十龍の街中にて
一同
「べいはーい!!」
金曜日の夜、これから宴の始まりである。編集部一同はグラスを掲げて高らかに声をあげた。
本日の主役は、もちろんジンだ。最優秀賞を獲ったジンの作品は、綾港だけでなく各国でも取り上げられる予定である。
社員その1
「ダークホース!今日は飲めよ!」
社員はジンのグラスに、とくとくとビールを注ぐ。並々と溢れて、ジンのグラスからビールの泡がこぼれそうになった。
ジン
「わわわ!あ、ありがとうございます!」
ジンはとっさにビールの泡を吸った。基本的にビールを冷やさないので、泡はとろりとしている。
ジンはビールを飲みながら、ぼんやりとアンとヒスイのことを考えていた。
ここから先は、ジンが写真をコンクールに出す前の話である。
あれから、ヒスイとアンに接触することは思いの外容易かった。2人にコンクールに写真を出すため、ジンはアンとヒスイに連絡をとろうとした。
そのためにまず、ジンは聖太子学園に連絡をした。ヒスイが聖太子学園の制服を着ていたからだ。その旨を聖太子学園に伝えると、
「かしこまりました、第一学園ですね。」
と、ご丁寧に理事長が対応してくれることになった。
わざわざ、理事長が。ジンは少しびっくりしたが、理事長室に入る許可をもらった。
そして翌る日の昼下がり、ジンは上司の許可を得て、聖太子学園へ向かうことになった。ごく一般市民のジンが聖太子学園に行くのは、もちろん初めてである。初めは少し緊張はしたが、一歩校門をくぐると、
ジン
「…なんか、懐かしい…」
と、緊張感は解れて久し振りに学生気分を味わうことができた。長い廊下に、教科書を持って歩く生徒、グラウンドから聞こえる明るい声。ごく平和な学生生活が、そこにはあった。
ジンは受付に行くと、そのまますんなりと理事長室に通されることになった。フカフカのカーペットを踏みしめ、かっちりと髪を固めたチン理事長と大人の挨拶、名刺交換をすることに。そして、奥のソファーに座った。
うー、新しいスーツの方が良かったかなぁ…パステルカラーのチンの派手なスーツに迫力負けをしてしまい、ジンは少し尻込みをしてしまったが、チンの対応は感じが良かった。
チン
「あら、うちの制服?この写真じゃ、全然わからないわね。」
チンは写真を見てつぶやいた。無理もない、ジンが写真を撮ったのは、ろくに街灯もない夜のスラム街、尖沙西である。
ジン
「はい。わかりにくいです。これなら個人の特定は難しいと思います。」
チン
「どんな子でした?」
チンは写真を持ったまま、ジンに尋ねた。ジンが茶髪に青っぽい目の色をしていたというと、すぐにわかったようだ。
チン
「あぁ。セキ君ね。いますよ。」
チンはそう言うと、ソファーから立ち上がり、秘書の元へ向かった。
理事長は近くに立っていた秘書の元へ行き、何やら話し始めた。すると秘書は携帯電話を取り出し、誰かと電話をした。何だろう?ジンはソファーに座って、出されたお茶に口をつけながらしばらく待った。グラスは理事長の趣味なのだろうか、ダリアの花が描かれた綺麗なグラスだった。
しばらくすると、ジンは秘書に促されて理事長室を出た。そこには、あの美しい少年がジンを待っていた。
ヒスイ
「あ、こんにちは。」
ヒスイは少しおっかなびっくりしながらも、ペコリとジンに頭を下げた。
ジン
「この前は、ありがとう。あの後、ちゃんと帰れた?」
ジンとヒスイは、待合室のようなところにいた。待合室といっても、多分は会議室のようなところだ。ホワイトボードにぐるりと囲む長い机。そしてパイプ椅子。先ほどの理事長室よりは間違いなく質素だった。
ヒスイ
「はい、帰れました。」
ヒスイは小さい声でボソボソしゃべる。人見知りなのかな、ジンは少しだけ微笑んだ。理事長に話すときよりも、やはり緊張はしなかった。
だけど、この子本当に小学3年生?ジンは首を傾げた。それにしては、あまりに見た目が幼い。けれどもそれ以上に、ヒスイがしっかりと受け答えをしていたことにジンはびっくりしていた。
ヒスイ
「あ、あの。」
ジン
「?」
ジンは真横に座って、目を泳がすヒスイを見た。
ヒスイ
「どうしてあの日、ママ…じゃなくて、お母さんをさがしていたんですか?」
ジン
「えっ?」
ジンはごくりと生唾を飲んだ。この子、何を言ってるの?ジンはぐっと唇を噛み締めた。
ジン
「どうして?私、別に…」
ヒスイ
「あそこの場所、嫌いなんでしょ?」
ジン
「…」
ジンは、言葉に詰まった。ヒスイに、何もかもを見透かされている気がしたからだ。自分の思惑を知られた時、人はえもしれぬ恐怖をおぼえる。それが今だった。
ジン
「そりゃ、デモのあったところなんて、怖いよ。」
ジンはそう言って、作り笑いをした。
ジン
「ねぇ、これ、ヒスイ君だよ。ちょっとこのことで、話したいことがあってね。パパかママとお話ししたいんだ。いいかな?」
ジンは話をすり替えて、慌てて写真を取り出した。
ここで、ジンの回想は終わった。
社員
「ジン、何ぼーっとしてるの?もう酔ったの?」
ジン
「…あっ!」
ジンは飲み会の席へとタイムスリップした。隣に座った先輩に肩を叩かれて、現実に引っ張り戻された。ジンが思い出に浸っている間に、周りの人たちの顔は薄っすら赤くなっていた。
社員
「はーい、宴もたけなわですが…」
どうやら、あっという間に時間が過ぎてしまったようだ。飲み会は、ここで終わった。
その後。飲み会が終わって、ジンとこの前一緒に日本料理屋に行った先輩ことバオは、ジンとは別の女性社員と二次会へ向かっていた。混み合う十龍の街に並ぶタクシーをやり過ごしつつ、小さな別の居酒屋ところに入った。
バオ
「…はぁ。」
席に着いて荷物を置くなり、バオはため息をついた。
社員
「何よ、面白くなさそうに。」
頬杖をつくバオを見て、もう1人の社員は苦笑いをした。
夜も間もなく更けようとしていたのに、店は閑古鳥だった。大通りからは少し外れているためか。バオは少しだけ辺りを見回し、つぶやいた。
バオ
「面白いわけないじゃない。あのジンが、史上初快挙だってさ。」
バオは、そう言うとちょっと荒い手つきで紙ペラのメニューをめくった。
社員
「あれ、でも、あんたジンと仲良いじゃん。」
バオ
「あんなの上辺よ。なんかあったらあいつのせいにすれば、こっちはやり易くなるじゃない。」
社員
「うわ、腹黒!」
口ではそう言っていても、向かいの社員はケラケラと笑った。
2人は注文をして、酒を飲み始めた。イライラしているのか、酒が進む進む。2人が店に入ってから大して時間は経っていないのに、バオの呂律は回らなくなってきていた。
社員
「まぁまぁ落ち着いてよ。」
バオの機嫌が良くなる気配はなかった。店にも、ぼちぼちと客が入ってきていた。ビールの瓶をもう一本空けたところで、
バオ
「あのね。私は大学からずっと写真部にいて、もう何度も写真展に応募してるのよ!それなのにさ、異業種からポッとやってきたあのノロマが簡単に賞を獲っちゃうなんてさ…私、否定されたようなもんだよ!?」
社員
「だけどさ。ジンだって、頑張ってるじゃない。そういう時もあるんだよ。」
必死でバオを慰めるも、それは逆効果となっていた。バオの釣りあがった目は、どんどんとキツくなっていった。
バオ
「絶対許さない。痛い目に遭わせてやる。」
バオは割れるんじゃないかというくらいに、ビールグラスを強く握った。




