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殺し屋の思い出話・前編

アンが自宅に戻ったのは、すっかり朝日も昇った午前9時すぎだった。


アン

「ただいまー。ルチル?」


アンは玄関を開けて声を出した。玄関を開けてすぐに見える台所のテーブルの上には、あの黄色いダリアの花が水の入ったコップに浸かっていた。ただ、家の中から返事は聞こえてはこなかった。


アン

「?寝てるのかな?」


アンは中の様子を伺いながら、玄関に荷物を置いた。雲1つない空から漏れる日差しは、アンの色素の薄い瞳には少しあたりが強い。アンは目をシバシバさせた。


ふと奥のベランダで、何かが動いていた。


ルチル

「あ、おかえりなさい!」


誰かと思ったら、ベランダでルチルが洗濯物を干していた。確かに、洗濯物を干すには絶好のチャンスである。ヒスイのシャツにルチルのTシャツ、アンのブラウスにセキエイのシャツ、鯉のぼりのように仲良く並んで微風に扇がれていた。


洗濯物を干し終えて、ルチルがベランダから台所に戻ってきた。よく見なくても、家の中が片付いているのがわかった。


アン

「ありがとう。色々やってくれたんだね。何か飲むかい?」


ルチル

「うん!」


ルチルは、アンが立っている台所で手を洗い始めた。タオルで手を拭くと、台所の椅子に行儀よく座った。


アンはポットでお湯を沸かしながら、ふわっと口を手で押さえてあくびをした。疲れているのだろう。その力のない目元がそれを語っていた。


ルチル

「ヒスイ、どうでした?」


ルチルは眠たそうなアンに声をかけた。


アン

「あぁ。元気だよ。ありがとうな。」


アンは振り返らずに、マグカップを2つ食器棚から取り出していた。


ルチル

「俺も病院行きたいです。行ってもいいですか?」


ルチルがそう続けると、アンは振り返って、


アン

「もちろん。ヒスイ、喜ぶよ。」


と言って笑った。


2人はテーブルで、出来立てのコーヒーを飲み始めた。少し開いたベランダの窓から、ふっと入る風が部屋にコーヒーの香りを撒き散らす。そういえば、家でゆっくりコーヒーを飲むなど、ルチルはしたことがなかった。


窓の外から通行人の声が聞こえる。ここは十龍の街中だ。朝も夜も、外は騒がしい。けれども、このテーブルの周りだけ、なぜか時間が少し緩やかに流れているように感じた。


ルチル

「…この花」


ルチルはマグカップを持ちながら、テーブルの上をランタンのように照らすダリアの花を指差した。


アン

「あぁ、これ?」


アンはルチルの細い指を目で追いながら返事をした。


ルチル

「この部屋に合いますね。このまま飾っててもいい?」


アン

「いいよ。今度、またブーケを買ってお墓参りをしよう。」


黄色い花の存在感は大きかった。ここから取り除くと、まるでオムライスがただのケチャップライスになってしまうように思えた。まぁ、ルチルはオムライスを食べたことがないのだが。


アン

「あそこの共同墓地はね。僕もよくお墓参りをするんだ。」


アンはふと瑪瑙姐のことを思い出し、苦笑いをした。


コーヒーを飲んでひと段落をすると、ルチルはアンのブルゾンを借りて羽織った。少し大きいだけで全然着ることができた。行き先はヒスイのところだ。君は僕より大きくなりそうだ、小柄で華奢なアンはそう言って笑った。


アンはルチルを見送った後、疲れた目を擦りながら押入れという名のベッドに飛び込んだ。アンが夢の中へ引っ張られることに、時間はほとんどかからなかった。



アンは夢を見ていた。


アンが誘拐されて、数日後。アンはセキエイに連れられてあの建物内をさまよっていた。


絶望は鉛色なんだ。アンは何もないただの暗い建物を歩きながら思っていた。隣にいる、やけに広東語の下手くそな男の子は何者なのだろう。セキエイの隣にいると、アンは何も技を使えなかった。


俺は君の好きなようにする。セキエイはつい先ほど、アンにそう言った。とはいえ、何をしたいのか、この時のアンにそんなことを考える余裕などなかった。痺れた足は、幾分か感覚を取り戻していた。


なぜ僕は、泣いているのだろう。アンは思った。といっても、流した涙は止まって、もう乾き始めていた。


セキエイ

「えーと。どこだっけっかな?」


セキエイはアンの肩を担いだまま、大きな扉を開けて部屋に入った。そのまますぐに、片手を伸ばして電気をつけた。


やけに寒い部屋だった。ここだけ雪国のようだ。アンの疑問は、セキエイが電気をつけた瞬間にわかることになるのだが。


アン

「やっ…!!何ここぉ!!!」


アンは明るくなった辺りを見渡して、発狂し始めた。


無理もないだろう。ここは死体安置所だったからだ。簡素な布で巻かれた何かが、ゴロゴロと2段ベッドの上に置かれていた。いくら布で包まれたといっても、いくら温度調整をされているといっても、その形と独特のこみ上げる匂いで、アンはここがどこかすぐにわかってしまった。


嫌だ、あぁはなりたくたい。助けて。このときのアンは、自分を死体安置所で寝転んでいる、元人間に自分を被らせざるをえなかった。


セキエイ

「もう大丈夫だよ。」


アン

「……」


セキエイに声をかけられて、アンはゆっくりと目を開けた。


アン

「え?」


まだ先ほどの恐怖は癒えてはいなかった。津波の波のように、ズルズルと傷跡をアンの心に残していた。


アンが着いたところは、小さなベッドと机のある、子供部屋だった。


どうして僕は、ほんの一瞬でここに着いたのだろう。アンはようやく、考えることをし始めた。しかし、その答えをすぐに、セキエイから聞くことになった。


セキエイ

「俺、エスパーなんだ。君と同じだよ。俺も念力や瞬間移動や、タイムトラベルができるんだ。仲間だよ、よろしくな。」


アン

「……」


アンはまだ、目の前の光景が信じられなかった。


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