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真実

チェロキーは信じられないという表情で目を見開きファエナを見た。


「え……え? あたし、音痴だったんですか?」

「自覚がない分、わりと重症なほうのな」

「嘘!? だってあたし、普通に鼻歌とか歌ってたし」

「ああ、やはりあれは歌だったのか。腹でも痛くてうなっているのかと思っていたが」

「ひどいです! 何で教えてくれなかったんですか! あたしが歌うたびになんかみんな咳き込むから変だなって思ってたんですよ。あれって笑われてたってことですか!?」

「私は笑ってなどいない。まあ、他のやつらは知らんが」

「所長!」


チェロキーが絶叫に近い声を上げる。だが、ふと何かに気づいたように首を傾げた。


「でも、音痴とエチュードに何の関係があるんです」

「音痴過ぎてフォレスターの奏でる音楽のリズムも旋律も、お前の核が正確に拾うことができなかったんだろう。だからお前は操られることはなかった」

「そんな! もしかして……8番、あなたも知ってたんですか?」


急に話を振られた店主が気まずそうに視線をそらした。それは何より雄弁な肯定だった。


「だからあたしだけ研究所で浮いてたんですか!?」

「浮いていたのか、チェロキー。お前あそこは楽しかったって言ってなかったか」

「古傷をえぐらないでください!」


二人のやり取りを、僕たちは戸惑いながら見つめる。


「ちょ、ちょっと待て。なんなんだこの緊張感のない空気は」


ファエナに殴りかかろうとしていたジェイドまで拍子抜けしたように手を下ろして目を泳がせている。

周りを取り囲んでいる騎士団の面々も、互いに顔を見合わせて困惑したように苦笑いを浮かべていた。

そこに老人がぶつぶつと文句を言いながら割って入った。


「こいつはいつもそうだ。すぐに話が脱線するんでな。おい、探偵。茶番はそこまでにして、話はちゃんと最後までしろ」

「ああ、そうだったな。すまない。……では、真実の開示をしようか」


ファエナが背筋を伸ばす。真剣な声で慎重に口を開いた。


「あのとき捕まえられたお前たちの兄弟は―—みな、生きている」


その言葉が聞こえた瞬間、空気が固まった。

店主は目を見開いたまま石像のように固まり、チェロキーも呼吸を忘れたように動きを止めた。


「どういう……ことですか……?」


戸惑いの滲む、震えた声だった。

信じていいのか、嘘ではないのかという疑いと、そうであったらいいとこいねがうような声。

その問いにファエナの代わりに口を開いたのは、僕たちを取り囲んでいた男たちの一人だった。

一人だけ服装の違う、文官のような格好をした男が店主に向かって歩み出る。


「私から説明しよう」

「あなたは……!」


店主の瞳が大きく揺れる。

その男は店主の前に立つと、顔を歪め逡巡するように視線をさまよわせたあと、声を絞り出して頭を下げた。


「……あの時は、本当にすまなかった!」


店主の瞳が、その謝罪を受け入れるよりも先に驚きで激しく揺れる。


「エチュードたちが生きているって、どういうことですか……? あなたはあの時、私の目の前でみんなを捕らえた。対魔導兵用の武器まで持って。彼らは、私のせいで、処分されたのではなかったのですか?」

「エチュードの存在、そしてその後の処遇については、国家機密として最上位の秘匿事項に指定されていた。だからあの時の私には、君に真実を明かす権限がなかったんだ……」


男はゆっくりと顔を上げ、店主を見つめた。

後悔が深く刻まれたその表情に、店主は何も言わなかった。


「あのあと、秘密裏に彼らの核を破壊する処置がなされた。音楽の支配から彼らを解き放ち、普通の人間に戻すために。……操られることがなくなった代わりに、すべての記憶もなくなった。だがいまはそれぞれに、穏やかに過ごしていると聞いている。だから、君は彼らを見捨てたのではない。君の勇気ある告発のおかげで、普通の幸せを手に入れられたんだ」


張り詰めていた糸がぷつり切れたように、店主がその場に崩れ落ちた。

顔を覆い、はぁっと長年の重荷を吐き出すような長い大きな溜め息を吐く。

そして、細く震える肩を丸めながら、消え入りそうな声で繰り返した。


「よかった……。本当に、よかった……」


兄弟を見殺しにして、自分だけが生き残った。その地獄のような罪悪感から、ようやく解放されたのだ。


「すぐに伝えることができなくてすまなかった」


男はもう一度深く頭を下げた。


「……所長は知ってたんですか?」


同じように衝撃を受けていたチェロキーが、縋りつくようにファエナに詰め寄る。


「最近まで確証はなかった。ずっと怪しんではいたがな。フォレスターがいなくなったことで彼らも秘匿し続けることができなくなったのだろう。……先ほど、フォレスターの居場所と引き換えにようやく白状させた」

「……じゃあ、あたしが……あたしたちが10年以上抱えていたこの気持ちは、一体なんだったんですか……?」

「言っただろう、チェロキー。物事は多角的に見なければならないと。お前たちの見ていた真実は、別の角度から見ればまったく違うものだった。……だが、それもまた一つの経験だ」


長年抱え込んだ、兄弟を見殺しにしてしまったという後悔も、兄弟を殺されたという憎しみも、すべては悲しい思い違いだったという事実に、チェロキーもふらふらとその場に力なく座り込んだ。



穏やかな静寂に包まれた中、僕にはどうしても気になることがあった。

それはこの喜びの雰囲気を打ち消してしまうほど残酷で、とても大事な問いだ。


「ねえ。つまり、いまから店主の核を壊すってこと? 壊したら、店主はどうなるの?」


問いかけるとファエナと文官の男が顔を見合わせ、そして重々しく首を振った。

ファエナが眼鏡を押し上げ、冷徹な現実を告げる。


「核を壊しても、死ぬことはない。だが、これまでのすべての記憶を失う。……それから、音痴になる」

「え……。記憶はともかく、音痴になるのは嫌ですね」

「嫌なのはそこかよ!」


店主の発言におもわずジェイドがつっこむ。

だが店主はジェイドを見上げ、ふわりと微笑んだだけだった。


「おい、本当になんとかならねぇのか。なんでこいつが記憶無くさなきゃなんねぇんだよ!」

「僕も嫌だよ! 店主が僕たちのこと忘れちゃうなんて……そんなの寂しすぎるよ!」

「私たちのこと、忘れるなんて絶対に許さないわ!」


ミランダとメリンダが店主に縋りつく。

店主はまた顔を覆い、膝に顔をうずめた。

そして絞り出すように、「あぁ」と声を上げた。


「だから君たちを置いてきたのに。店だって閉業にして、一人でここまで来たのに。……そんなふうに言われたら、決意が鈍るじゃないですか」


店主ははじめからわかっていたのだ。

自分がいなくなることを。

きっと、エチュードは破壊されなければならないことを誰よりも店主が理解していたに違いない。

だから店主は僕たちを置いて、一人でここに来た。

たった一人で、誰にも告げずに静かに消えるつもりだったのだ。


「本当に、どうにもならないの……?」


声が震えた。

視界が滲む。

熱い雫が頬を伝って落ちる。これが涙なのか。

僕ははじめて涙を流した。


「すまない。こればかりはどうにもならないんだ」


文官の男が、自分も泣きそうな顔で申し訳ないと何度も謝罪を繰り返す。


「だったら、核を壊すのやめようよ。そうしたら店主は——」

「バルムンク」


店主が僕の頭にぽんっと優しく手を置いた。大きな、温かい、いつもの掌だ。


「困らせてはいけませんよ」


顔を上げると、そこにはいつもどおりの優しい店主の顔があった。


「どうやら死んでしまうわけではないみたいですし、記憶を失うだけで済むのなら、それで充分です。これでようやく、エチュード計画をすべて終わらせることができます」


店主の背後で、ジェイドが腕で何度も何度も顔を擦りながら堪えきれない涙を拭いていた。


「ジェイド……」


店主がジェイドを見上げて、困ったように笑う。

ジェイドは鼻をすすりながら店主の前にどかっと膝をついた。そして泣き笑いのような顔で声を張り上げた。


「お前が俺たちを忘れても、俺たちが、お前を覚えている! お前が忘れたものを、また一緒に取り戻せばいいだけだ。……また、あのダンジョンからやり直そうぜ」


その言葉に、ふふっと店主が笑った。


「あれは最悪の出会い方でしたね。……でも、はい。楽しみにしてます」


ミランダとメリンダは、ふたりで手をつないだまま何も言わずに唇をかみしめていた。

店主は手を伸ばして、ふたりの頭を優しく撫でた。


別れの時間が、刻一刻と近づいてくる。

店主が僕たちを見回した。


「先生、いままで本当にありがとうございました。先生がいなかったら、いまの私はありませんでした」

「……小童が。せいぜいこれからは普通の人生を歩むことだな」


老人がうつむく。


「ファエナさん、チェロキーと先生のことよろしくお願いします。……チェロキー。元気で。また会えてよかった」


チェロキーが声をあげて泣き出し、ファエナがその肩に手を置いた。


「ミランダ、メリンダ。君たちの話を聞く時間は、とても楽しかったです」


ふたりは泣くのを堪えるように、怒ったような、睨むような表情で店主を凝視していた。


「ジェイド、バルムンク……」


店主が僕とジェイドを交互に見る。その瞳に張った膜がはがれるように、ゆっくりと涙が零れた。


「私と友達になってくれて、ありがとうございました」

「店主っ……!」

「もう会えねぇみたいな言い方すんな! 俺たちはずっと、永遠に、友達だろうが!」


店主はいままで見たこともないほど嬉しそうな晴れやかな顔でほころんだ。

そして音を出さずに唇を微かに動かす。

――ありがとう。

僕には、そう言っていたように見えた。

けれどその言葉を確かめるすべは、もう、ない。


文官の男が棒状のものを取り出し、店主の胸に当てた。

世界を塗りつぶすほどの強い光が放たれ、そして――。


店主はゆっくりと微笑んだまま目を閉じた。


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