聖太子第一学園にて
セキエイとルチルが仕事を終えて、日は一度暮れて昇った。
チンが電話を受け取ったのは、その早朝だった。その電話は、出来立てのコーヒーの味がわからなくなるほどチンを動揺させることとなった。
チン
「何ですって!?サルファがやられた…」
チンが金切り声をあげると、電話の男はチンとは反対に、スラスラ原稿を読み上げるかのように話した。
男
「えぇ、つい先ほど、遺体で発見されたようです。死因は交通事故だそうで…」
チン
「何やってんのよもう…」
チンは受話器を左手で持ったまま、コーヒーのカップを手に取った。
ったく、何だよもう。電話をしている互いは同じことを思った。にしてもこのタイミングで?男は不審に思い、チンに尋ねた。
男
「何者かに狙われているとか、そういうことはないですか?」
男は言った。チンの返答は、すぐだった。
チン
「私が?…ホホホ、やめてちょうだい。ハンならわかるけれど、なぜ?失礼ね。」
心当たりあるだろ。男の名はハーキマー。セキエイが車に轢かれた時のモニターをパソコンで見ていた、あの2人組である。そのうちの1人のサルファが、今回亡くなったのだ。ハーキマーはチンの声の震えを聞き逃さなかった。
ハーキマーはチンとの電話を切った。パソコン画面の灯りだけが頼りのこの部屋で、ハーキマーは画面を覗き込んだ。そこにある一枚の絵。ハーキマーは何度も見たが、上手いな。と思った。これ、本当に小学生が描いたのか?その絵は綾港の夜景が描かれたデッサンだった。
そこには船の番号からそこにいた人の特徴からすべて描かれていた。ヒスイが描いたものだ。密輸現場だった。
ガキンチョに目くじらを立てて、暇だなぁ。ハーキマーは正直、あまり乗る気ではなかった。サルファもサルファだ。変なスラムのガキに頼み事をして、親にばれて詰め寄られたからって変なことしやがって。頭ではそう思う半面、当然と自分の身を案じていた。
もう降りてーよ。ハーキマーはため息をついた。
…あいつに聞くか。英語出来るしな。ハーキマーは、時差が1時間進んだ国へ国際電話をかけた。
一方のチンは不機嫌なまま、いそいそと出かける準備をした。心のダークな一面を隠すかのように、ファンデーションを叩く。子どもひとりに、どれだけ手間取っているのよ。気持ちいいはずの朝日は、チンにとってはイラつく要因の一つでしかなかった。
ただでさえ、今度行われる聖太子学園第一学園初等部と、第二学園初等部との交流会があるのだ。その準備にチンは、ひっきりなしに忙しかった。
準備を終え、チンは運転手の待つ車へ乗り込んだ。
運転手
「おはようございます理事長。本日のスケジュールですが、9時から奥門の第二学園の方々が理事長室にお越しになられます。」
チン
「おはよう。席の準備は?」
運転手
「今理事長室横の会議室でしています。ご到着されたら、ご確認お願いします。」
チン
「わかったわ。まだ、時間に余裕があるわね。」
運転手はウィンカーを出して、車を走らせた。
綾港の街は、朝から騒がしい。カタンコトンと揺れる路面電車の停車駅には、列をなして人々が並んでいた。
チンは後部座席の窓から綾港の街の様子を眺めていた。朝日はもう昇り始めている。綾港のビクトリーハーバーを、薄いオレンジ色が飲み込もうとしていた。
その頃、十龍の街角では、
ヒスイ
「パパ、今日は病院でしょ?」
バッグを背負った制服姿のヒスイが、セキエイに手を振った。スーツ姿のセキエイも、大きな掌をヒスイに見せるように振る。
セキエイ
「そう。間違えて、尖沙西に行くなよ。」
と笑いながら、少しヒスイをからかった。顔では笑ってはいるが、毎朝この時間はセキエイは寂しくなってしまう。そんなセキエイの親バカっぶりは、他の人は予想していなかっただろう。とはいえセキエイは、そんな自分の一面は嫌いではなかった。
ヒスイは、今日も学校の校門をくぐった。
クラスメート
「セキ、おはよう。」
ヒスイ
「おはよ!」
教室に着くとヒスイは、ズカズカと自分の机に向かっていった。小春日和でいい天気だ。バッグを机の上に置き、クラスメートと目が合うとあいさつをした。
クラスメート
「今日なんかある?うるさいね。」
クラスメートはつぶやきながら、ヒスイの机まで歩いてきた。クラスメートは全員自分より年上なので、ヒスイよりも当然ながら大人びている。それに、背の順はヒスイが1番前だ。近くに立つだけで、ヒスイから見たらクラスメートは大分迫力があった。
ヒスイ
「なんだっけ?第二学園の人たちが来るから、会ったら挨拶するように言ってなかった?」
クラスメート
「あ!それだ!」
クラスメートはヒスイの言葉に、うんうんと頷いた。
今日の教室の中は、ポカポカ暖かい。ヒスイはつい、のんびりと空を散歩するクマンバチのように動きが鈍くなっていた。眠い。クラスメートが席に戻ると、ヒスイはバッグを開けながら、ほんわりとあくびをした。
ここ最近、異常に眠い。クラブ活動のバドミントンで汗を流してもしていても、全然スッキリしなかった。ご飯を食べている時なのに、寝そうになることもあった。
力を使うと、ものすごい疲れるから気をつけろ、とセキエイが言ったのをヒスイは思い出した。が、それより、季節の変化よりも目まぐるしい関家の変化のせいでもあった。
ヒスイはバッグから筆記用具を引っ張り出して、机に置いた。クラスメート達は流行りの日本のアニメのグッズに買い替えていたが、ヒスイは日本で買った筆記用具が気に入っていた。綾港のものよりも使い勝手がいい。ヒスイは手にした消しゴムを見て、ふと父を思い出し笑った。
そうこうしているうちに、担任がコツコツと靴を鳴らし、教室に入ってきた。急にクラスの雰囲気は、絞られた雑巾のようにキュッと引き締まる。これはどこも同じだろう。おはようございます!と挨拶が教室に響いた。さぁ、ホームルームの始まりだ。
先生
「えー、先日も言ったけど、今日は週末行われる第一学園と第二学園の交流会の係員を決めるぞー。日によって交代で、ほぼクラスの半分が当たるからなー。」
担任がそう言うと、はい!と明るい返事が教室に響いた。先生は挨拶を終えるとすぐに、名簿を取り出して話し始めた。
先生
「今日は交流会に代表として出てもらう生徒だ。セキ!」
担任は、すぐにヒスイを見た。とっさに集まる視線を感じ、
ヒスイ
「あ、はい。」
ヒスイは慌てて担任と目を合わせた。
先生
「ホームルームが終わったら、ちょっと来てくれ。説明するから。お昼はカフェテリアじゃなくて会議室でお弁当を食べてもらうよ。」
ヒスイ
「は、はい…」
ヒスイは返事をした。ようやく少しずつ、眠気は落ち着いてきていた。
昼休みになるまでは、あっという間だった。太陽の動きが早く感じたのは、ヒスイだけではないはず。
クラスメート
「おー、いってらー!」
ヒスイ
「ありがとう、行ってくる~。」
席を立って、会議室に向かうヒスイに、クラスメートは手を振った。
ヒスイは教室を出て、廊下の突き当たりにある階段まで向かった。昼休み、生徒たちは一斉に廊下に出てカフェテリアに向かうので、混み合う。ヒスイは生徒たちの波には乗らずに違う方向へ向かった。
会議室の入り口には、すでに違う制服姿の子供たちが待っていた。それだけで、見慣れた光景がまるで別の場所にいるような気持ちになる。ヒスイは少しだけ勇気を出して挨拶をした。数秒後に返された笑顔が、ヒスイの緊張感を和らげてくれた。
交流会は無事に終了した。第一学園と第二学園の違いは、国の違いだ。言葉は同じだが、なかなか会う機会のない人たちだった。なんだか、新しい人に会うことが増えたなー。ヒスイは少し疲れていた。
生徒
「お前さ。」
ヒスイ
「?」
3人の生徒たちが、ツカツカとヒスイの前に現れた。第一学園の生徒たちだ。どうやら、全員ヒスイより上の学年のようだ。見覚えがない。
ヒスイ
「はい、何ですか…」
ヒスイが席を立ち上がるや否や、言葉を遮って1人が話し始めた。
生徒その1
「お前か。セキっていう、生意気なハーフ。」
ヒスイ
「…?」
イラっとしたヒスイは、すぐに眉間にシワを寄せた。それが火に油、早口で生徒たちがヒスイに絡み始めた。
生徒その2
「ちげーよ。こいつ外国人だよ。綾港も奥門も中国も入ってねーよ。アジアとヨーロッパの移民の子。」
生徒その3
「特待生だってな。学校で1番下なのにタメ口。生意気なんだよ!」
と、口調を強めた生徒が、ヒスイの肩を掴んだ。
ヒスイ
「口を聞いてないのにタメ口って、おかしい。」
さすがにカチンと来たようだ、ヒスイも肩の手を払って、言い返す。
生徒その1
「はぁ?屁理屈垂れんなよ、チビガキのくせに!そもそも財閥や官僚の子でもねーのに、図々しいんだよ、お前」
生徒たちは代わる代わるヒスイにいちゃもんをつける。するとそこに、駆け足で助け船が入った。
「ちょっとやめなよ。いくら何でも、酷いよ。」
止めに入った生徒は、第二学園の生徒だった。今日初めて会ったのに、その生徒はヒスイの肩を掴む。誰だっけ?確か…
とヒスイが彼の名前を思い出しているうちに、
生徒その2
「よそ者は入ってくんなよ。」
と、その第二学園の生徒に冷たく言い放った。
「よそ者で何が悪いのさ。言ってもいいことと悪いことぐらいわかるだろ?」
第二学園の生徒も、思い切り食いかかった。
生徒その3
「大体さー、頭良いみたいだけど、こいつオヤジがカジノのディーラーだからね。俺たちが普通に金払ってんのに、こんな中流家庭のやつの授業料が安いとか舐めてるよね。」
生徒その1
「はぁ、マジかよ?」
あははは、と第一学園の生徒たちは、ヒスイを指差して笑った。
ヒスイは、俯いて、ふと拳を強く握った。
「…ん?なんか、変な音がする…」
変な音がする。第二学園の生徒は異変に気付き、即座に辺りを見回した。ゴゴゴと地響きのような、地球が体を捻るような不審な音が会議室を駆け巡る。
生徒その2
「なん…わぁぁぁぁっ!!!!」
そこにいた生徒たちは、約1名を除いて全員体を丸めてうずくまった。バリバリっと激しい音を立てて、窓ガラスが次々と割れる。割れた窓からは、強風を受けて折れ曲りそうになる木の枝が踏ん張っているのが見えた。
「うわぁぁっ!!」
慌ただしいのは、ここだけではないようだ。会議室の外からも、助けを求める声が轟いていた。
「おい、何突っ立ってんだよ、逃げろ!」
誰かがヒスイの腕を掴む。だが、そんな僅かな抵抗も、ヒスイの巻き起す風には敵わずに、飛ばされてしまった。




