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十龍医薬科医院中心その2・前編

セキエイ

「お電話代わりました、Dr.セキエイジです…はい、5名受け入れ可能です。」


昼下がりの病院は、途端に慌ただしくなった。セキエイは救急からの電話を受け取ったときから、それは始まった。


セキエイはいつも通り電話を冷静に対応、しようとした。が。


セキエイ

「はぁっ!?あ、いや、すいません。」


スタッフ

「?」


珍しい。セキエイの顔がピーマンみたいに青ざめるのを、周りのスタッフ達は見逃さなかった。


セキエイ

「…かしこまりました…聖太子第一学園初等部ですね…」


スタッフ

「えっ…」


スタッフ達は、セキエイの声を聞いて互いの顔を見合わせた。ヒスイの学校だということに、気がついたからだ。


セキエイは、腕を震わせながら電話を切った。


セキエイ

「…ヒスイ…」


セキエイの背中は、一瞬で冷や汗まみれになった。


しかし、ここからがセキエイにとっての悪夢の始まりだった。全身擦り傷まみれになって、死んだように眠りこけるヒスイが救急車から運び込まれてきたとき、


セキエイ

「ヒスイ!おい、目を覚ませ!!」


スタッフ

「関先生はここにいてください。すぐに奥さんに連絡してください。後は私たちがやりますので…」


担架に向かって話しかけるセキエイは、これまでにないほど取り乱していた。これはさすがに、と思ったスタッフは、セキエイを取り押さえるのに必死だった。


ヒスイは無事だったようだ。処置はすぐに終わった。しかし、この1分1秒は、セキエイにとっては釜茹ででもされているんじゃないかと思うほどの生き地獄だった。人前で顔を押さえて泣くなんて、多分初めてじゃないのか。俯いたセキエイの、膝の上に置いた手の甲には、ポタリと水滴が落ちた。

それでも涙を拭って、セキエイは患者対応に追われた。


それから、1時間近くが経った。


ルチル

「ここに行きましょうよ。」


ルチルはアンと病院へ駆けつけていた。ルチルは突き当たりのナースセンターを指差した。


アン

「…あぁ。」


さすがに廊下を走っちゃいけないと思ったのか、だがアンの足はいつもより早く回転していた。そして支持を受けて、廊下の長椅子に並んで腰をかけた。


ルチル

「…」


早くここから出たい。ルチルは心の底から思った。アンの膝の上に置いた手のひらが、ガタガタと震えていた。


ガックシと頭を下げて、長い巻き髪が覆い被さってその顔は見えない。でも、その方がルチルにとっては、良かった。見ても悲しくなるに決まっていたからだ。


アン

「あっ!」


ルチル

「?」


アンは突然顔を上げ、ビーチフラッグの選手のようにとっさに立ち上がって小走りをした。そこには、奥から歩く緑の診察着を着たセキエイがいたからだ。


アン

「エイジ!!ヒスイは…ヒスイは…」


アンの声は震えていた。不器用に鳴く鳥のように、何を言っているのか分かりにくい。けれども、そんなことは、今は誰も気にしなかった。


セキエイ

「無事だ。寝てる。」


アン

「…良かっ…」


アンは腰を抜かし、ヘナヘナとお湯をかけた乾燥ワカメのように、その場に崩れ落ちた。


セキエイ

「傷1つなくぐっすりだ。病室連れて行くよ。」


セキエイは、フラフラになったアンの腕を掴み、隣に立っているルチルに手招きをした。


セキエイ

「行くぞ。今、案内するから。」


人間の脳とは不思議なものだ。先ほどよりも、周りの風景がフラッシュでもたいたかのように一段階明るく見えた。あの世に向かう階段のようだった病院の廊下が、暗いトンネルの出口のように希望の差し込む場所に切り替わった。


セキエイははやる気持ちを抑えて、個室の病室の扉を開けた。


アン

「ヒスイ…!」


アンは覚束ない手つきで白いカーテンを開けて、点滴の繋がったヒスイの小さな腕に飛びついた。そのまま手のひらを強く握り、ろくに声もなく背中を震わせる。泣いているんだ。ルチルはそんなアンの様子を、じっと眺めていた。



どれくらい時間が経ったのかわからなくなったとき、


セキエイ

「おいお前、一緒に帰るか。」


ルチル

「?」


セキエイは、ルチルの肩にポンと手を乗せた。


ルチル

「いいのか、ヒスイのところにいなくて?もう仕事、終わったのかよ。」


ルチルはセキエイを見上げ、つぶやいた。


セキエイ

「アンが今日、病院に泊まるから。俺は1回帰って、荷物持ってきて、そのままカジノで深夜まで仕事する。お前は遅いから、もう帰って寝ろ。」


ルチル

「はぁ、大変だな…」


ルチルはホェ~、と間抜けな声を出してつぶやいた。


セキエイ

「着替えてくるから待ってて。」


セキエイは、ルチルに背を向けて病院の奥へと歩いて行った。不思議とその背中は、いつもよりも少し大きく見えた。


ルチルとスーツに着替えたセキエイは、病院を出た。辺りは暗くなり始めていた。


セキエイ

「なんか食ってくか。何がいい?あまりゆっくりはできないけど。」


セキエイは、トボトボと歩道を歩きながら、疲れた顔をしたルチルに尋ねた。


ルチル

「…うん。腹減った。何でもいい。何だか、バタバタして…」


ルチルは、はぁとため息をついた。


ルチル

「気疲れかな。病院にいる間、変な汗かいた。」


セキエイ

「へぇ、お前でもそんな高等テクができるのか。」


セキエイがサラッと嫌味を言うと、


ルチル

「うっせーな、心配くらいするわっ!」


ルチルはいつものように、反撃を始めた。


おー。元気かよ。セキエイはルチルのふくれっ面を見つつ、


セキエイ

「心配してくれてありがとな。ま、お前さんの弟だ、仲良くしてやってくれ。」


とつぶやいて、街中の小さな食堂に入った。初めて2人があったときに来た、あのお店だった。


2人は席について、メニューを手に取った。


セキエイ

「お前が食ったのどれだっけ?あれ、美味そうだった。」


セキエイはルチルの向かいで、メニューを見ながらつぶやいた。特別低い声は、元気がないようだ。更に低くなっていた。


ルチル

「これ。美味かった。俺、この隣を食べたい。」


ルチルは写真を指差した。


セキエイ

「それも美味そうだな。頼むか。」


セキエイは、店員を呼んだ。


何だか妙な気分だ。あの日始めて会ったとき、まさか一緒に暮らすとは思ってもいなかった。それは2人とも、そうだった。予知能力があればいいのに。セキエイはよくそう思っていた。


エスパーのくせに。肝心なときはいつも役に立たない。そう思ったセキエイは、自分に対してため息をついた。


ルチル

「なぁ。聞いてもいいか?」


セキエイ

「?」


ルチルは箸を持って、セキエイに尋ねた。せっかく料理が目の前に来たのに、先に箸を持ったのはルチルだった。当然だが、セキエイの表情は、まだぼんやりとしていた。


ルチル

「ヒスイ…何で竜巻に遭ったのに、ろくに怪我もないんだ?自分だって、事故に遭ったのにケロッとしてるだろ。やっぱり、何かあるのか?」


セキエイ

「それは俺もわからん。ラッキーとしか思えないんだ。」


セキエイはそうつぶやくと、ようやく箸を掴んだ。


…あの竜巻は、間違いなくヒスイが起こした。だから怪我もせずに、眠ってるんだろ。セキエイはすぐに気がついた。でも、どうしてだ?セキエイは疑問に思っていた。


どうして俺は、無事なんだ?ヒスイ、お前は俺が車に轢かれたとき、何かしたか?


俺は予知も発火もできない。お前よりも、間違いなく能力がない。いや、それどころか、俺と同等のランクの天眼よりも、お前は遥かに上だ。


ヒスイに問いかけても、今は答えてくれないことは、セキエイもわかっていた。


セキエイは、1番抱きたくない感情を、ヒスイに抱いてしまっていることに、気がついてしまった。


ヒスイが、怖い…


セキエイは、目を細めた。


ルチル

「俺にはわからないんだ。でもさ。」


セキエイ

「何だ?」


セキエイは、ルチルの言葉に耳を澄ませた。


ルチル

「なんつーか、ヒスイさ、あのお坊ちゃん学校にいるよりも、もっと向いてることが別にある気がするんだよ。合わない靴を無理に履いているような違和感がある。」


セキエイ

「どんな?」


セキエイはじっとルチルを見つめた。話に興味を持ったからだ。


ルチル

「わかんねーけど、癒されるんだよな。ヒスイを見てると。」


ルチルは、言い終わるとすぐにご飯をかきこみ始めた。


腹ごしらえを終えて、ルチルとセキエイは店を出た。


あーあ、この後仕事とかだるいな。セキエイは少しあたりの強い夜風を受けて、ルチルを連れ繁華街を歩いた。


セキエイ

「そういえばさ。」


ルチル

「?」


どことなくアンニュイな表情で、セキエイがつぶやいた。


セキエイ

「お前は日々の生活に物足りているか?」


ルチル

「…はい?」


突然何を言い出すんだ、こいつは。ルチルは人混みを器用にかき分けながら、セキエイのぶつくさ言うことに首を傾げた。周りの仕事帰りの人々は楽しそうに歩いているのに、ルチルの頭の上には?マークが点々と光る。


セキエイ

「元はといえば、お前はスラムを颯爽と駆け抜けていた人間だ。ある日突然、平和な暮らしを手に入れて、満足しているとは思えん。」


ルチル

「…???」


何だこいつ。本当に訳わかんねーな。というのは今更気がついたわけでもなかったのだが、ルチルは困惑した。


ルチル

「…でさ、結局何が言いたいわけ?」


セキエイ

「刺激が欲しくないのか?日常に。」


ルチル

「はぁ?」


ルチルは、遂にセキエイを睨んだ。


セキエイ

「何だ?スポーツを辞めると、体が鈍って動きたくなるだろ。その現象、お前も起こってるんじゃないか、ってこと。」


ルチル

「…」


ルチルは、両手で頭をクシャッとかいた。


ルチル

「最初からそう言えよ。周りくどいぞ?別に、不満なんかねーよ。感謝してるよ。」


ルチルがせっかく?良いことを言うと、


セキエイ

「ほーお前も感謝できるのか」


この男の得意技、余計な一言が始まった。そしていつも通り、ルチルはまんまとそれに引っかかる。


ルチル

「できるわそれくらい!俺がガキなんじゃなくて、ヒスイがマセガキなんだよ!あいつ本当に、7歳かよ!俺より上なんじゃねーの?」


ヒスイは特別過ぎるんだよ。あいつ15歳と同じ頭脳と精神年齢だからな。セキエイは思った。


セキエイ

「お前とヒスイを比べるつもりなんかねーよ。俺、ちょっと気になったことがあってさ。」


ルチル

「?」


セキエイは突然、街角の罵声に耳を澄まし始めた。どうやら酔っ払い同士、さっきから喧嘩中のようだ。


セキエイ

「ちょうど良い実験材料だ。そこで見てろよ。」


セキエイは、喧嘩中の2人組の男の元へ歩き始めた。


「んあぁ!?んだよお前は!!」


案の定、セキエイが近づくと、興奮冷めやらぬ男達は、罵声のターゲットをセキエイに切り替えた。


セキエイ

「静かにしてくださーい。僕ちゃん、眠れませーん。」


…何やってんだあいつ…

ルチルは火に油を注ぐセキエイを、呆れ顔で眺めていた。これは当然の如く、抜群の引火力があった。


「ざけんじゃねーぞ!!」


男は拳を振りかざし、セキエイに向かって突っ込んだ。


しめたしめた。セキエイは突っ走る男の手首を掴んだ。


セキエイ

「あらよっと。」


ルチル

「あ、これ!!」


セキエイは男の拳を掴む手と反対側の手で、男の肩を掴んで、いとも容易く投げ飛ばした。


「おわっ!!」


ひぃ!と投げられた男と口論していた男は、サッと後ずさりをする。セキエイはそれを逃さなかった。


セキエイ

「ケンカ両成敗!!」


セキエイは足をちょんと伸ばし、後ずさりした男を引っ掛けて転ばせた。


ルチルはその様子を見ながら思い出していた。あ、そういや、前に電話ボックスでもこんなことしてたな。すげーと思ったわ。ルチルがボーッとしていると、男達を追っ払ったセキエイがスタスタと戻ってきた。


ルチル

「あ、お疲れ様。あれ、なに?」


セキエイはどこの怪我もなく、余裕綽々だった。


セキエイ

「柔道だよ。俺の国の格闘技。お前もやらない?体丈夫そうだし、多分身軽だろ。」


ルチル

「やりたい。かっけー。」


ルチルは二つ返事をした。



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