出す。
それ以上のリアクションをできない僕たちを無視して、二人はカウンター席でいちゃつきはじめる。
「やっぱあたしの目に狂いはなかったっす! エッジくんは冒険者の中の冒険者、男の中の男っすね!」
「照れるっすよ、チェロチェロ。俺も君みたいにかわいい子、見たことねぇっすよ」
「きゃー!」
カウンターを片づける手を止めて店主がジェイドに訊ねた。
「こういうとき、やっぱり兄としては一発殴らせろとか言うべきなんでしょうか」
「知らねぇよ! つかなんでこんなパンツの話しかしないようなやつに彼女ができて、俺にはいないんだよ!」
ジェイドが一気に酒を煽る。
「酒だ、酒! 飲まなきゃやってらんねぇ!」
横からエッジとチェロキーがジェイドを覗き込んだ。その手はしっかりと恋人つなぎされている。
「ジェイドさん、嫌なことをお酒でごまかすのはやめたほうがいいっす」
「そうっすよ、団長。昼間っから酒飲んでるやつなんて、モテねぇっす」
「そろそろ健康に気をつかう年じゃないっすか」
「お酒よりも白湯がいいすよ!」
「がーー! すっすすっすうるせぇんだよ! どっちが喋ってんのかわかんねぇよ! だいたいチェロキー、なんでお前まで喋り方戻ってんだよ」
「愛っすよ、愛!」
「ビッグラブっす!」
指でハートマークを作って見せつけてくる二人に、ジェイドが心に大きなダメージを受けて天を仰いだ。
「できたわ!」
その時、ミランダとメリンダが大きな声で叫んだ。
ふたりが手に持っていたのは、大きなホールケーキだった。
形は歪だが、表面にイチゴがのった生クリームのケーキだった。
ケーキの上にはろうそくが刺さっている。
「これは……?」
店主の問いかけに、ふたりはにっこりと笑った。
「店主のために作ったのよ」
「私たちからのプレゼントなの」
「これを私に……? ありがとうございます。すごく嬉しいです」
店主がケーキを受け取り、戸惑いながらも嬉しそうに微笑む。
「まだあるぞ」
「え?」
「俺たち全員で考えた、お前へのプレゼントだ」
ジェイドがポケットから丁寧に折りたたまれた一枚の紙を取り出した。
「なんですか……?」
ケーキをカウンターに置いて紙を受け取ると、ゆっくりと慎重に開く。
そこに書かれている文字を見て、店主の瞳が大きく揺れた。
「これは……」
その紙には力強い文字で大きく、『クオン』と書かれている。
「お前の名前だ」
ジェイドがぶっきらぼうに、だが温かい声で告げた。
遠い東の国で永遠を意味するその名前は、8という数字にもちなんでいた。
店主に内緒でみんなで集まり、ああでもないこうでもないと一生懸命考えた名前だ。
「過去も未来も全部ひっくるめてお前という人間だ。俺たちは、そんなお前が大好きなんだ。……気に入ってもらえるといいが」
店主——クオンは一瞬驚きに目を瞠り、そして顔をくしゃくしゃにして笑った。
「ありがとう。……この上なく、最高の贈り物です」
零れた涙が一粒、紙を濡らした。
ここは、ダンジョン遺失物センター。
なくした自分を見つけられる、世界一温かい場所だ。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
この作品は私がはじめて書いた小説です。
なので、つたないところも多々ありますが少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
また外伝や続きの話などを書くかもしれませんが、とりあえずこの作品はここで終わります。
ありがとうございました。




