夢と現実の交錯の中で・その1
何だか、隣の部署が慌ただしい。ポチポチとパソコンを指でくすぐりながら、ジンは集中力を散漫させていた。
昼過ぎに起こった聖太子第一学園での出来事のためだろう。ジンは直接関わってはいなかった。が、慌ただしさに勝手に感化されて、こっちまでソワソワしていた。
今日も残業しそうだ。ジンは、周りの人たちにわからないように、こっそりとため息をついた。
…ヒスイ君、大丈夫かな。あの子…
ジンの頭にヒスイが過ぎったところ、ちょうどタイミング良く、
「被害者の名前出てるんだけどさ、ジン、この子知ってるよね?」
ジン
「へ?」
同僚が、ジンのところへやって来て声をかけた。
「アーンタ、また寝ぼけてるでしょ?」
同僚はそう薄ら笑いを浮かべると、ボールペンの蓋で、ジンのおでこを軽くツンと突いた。
ジン
「起きてるってば~。」
ジンは左手のひらで、ペタンとおでこを押さえた。
「えーと、何だっけ。あ、そうそう。セキ君。アーサーガロンの子。あんた、知ってるよね?」
ジン
「うん。知ってる。」
「あの子。竜巻に巻き込まれたよ。」
ジン
「はいぃ!?」
同僚の言葉を聞いた途端に、ジンの眠気は、どんな濃いコーヒーを飲んだときよりも、強く消し去られた。
「うるさっ!」
同僚はパッと蚊でも殺すかのように、耳を手で押さえた。
「明日お見舞いに行けば?十龍医薬科センターだよ。」
と同僚はジンにアドバイスをしたが、ジンがそう簡単に言うことを聞くはずもない。
ジン
「ううん、今行く!もう定時過ぎたし!」
ジンはパソコンの電源をすぐに落とし、デスクの下に置いてある荷物を引っ張りだした。
「あっ、ジン!」
ジン
「すぐに戻るから!」
ジンはガサツ極まりない所作で、勢い良く事務所を飛び出した。
…待って!!
ジン
「えっ…?」
ジンの脳裏に、子どもの叫び声が響いた。それを聞いたジンは、突然足を止めた。バイクを発進させて、ギアを1速から2速に入れようとクラッチを切ったのに、中途半端にニュートラルに入れてバイクが動かなくなってしまったようなものだ。
ジンは後ろを振り返る。もちろんそこには、誰もいない。日が暮れて薄暗い窓の外が見渡せるだけだった。
ジン
「…」
ジンは再び、床から足を上げようとした。すると、
…バッグ、開けてみて…でも、気をつけて!特に、内ポケット…
ジン
「!?」
また、あの声がして、ジンは肩にかけていたハンドバッグを下ろし、そっと開いた。声の言う通り、ゆっくりと襖の隙間を覗くよう、内ポケットをあける…
…え、嘘…
こんなもの、入れた覚えがない。内ポケットからは、何かがキラリと光っていた。
…触っちゃダメだよ!
またあの声が聞こえる。声の主が誰なのか、ジンはもう何となくわかっていた。
ジンは、廊下でバッグを逆さまにして、荷物をドバッとひっくり返した。
「あ、ジン!って、あんた、どうしたの?」
廊下の向こうから、先ほどジンに話しかけた同僚がこちらへやってきた。
「?」
ジンは返事も返さずに、廊下に突っ立ってる。
「どうした?そんな顔…」
ジン
「…うぅっ…」
「ジン!?」
ジンはその場で顔を押さえて、大人気なく泣き始めた。
内ポケットから、チリンと音を立てて、大量の画鋲とカッターの刃が落ちていたからだ。
「な、なにこれ!?」
同僚は目を疑いながら、床に落ちた刃物を見ながら、泣き出すジンの背中をさすった。ジンが答えるわけでもなく。
ただ、唯一の救いは、ジンの耳元に、
…お姉さん、泣かないで。僕、お姉さんに何かあったら、すぐ言うから。
と、あの少年の声が聞こえていたことだった。
…ところ変わって、ここは綾港のとある雑居ビルの一室。
ハーキマーはパソコン画面を、早送りしながら見ていた。
ハーキマー
「…まじでエスパーってすげーな。こりゃ勝てないわ。」
その隣には、得意げに念写で画面を映す天眼がいた。
天眼
「ふふふ、綾港マンガアニメフェスタのチケット、ごちそーさーん。このくらい致しますよ!」
ハーキマー達が見ていたのは、とある病院の一室の光景だった。特に変わった様子もなく、ずっと夜通しベッドに張り付く少年を母が見守るだけだったのだが。
ハーキマー
「すげーな。」
天眼
「?」
ハーキマーは画面を見ながら、感心したようにため息を交えてつぶやいた。
ハーキマー
「もう、不眠不休でずっとガキに張り付いてんじゃん、この母さん。」
そこに映っていたのは、ヒスイの手を握るアンがいた。
天眼
「アンちゃんも立派なお母さんだな。はぁぁぁ…俺もアンちゃんに子守唄、歌ってほしーよー!」
ハーキマー
「そっちかよ!」
おい、ここは感動のシーンだろ。とハーキマーは呆れ顔で天眼を見た。
天眼
「なっ、アンちゃんは強くて可愛いんだぞ!なのによぉ…あのクソ風来坊は…」
天眼は、ギリギリと歯ぎしりをする。
ハーキマー
「はいはい。つーかさ。」
喜怒哀楽の激しい天眼とは別に、ハーキマーはずっとどこか上の空のような、ボーッとした感じでパソコン画面を眺めていた。
鳥は身体の下に卵を入れて、ずっと温める。今のアンは、正しくその親鳥だった。
アン
「ヒスイ、僕が代わりたいよ…」
遂に、アンは弱音を吐き始めた。
アンはヒスイの茶髪を、そっと撫でる。胸元はゆっくりと上下に動くが、長い睫毛はピクリともしなかった。
アンの白い頬に、雨粒のように涙が伝った。どこへ行くわけでもなく、固く握ったヒスイの柔らかそうな小さな手のひらに落ちた。
もう、ダメだ。見ていられねぇ。
ハーキマーは、
ハーキマー
「もう、俺、下りる。」
そうつぶやき、席を立ちあがった。
天眼
「?どうした?」
天眼はその様子を隣で眺めていた。ハーキマーの顔色は、良くはない。ネオンに穢された綾港の夜空のように、曇りがかってどんよりとしていた。
ハーキマー
「見てらんねーよ。ごく普通のガキをぶっ壊すなんて、もう、バカげてんだろ!たかが見栄のために、何人傷ついた?あぁっ!!」
ハーキマーは、両手を頭に置いて、クシャクシャとかきむしった。無意識に、数年会っていない母を、アンにリンクさせていた。
目を合わせれば口喧嘩。減らず口なんて、叩きたいわけじゃないのに。俺はそうやっていつも、お袋には迷惑ばかり。こんな俺でごめん。ハーキマーは直向きなアンの姿を見て、自分の背中の丸くなった母を思い出し、帰りたくなった。
それなのに、
天眼
「あ、チケットは?」
天眼がすっとぼけた質問をすると、
ハーキマー
「は?やるよ!俺だって行きてーもん。だけどさ。もう無理だ。俺には耐えられねぇ。」
行きたいんかい!天眼はそうツッコミを入れようとしたが、さすがにここは空気を読んだ。
天眼
「俺は別にいいけど、今回は自然災害でしょ?ハーキマーのせいじゃない。」
天眼は、心にもないことを言った。あの竜巻が自然災害なんかじゃないことは、角も承知だったからだ。
ふーん。ヒスイ君、あんなに派手に暴れられるなんて、やるねぇ。天眼は、歩き出したハーキマーにつられて窓の外を見る。湿っぽい匂いがする。もうすぐ雨が降るだろう。天眼はそう予知した。予知というほどでもないが。
ハーキマー
「そうか?」
天眼
「?」
ハーキマーは両手を頭から下ろし、ゆっくりと窓の外へ歩いて行った。
ハーキマー
「俺にはそうは見えない。人為的に見えるんだ。」
天眼
「…」
ハーキマーは窓の鍵をくるっと回して、軋む窓を開けた。すーっと忍び足で夜風が部屋に入る。どうやら、雨が降り始めたようだ、冷たくて涙のような風は、ハーキマーを慰めた。
天眼
「どうやって?でかい送風機でも使うのか。」
ハーキマー
「わからねぇ。」
ハーキマーは、天眼と目を合わせずに答えた。
天眼
「あ、でも、半分正解。あれは人為的なものだよ。それに、この件から下りるのも正解。」
ハーキマー
「?」
ここへ来て、ようやくハーキマーは天眼の方へ顔を向けた。そこには天眼の、口元は歪めているが笑っていない目があった。
天眼
「あの子エスパーだよ。それも、最近ランクS+に認定された、史上最強のエスパー。」
ハーキマー
「なっ!?…」
天眼がヘラヘラしながら言ったのに対して、ハーキマーはごくりと生唾を飲んだ。




