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ショーヨムさん家にて

セキエイは、妙にソワソワしていた。トイレでも行きたいのかと思うことだろう。心配なのか、嬉しいのかわからないが、ほうれん草を食べ過ぎて歯がキシキシするようなぎこちなさを感じていた。それは今までには一度もない、もぞもぞする感じだった。


アンはセキエイの老婆心を伺いつつ、


アン

「ヒスイは、今日から叔父さんのところで泊まりか。」


と、この父親を労った。


セキエイ

「あぁ。3日いない。俺とだと広東語でつい話しちゃうから、日本語しか話さない俺のねーちゃんと話すんだとさ。あいつも、急に日本語を勉強したいとか騒ぎ出して何があったんだろうな。」


セキエイはアンの家に泊まりに来ていた。客にも関わらず、セキエイはアンの部屋のベッドにちゃっかり寝転がった。安堵なのか不安の誤魔化しなのか、端から見たらわからない。おまけにアンが使っている枕に顔を埋め、あーいい匂いがするーとおっさん丸出しにしながらだった。


すげぇ…アンの部屋を見回して、セキエイははぁっとため息をついた。ガラス張りのタワーマンションは、例えは悪いがまるで高級なラブホテルのようだった。セミダブルの広いベッドから、100万ドルの夜景が見える。


アン

「日本へ行くからだろう。あの子は初めてじゃないか?あ、日本へはもちろん、飛行機だろう?まさか、テレポーテーションじゃないよな?」


アンもどかんと勢いよく、ベッドに飛び込んだ。アンはセキエイの真横に座り、ジロリとセキエイを見る。


セキエイ

「え、そのつもりなんだけど。別に天眼以外用はないし。」


アン

「ヒスイに変なことを教えないでくれよ。悪いことを覚えたら、どうするんだ。」


やっぱり、と思って、アンはやれやれとため息をついた。


セキエイ

「だって航空券だけで、いくらすんだよ。アンは行かないんだろ?」


と、セキエイがベッドから上半身を起こすと、


アン

「無理無理無理無理無理…」


アンは顔面蒼白させて、必死で首を振った。その時すでにアンは涙目だった。名前を出しただけで泣きそうになるってどんだけだよ?とセキエイは思った。


アン

「もー嫌だ!悪い人じゃないし、何かされた訳じゃないけど生理的に無理!無理無理無理!」


セキエイ

「親の仇でもあんのかよ」


セキエイはアンを見て、ぷっと吹き出した。


アン

「だってキモいだろ!」


セキエイ

「はうっ」


アンはセキエイの両肩をガッと掴み、乱暴に引き寄せた。


アン

「予知と透視の練習とか言って、僕の下着の色を毎回当てようとしてくるんだぞ!」


セキエイ

「それ早く言えよ!立派なセクハラだぞオイ!あのやろーぶっ飛ばすぞマジで!」


セキエイはお化けにでも会ったように、ぎょっとして完全に引いていた。


アン

「いやー!!!キモい!!!」


アンは産まれたての子鹿のように、ブルブル顔を震わせて発狂していた。


セキエイはなぜか幼子をあやすかのように、アンを必死で慰めた。


アンの半狂乱が治るまでしばし待つと、アンはようやく落ち着きを取り戻し、話を戻した。コーヒーでも飲もうと2人はマンションの部屋を出て、仲良く近くのコンビニへ向かった。


奥門の港北街は、セキエイの住む十龍ほどではないがわりと賑やかだった。平日なのに人通りも多い。飲み会へ行く若者や、すでに出来上がっているサラリーマンなどなど、街は混み合う。


アン

「これが好きそう」


アンはコーヒーを選んで手に取った。セキエイの好みビンゴだった。


アン

「エイジ、お待たせ。帰ろうか。」


セキエイより少し後に、アンは店から出た。


外は少しずつ寒くなってきた。冬は意外と寒い。海沿いのこの街は、風が吹くと悴むような冷たさが2人を包む。


セキエイ

「持つ。」


アン

「ありがとう。」


セキエイは、アンが掛けていたバッグの手持ちを、細い肩から外した。その手のひらに細い布を絡め、もう片方の手のひらでアンの手を握った。


冷たい。その小ささ、軽さ、細さ、薄さはセキエイを不安にさせた。骨ばった薬指に無機質が結びついていた。その感触は、手のひらの持主がアンだとセキエイに教えてくれた。


セキエイ

「寒くないか」


セキエイはつぶやいた。吐いた息はすぐに消える。セキエイの隣にも、すっと白い息が宙を舞った。


アン

「大丈夫だ。」


アンは紫色の瞳をスライドさせて、セキエイを見た。


アン

「帰るか?少し歩くか?」


セキエイ

「歩く。」


セキエイの口から、勝手に返事がこぼれた。


セキエイは石畳を踏みしめた。奥門は狭い。海沿いの道を少し外れ、2人は狭い狭い坂道を下っていった。途中ある日系デパートの激しい人の出入りを目で追うこともなく、カチカチなる横断歩道を渡る。欧風の街並みは隙間風を作り、アンの赤茶色の髪を少しずつ乱暴に撫でた。ふわっと綿菓子のようにそよぐ花のような匂いが、セキエイの鼻をこそばゆくいじめた。


アン

「恋人みたいだな。」


アンの声は、セキエイの耳に入り込んだ。


セキエイ

「恋人みたい、か。」


青いマフラーに顔を三分の一ほど埋めながらセキエイは鸚鵡返しをした。そしてふと、過去を思い出す。


セキエイ

「恋人みたいなことって、何だ?」


その途端に、赤信号にひっかかり、2人はタイミングを揃えて歩みを止めた。


アン

「2人で買い物へ行ったりドライブしたり、仲良くくっついて歩いたり、か?あの2人みたいに。」


アンは真っ直ぐ前を見たままつぶやいた。そこには10代だろうか、手を繋いだカップルが2人の前に立っている。


アン

「彼らと僕たちは、同じようなカップルに見えるかもしれない。でも2人が本当はどうなのかは、わからないよ。」


セキエイは、そうつぶやくアンを横目で見た。


お前はときに、不思議なことを言う。


セキエイはアンを見ながら思った。


その大きな目は、何を映して何を憂い、喜ぶのだろう。セキエイはアンのすべてを知りたがった。そして欲した。


いつからだ?

多分、初めて会ったときからだ…


これが一目惚れか。


セキエイ

「2人であちこち行ったな。恋人みたいじゃないか?どこが良かった?」


セキエイはマフラーを口元からずらして、アンに言った。布切れ一枚ですら、アンとの壁を感じて邪魔になっていた。


アン

「…」


アンは顔を斜めにしてセキエイを見た。丸くて大きなアーモンド型の目は、目尻の長い睫毛をセキエイに見せびらかしていた。


アン

「君の生まれた街。」


アンのその瞳に映った奥門の夜景は、皮肉にも美しかった。


2人は夜景を見た後に、アンの家に戻ってきた。


セキエイ

「一服しようぜ」


アン

「うん。」


2人はベッドの横のソファーに並んで腰掛けて、壁掛けテレビの電源を入れた。買ったものが入っているバッグを、ソファーの目の前のテーブルに置いて、


アン

「コーヒー飲もう。」


セキエイ

「いいね」


バッグの中から、コーヒーとお菓子を取り出した。アンはザルだが、セキエイは酒をまったく飲まない。


セキエイ

「飲めばいいのに」


セキエイはアンが選んだカップのコーヒーの包みを開けながらつぶやいた。


アン

「僕もこれが気になったから。」


アンはセキエイと同じコーヒーのカップに、ストローを挿した。コーヒーは日本のもののようだ。ラベルはすべて日本語表記だった。


アン

「…日本語が読めない…何て書いてあるんだ?」


セキエイ

「焙煎珈琲、まろやか風味、美味しく仕上げました。アンは漢字が読めるんだから、やろうと思えばすぐ出来るぞ。」


アン

「ひらがな、カタカナが分かりにくいんだ。どういうときに使い分けるんだ?」


コーヒーのカップを覗き込みながら、アンは首を傾げた。


セキエイ

「あーそれは考えなくていいよ。どっちにしろ日本人はどっちで書かれても読めるから。」


アンはまだ、腑に落ちないような顔をしていた。そんなアンを見ながらセキエイは、からかうかのようにニヤッと笑った。


セキエイ

「ヒスイと一緒に、今度勉強会だな」


セキエイとアンは、コーヒーで乾杯をした。


しばらくして。


アン

「しかし、天眼が誰かの頼みをアッサリと引き受けてくれるとは思えないんだ。君ならまだしも…」


アンはつぶやいた。話は、今度日本へ行くことについてだ。


苦渋の末、セキエイはヒスイをESPCに報告することに決めた。その際、エスパーの新規登録には3人のエスパーによる認定書が必要となるのだ。天眼とは、日本人でエスパーの1人である。


セキエイ

「…その件だが…頼みがある…」


アン

「?」


嫌な予感がする。アンはとっさにセキエイを睨みつけた。


アン

「君はバカか!?変態か!?君がドSなのは知っていたが、そういう趣味の変態と結婚した覚えはないぞ!!?」


セキエイ

「う、うるせーな!ヒスイのためだ、協力してくれよ!」


セキエイはアンにペコペコ土下座をしていた。しかし、頼み事を聞いたアンは先程取り乱していたときと同じように目を細める。


アン

「ヒスイのためだからって…あのなぁ…」


セキエイ

「なぁ、俺だって、嫁を他人に見せるのが嫌だから、俺が女装して写真を撮るって言ってんだよ。しかもあいつは男の女装もいけるからな。」


アン

「…無理!!やっぱり無理いい!!ねぇ、天眼はやめようよ!他にもエスパーはいるじゃないか!」


アンはしゃがみ込んで、正座をするセキエイを抱きかかえる。


セキエイ

「他に張り合えるやつがいるか?Sランクかつ、すべての技ができるのはあいつだけだ。」


アン

「………」


それでもアンは涙目になったまま、唇を震わせていた。


アン

「恥ずかしいよ、ヒスイが知ったら泣くぞ、嫌だよ」


セキエイ

「アンの写真を撮るわけじゃねーだろ」


セキエイは言ってる側から立ち上がって、履いていたスラックスのベルトを外した。


アンはむすっとしたまま、セキエイの下半身をチラッと見た。相変わらず足が細くて真っ直ぐだ。毛もない。女から見ても、綺麗で羨ましい。


セキエイ

「そのスカート、ゴムか?」


アン

「なっ!何すんだよ!」


セキエイはまたしゃがみ込んで、アンの腰に手を伸ばした。


セキエイ

「貸してくれ」


アン

「あ、おい!!」


セキエイは両手で、アンのスカートを無理やり引き下ろした。アンが抑えようとするが、セキエイの力に勝てずに床に寝転んでしまった。


セキエイ

「すまん!」


セキエイはアンを両手で支えた。


アン

「もう…今僕の写真は撮らないでくれよ」


パンツ丸出しのアンは、体を起こした。この状況は、完全にセキエイがアンを襲っているだけにしか見えない。まぁ、実際はそうだが…


セキエイ

「ウエストきつ!女は細いな。」


三十路のおっさんは立ち上がってスカートを履いた。それでもって、スカートをめくった太ももの写真を撮っていた。


アン

「エロ本買えよ」


セキエイ

「そんなんじゃ、あいつは満足しない」


アン

「もう嫌だぁ!」


見るに耐えなくなってしまったアンは、顔を真っ赤にして、その場を逃げ出すかのように小走りでベッドに向かい、そのまま飛び込んだ。


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