十龍のアパートにて・その3
聖太子第一学園で、ゴタゴタが起こっている頃。十龍のあのボロアパートの7階でのことだ。
ルチル
「?」
台所のテーブルで作業をしていたルチルは、手を止めて玄関の方へ視線を向けた。玄関のドアがキキーッと音を立てて開くと、ルチルは少し安心した。
アン
「ただいま、ルチル。」
朝っぱらから一仕事を終えたアンが帰ってきた。ルチルは、アンと目が合うと、ニーッと笑っておかえりと言った。
なんとこの家で4人暮らしをすることになってしまったのだ。すべて?の原因は、そう、あの男だ。
アン
「あーあーもう…早く引っ越したいな…」
物が溢れかえる部屋を見て、アンはふふっと苦笑いをして家の中へ入った。
それは、ほんの数日前のことだ。アンは奥門の家を、引き払ってしまった後であった。4人で仲良く夕飯を食べていたとき、セキエイが顔を引きつらせてアンにカミングアウトした。
アン
「た、竜巻で!?入居できない!?どうして!」
アンが驚くのも無理はない。アンとルチルだけ、先に綾港でここよりも大きい新居へ引っ越すことになっていたのに、引っ越しができなくなってしまったのだ。
アンはもう、荷物をまとめ切ってしまっていた。
セキエイ
「申し訳ございませんでした!」
セキエイは椅子から立って、台所の床にヒスイと並んで土下座をした。
セキエイ
「帰りに新しい家の前を通ったときに、つい力を使って遊んでいたら、壊しました…」
ヒスイ
「ごめんなさい!…」
これを聞いた瞬間に、アンは即座に席を立った。
…なっ、何だ!?やべーぞ!?ルチルはとっさに身の危険を察し、アンの動きをビクビクしながら目で追った。
アン
「…」
セキエイは床に顔を擦りそうになるくらいに頭を下げている。アンはセキエイたちの真正面に足を止めて、仁王立ちをした。
セロハンテープのように、ピンと張り詰めた空気が関家の食卓に流れる。真っ先に、その沈黙を激動に変えたのは、もちろんアンだった。
アン
「…力を使って、壊しただと?…」
アンの様子がおかしい。ルチルはぽかんと口を開けて、茫然とその様子を眺めることしかできなかった。
セキエイ
「はい…」
アン
「で、家はどうなるって…?もちろん、わかってるだろうな?」
セキエイは声をガチガチに震えさせながら、噛み噛みでアンの質問に答えた。20年近く広東語を話していると思えないほど、下手くそだった。
セキエイ
「管理人さんと会社に連絡しました。自然災害だし引き渡し前だから、会社負担で直してくれるって…隣の空き部屋に移してくれるけど、リフォーム中だから待ってくれ、って…」
アンの肩が、ピクリと動いた。
アン
「あそこは僕の叔父さんの運営するマンションなんだ。わざわざ交渉してくれたところなんだよ。しかも、待つだと?具体的には、どれくらいかわかるか?」
…やべー…
ルチルは唇を、斜め左上45度釣り上げた。こんなアンを見るのは、初めてである。
ちなみに、叔父さんとは、ゴーのことだ。
セキエイ
「は、はい!3ヶ月って…」
アン
「3ヶ月だぁ!?しかも、引っ越し予定は明後日だろ!?その間、どうすりゃいいんだよ、この荷物は!おい!」
セキエイ
「ぎゃぁっ!」
アンは土下座をするセキエイの首根っこを掴み、無理やり頭を上げた。
ヒスイ
「ま、ママ!パパだけじゃないんだ、僕もその場にいて…やめようって止めたけど、僕じゃ間に合わなくて…」
ヒスイは起き上がって、アンの元へと駆けつけた。アンはヒスイの顔を見て、
アン
「ヒスイが止めた!?じゃあエイジ、ほぼお前の単独犯かぁ!?」
アンはセキエイの首根っこから胸ぐらに手を移し、セキエイのデカイ図体を引きずるかのように無理ぐり立ち上がった。
セキエイ
「ひ、ひぃっ!!」
アン
「テメェ!!いい年こいて何しとんじゃボケナスがぁぁ!!!何が風遣いのセキエイじゃ!!どーすんだよ、コレ!!4人で何ヶ月もここに住めるかぁ!!!」
セキエイ
「ご、ごめんなさい!!」
アンは玄関まで、セキエイを勢い良く引きずって行った。そして、玄関ドアを、近所迷惑だろうと思うほど豪快に開ける。
アン
「頭冷やせ!!オラァ!!」
セキエイ
「ひぇぇぇぇ!!!」
アンはセキエイを投げ飛ばし、ドアをバタンと閉めた。
ヒスイ、ルチル
「ひぃぃぃ!」
ルチルとヒスイは完熟していないトマトのように青くなり、目を合わせカタカタ震えた。そんな中アンは、ふぅ。と一息ついて、
アン
「さぁ、ヒスイとルチル、食べようか。」
さっきまでの勢いはどこへやら、ニコッと2人に微笑みかけた。この笑顔が2人を心底震えさせたのは、言うまでもなかった。
そして、話は現在に戻る。
アンは帰ってすぐにコートを脱ぎ、台所の椅子にかけた。落ち着く間もなく、バタバタと台所の周りで動く。
アン
「シャワーを浴びてくるね。そうしたら、ご飯にしよう。それまで、もうちょっと勉強してて。」
アンはそう言いながら、手を洗って冷蔵庫のドアを開けた。
ルチルは字の勉強をしていた。セキエイが、ヒスイが昔使っていた子ども用の教材を、家の奥から引っ張り出してきたものだ。
うーん、難しい。なかなか上手く覚えられないが、これをクリアしないと学校に行くことができない。ルチルは頭を抱えて、ヤケになっていた。
勉強をすると、1分1秒が長いが、夢中になるとすぐに時間が経ってしまう。これは不思議だった。
アン
「ルチル、ちょっとごめん。休憩しよう。」
アンは、あっという間に出てきてしまった。
ルチル
「あ、はい、片付けます。」
ルチルは、ドリルをそっと閉じた。




