表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/53

武器整備室にて・前編

ルチルがドリルを片付けていると同時に、アンは台所でいそいそと働いていた。


何だか、ルチルにとって、その光景はどこかくすぐったくなるような不思議な感じがした。台所で母が料理を作ってくれたことなんて、あるのだろうか?狭い台所でよく動くアンの姿を見ながら、ルチルは思った。


綾港の人々は、基本的にあまり自炊をしない。が、家族単位では、自炊をした方が安くなることが多い。そういえば、セキエイよりもアンの方が料理を作っているな。とルチルは感じた。


アン

「お待たせ。昨日の残りが多くて申し訳ないけど、どうぞ。」


ルチルの目の前に、ポンとスープが置かれた。ホカホカ湯気が立って、美味しそうな匂いが漂って…こんな経験は、当たり前なのかどうか。ルチルには、わからなかった。


アン

「さ、食べよう。」


アンは器を2つ持って、ルチルの向かいの椅子に座った。


ルチル

「料理、うまいっすね。本当…」


相変わらずの大飯食らいは健全だった。ルチルはズルズルとスープを飲む。


アン

「ありがとう。君は元気があっていいけど、もう少しテーブルマナーを学んだ方がいいな。」


アンはルチルを見て、クスッと笑った。


ルチル

「いつもアンデシン様が作ってるんですか?」


ルチルは、ズルズルとスープに入っている白菜を啜った。


アン

「様はいらないよ。そうだよ。僕は料理が好きでね。一応、管理栄養士なんだ。」


ルチル

「管理人?なにそれ?」


ルチルには、少し栄養士という職業が難しかったようだ。白菜を咥えたまま、犬のように首を傾げる。


アン

「違うよ。まぁ、ざっくり言えば、お店は出せる。」


ルチル

「おー!出してくださいよ!絶対流行るって!ただ、あいつは店に出さないでくださいよ。感じ悪いから。」


アン

「あいつってなー、おい、あ、失礼。」


アンはふふふっ!と吹き出して、すぐに手のひらで口元を押さえた。


アン

「あのな。一応、君の義理のお父さんになる予定の人だ。それはダメだよ。」


あいつと聞いて、すぐにわかるアンもアンである。アンは口元から手を離して、スープを飲みだした。


あ。俺、そういや、あいつの名前を知らないや。あまりに今更すぎて、ルチルはもう、聞くに聞けなくなっていた。病院で名札は見たけど、字が読めないルチルにとっては、名前を知ることは難しいことだった。


ルチル

「…じゃあ、何て呼べばいいんですか。今度から…」


ルチルは、少し頬を膨らませた。お父さんお母さん、そうはまだ、呼べない。ルチルの胸中は、タイダイ模様のようにごちゃごちゃしていた。ショックなこと、新しいこと、もう訳がわからなくなっていた。悲しむ暇もない、それが本音だった。


アン

「アンデシン様はやめてくれよ。うーん。アンでいいよ。」


ルチル

「じゃ、あいつは?」


アン

「あいつって…エイジでいいんじゃない?セキエイジだから、周りからはセキエイって呼ばれていたけどね。」


ルチル

「セキエイ?」


変わった名前だな。ルチルはあの憎たらしい顔を思い浮かべながら、白菜を噛み締めた。どこか少し、白菜がさっきよりも甘く感じたのは、多分気のせいだろう。


食事を終えて片付けてから、2人はマンションを出た。どうしてだろう、いつも見ていた綾港の街が、何となく違って見える。キョロキョロ走り回らなくていいからか?ルチルは不思議に思った。


これが平和なのか?でも、何で?

ルチルは感じていた。落ち着きの中にある退屈を。それには、アンも気がついていた。


アン

「降りるよ。」


ルチルの手を引っ張り、アンは地下鉄を降りた。駅の名前は、尖沙西。平日の昼間なのに、人通りは多い。ガヤガヤと聞こえる話し声に、割り込んで電車の走る音と雑踏が練り混ざる。この喧騒はなぜか、ルチルに癒しを与えた。ひとりのようでひとりじゃない。ルチルはそう聞こえた。


ルチル

「え?」


アン

「ちょっと、寄らせて。」


アンが入ったのは、花屋だった。チェーン店の、ごくありふれた花屋。簡素なバケツに入った色とりどりの花は、太陽の光を浴びて今日も生きている。ルチルもここに花屋があるのは知ってはいたが、入るのは初めてだった。


アン

「綺麗だね。どれがいい?」


アンとルチルは店内を見渡した。花はどれも自己主張が強い。長時間見ていると、目がチカチカしそうだった。


ルチル

「これがいい。」


ルチルは黄色い花を指差した。ダリアだろうか。八重咲きの花びらは、丸い輪郭を形成して、とても可愛らしい。


アン

「いいね。可愛いよ。これを数本買おう。それで、花束にしてもらおうか。」


アンは、店員に声をかけた。そのまま花束を作ってもらい、店を出た。黄色い花に白いかすみ草、ポップなカラーのグリーンのラッピング用紙とリボン。少し季節外れだが、初夏の新緑のような清々しいブーケができた。ルチルも女の子だな、アンは花束を覗くルチルを見て微笑んだ。


ルチル

「どこへ行くんですか?って、え?」


ルチルは隣を歩くアンにつぶやいた。アンの後に前を見ると、天津大厦があった。


アン

「もう着いたよ。」


2人は、この夥しいビルに足を踏み入れた。


行き先はもちろん決まっている、そう、最上階。


ルチルはもう、なにも思わなかった。何年もここにいたのに。自分の薄情さに、ルチルは少し驚いていた。


アン

「あ、花、置けるかな…」


アンは、前のルチルの家の前を見て、つぶやいた。


家の玄関扉は開いていた。遠目からでしか見ていないが、中のものも片付けられてしまったようだ。もしかしてエイジが来て、片付けたのかもしれない。アンは仕方なく、


アン

「この花、あそこに飾るつもりだったんだ。だから君に花を選んでもらった。でも、置なさそうだね。」


アンは、掠れた声でつぶやくと、そのまま別の場所へ向かった。


どうしてだろう。ルチルは、あくびをした。ここへ来てから、急に眠くなってきた。空気が悪いから?酔っ払いかのように、フラフラと千鳥足になっておぼつかない。


アン

「どうした、ルチル?眠いのか?」


ルチル

「…眠い。」


アン

「ほら、おいで。」


アンは、ルチルをそっと抱きかかえた。


ルチル

「…zzzz…」


アンに抱っこされるや否や、ルチルはリンゴが木から落ちるかのように、ストーンと眠りについた。ニュートンもびっくりする速さでルチルは眠る。


アン

「…ここだっけ」


アンは、ルチルの前の家と同じ階にある、とある格安宿の扉に手をかけた。


アン

「お邪魔します。」


「いらっしゃ…お?」


格安宿のロビーにいたのは、あの刺青男だった。


アン

「久しぶりだな。」


アンはルチルを抱えたまま、男を見て、笑った。


「なーるほどな。謎が解けた。風遣いのお兄ちゃんは、そういうことか。」


刺青男は、プッと吹き出して、ケラケラと笑い始めた。


ロビーと呼んでいいのかわからないような、狭い空間。そこにはパイプ椅子と、食堂のレジのようなカウンターがある。その横には冷蔵庫。そして、どこからとも無く三毛猫がミャーミャーと自己アピールをしながらアンの足元に擦りついてきた。


アン

「エイジを知っているのか?あの背の高い、日本人の男だ。」


「知ってるも何も、ルチルを連れてきていたよ。お前の旦那か。ルチル、寝かせておけ。」


男はそう言うと、1番手前の客室の扉に向かって歩き出した。アンはルチルを抱っこしたまま、男の

後をついて行く。


「ここでいいだろう。」


男は客室の扉を開け、ベッドを指差した。カプセルホテルとまでは行かないが、ベッドにシャワールーム、トイレだけの質素な部屋だった。アンはベッドにゆっくりとルチルを横たわせた。


アン

「ありがとう。あぁ、そうだ。」


「今日は何だ」


男はルチルの寝顔を見ながら、アンに尋ねた。


アン

「武器の修理。」


「わかった、来い。」


男とアンは、ルチルを寝かせた客室から、忍び足で出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ