高級ホテルにて
予定より5分早い。アンはゴーとの待ち合わせ場所に到着した。
ゴー
「早いな。相変わらずお綺麗で。」
ゴーはすでに待っていた。スキンヘッドに夜なのにサングラス、相変わらず厳つい。
アン
「そちらこそ」
ゴーは少しお洒落をしたワンピース姿のアンをエスコートした。
ゴー
「行くか。」
2人が待ち合わせたのは、奥門の海沿いのホテルのラウンジだった。ちょうど夜で、奥門や綾港の夜景が目立ち始めていた。
どう見てもゴーの出で立ちはマフィアのそれ。よくこんなホテルに入れたなーとアンは思ったが、
クラーク
「ゴー会長、お待ちしておりました。」
とホテルに入るなり深々と頭を下げられてしまった。
なーるほど、そういうこと。アンは案内されるがまま、高速エレベーターに乗り最上階へ向かった。
そこはシャンデリアが素敵なレストランだった。夜景を楽しむためか、ライトは少し薄暗いが、濃紺の絨毯に淡いブルーのシャンデリアはよく合っていて、水族館にいるような気分を味わせてくれた。
なんちゅー値段やねん!アンはホテルのレストランのメニュー表を見て目が眩んだが、ゴーは気にせずにジュースとグラスワインを注文した。
ゴー
「飲まないのか?」
ゴーはアンに尋ねた。が、
アン
「寄るところがあるので…あまり時間もなくて、ごめんなさい。せっかくなのに」
ゴー
「忙しいのに、こちらこそすまんな。それにしても、結構庶民的なんだな。」
ゴーは向かいに座っているアンを見て笑った。
アン
「貧乏性で…」
ゴー
「その方がいい。金銭感覚は大事だ。で」
アン
「?」
ゴーはグラスをテーブルに置き、つぶやいた。
ゴー
「ここから先はハンガリー語で話さないか?」
アン
「え、話せるのか?」
アンは目を丸くした。綾港でハンガリー語を話す者は、極々僅かしかいないだろう。聞かれたくない話なのは、すぐにわかったが。
ゴー
「俺は語学オタクでね。練習したいんだ、聞き取れなかったら言ってくれ」
アン
「は、はぁ…」
アンは大人しく頷いた。
夜景は時間が経つにつれ、更に美しく輝き始めた。ここはレストランの一番窓辺の席、おそらく1番いい席だ。
お酒の後は、簡単な前菜がやってきた。トマトベースだろうスープにサラダとパン。テーブルマナー、大丈夫かな?アンは少し戸惑った。
ゴー
「アンが断った相手のことだが」
アン
「?」
アンの指は、微電流を食らったかのように、ピクリと動いた。
ゴー
「通じているか?」
アン
「…平気だ。聞き取れる。」
アンはもう一度、止まった指を動かし始めた。ゴーのハンガリー語は中華訛りがあったが、文法はきちんとできていた。
ゴー
「あれ、アンの子どもだろう?」
アン
「…」
アンはふっと、口元を歪めた。
アン
「…そうだけど?」
アンは素直に白状した。
アン
「なぜわかった?」
ゴー
「見てすぐにわかった。そっくりだ。」
アン
「それを知っていて、僕を揺さぶっているのだろう?」
アンはもう、豪華な食事に舌鼓を打っている場合ではなかった。
ゴー
「残念ながら外れだ。そんなことをしたところで、俺には何のメリットもない。」
アン
「?」
どういうことだ?アンは、首を傾げた。
ゴー
「連中の狙いは君ではないからな。別に俺と君が関わりを持とうが、やつらはどうでもいいんだ。俺も連中自体とは、直接関わりはないし」
アン
「だとしても、危なくないか?僕にアドバイスをすれば、少なくともこの話に君は首を突っ込むことになる、そう取られてもおかしくはない。」
ゴー
「それは単なる俺の善意だ。やましい気持ちなどない」
アン
「…」
アンはまだ納得していなかった。もちろんそれも、ゴーの考えのうちだったが。
ゴーはグラスワインを飲み干した。すると近くにいたボーイが、ささっと新しいワインを注ぐ。サービスは最高だった。
ゴー
「アン、どうして俺が、君のことをすぐに見つけ出せたかわかるか?」
アン
「…」
何も答えなかったアンの目の前で、ゴーはそっとサングラスを外した。サングラスを外す姿を見るのは、そういえば初めてだった。室内でのサングラスは確かに変だ。
アン
「ハンガリー語が話せるのは、それでか。」
アンはゴーの瞳を見つめ、息を飲んだ。まるで地球儀のような瞳だった。青くて、水々しくて、それでいて透明感のある色。
あぁ、この瞳、知ってる。僕は初対面なんかじゃなかった。
たくさん面倒をみてくれた、優しい人だ…
サングラスを外したゴーの目は、青色に輝いていた。
ゴー
「君の母さんとは、たまに連絡はするんだけどな。アンの居場所を掴むことは正直、大変だった。子どもの頃たくさん遊んだけど、覚えてるか?」
アン
「ヘリオドール叔父さん!」
アンはニコッと無邪気に微笑んだ。
ゴー
「そうだよ、アン!」
アンの目の前で、青く輝く円な美しい瞳が笑っていた。
ゴー
「俺は学生の頃からずっとアメリカにいてな。中々会えなくて。」
アンの顔は、一瞬にしてパーっと晴れていた。そこにはもう、今までの不信感などなくなっていた。
アン
「サングラスしていると、全然わかんない…ゴーという名字は、どうして?」
ゴーはサングラスをテーブルの上に置いた。
ゴー
「養子になったんだ。そのときに事業を継いで、綾港で仕事を始めた。今はもう活動拠点は綾港さ。だから、ハンガリー語を話せるのは昔から。軽いジョークだよ。」
ゴーももちろん先ほどよりも、遥かに上機嫌になっていた。
ゴー
「もうアンも、子どもがいるんだな。まさか君だとは思わなかったよ。これ、良かったら。」
ゴーはチンからの依頼で得た金を、すべてアンに差し出した。
アン
「え、受け取れません。こんなに。」
ゴー
「結婚祝いも出産祝いも、何もしてられなかったダメな叔父さんさ。このくらいさせてくれ。」
ゴーはもう、完全にただの親戚のおじさんになっていた。
アンはゴーとの食事を終えると、その足でそのままいつも行く病院へやってきた。
この病院は奥門で唯一、夜間も治療してくれるところだった。
火事から2年、アンはここにずっと入院していたが、今でもたまに通っていた。
看護師
「ショーヨムさん、こんばんは。」
アン
「こんばんは…」
治療は終わった。もう夜も遅い時間だった。アンが動くと、ホテルでゴーが買ってくれた名物のクッキーの甘い匂いが少しだけした。病院でこれは、やっぱり迷惑だったかな…思いの外匂いが強く、アンは後悔した。
帰りの受付でも、早くヒスイの喜ぶ顔が見たかった。ヒスイ、どんな顔をしてくれるのだろう。そればかりが頭に浮かんでいた。
そのとき。
看護師その1
「いい匂いがした。」
仲が良くなった看護師達が、アンに声をかけてくれた。
アン
「あっ、ご、ごめんなさい、病院なのに…」
看護師その1
「いいですよ、うちはお見舞いでお菓子を持ってくる方がたくさんいますから。」
看護師は、笑って答えた。
看護師その2
「ヒスイ君とご主人、最近忙しいですか?前は毎日お見舞いに来てくれてたから、最近見なくて…」
アン
「…………」
アンの顔は、一瞬で強張った。
あ、あれ?看護師はそんなアンの表情の変化にふと気がついて、
看護師その1
「?ご主人とヒスイ君、何かあったんですか!?よく来てましたよね、夜中に。ヒスイ君いつも疲れてるから寝ちゃってて、ご主人が抱っこして来てましたよ。ショーヨムさんの荷物を持って行ってくれたり…ショーヨムさん、しばらく寝たきりだったから、ご主人が身の回りのことやってくれてましたよ。お医者さんだし…」
看護師その2
「そうそう、よく通院してるときもご主人と2人で来ていましたよね?ご主人、韓流スターみたいでいいなーっていつも話してて…」
…どういうことだ?
記憶がまるでない…
看護師の話を聞いても、アンは何1つ頷くことができずに、ただ固まっているしかできなかった。
2年間、全く会ってなかったんじゃ…
…エイジ、どうして!?
何で?僕は何もわからない…
アンは頭が真っ白になった。そして、ポトンとクッキーの入った袋を足元に落としてしまった。




