十龍のカジノにて
ここは綾港一の繁華街、十龍。街一面に漢字で書かれた看板が、これでもかっ!と眼の水晶体に向けて攻撃してくる。その中に、金色に輝く大きな建物があった。
綾港の一大産業のひとつ、カジノ。多くの外国人客が札を握りしめて淡い夢を見てやってくる。
外観にも負けずに、カジノの中もカラフルだった。エスカレーターを上がると小さなカフェがあり、そこから先は未成年には刺激の強すぎる場所だった。
客その1
「ああっ!ファック!またやられた!」
客その2
「もうよせよ、帰れなくなるぞー」
とははは、と笑い声が聞こえていた。その横で淡々とルーレット台のそばでディーラーは仕事をしていた。
「さぁ。どうしますか。」
ディーラーは特に誘いもせず、止めもしなかった。彼の冷めた目は天国も地獄も目の当たりにしてきた。遠方からの客は舌打ちをしながら、
客その1
「次でラスト。赤の3。ベット全額。」
「かしこまりました」
ディーラーはルーレットを回した。
結果は差し引きゼロ。客は苦笑いを浮かべて帰っていった。
ディーラーはふうっと息を吐いて、近くにあったプラスチックのコップのお茶を一口飲んだ。まぁあそこでやめて賢明だな。とふと先ほどの客を思い返した。
のも束の間、パタパタと軽くて早い足音がカジノの赤絨毯を蹴飛ばした。
「パパ!!」
「ヒスイ!」
ヒスイと呼ばれた少年はディーラーの腰に飛びついた。思わずこぼしそうになったお茶を置いて、ディーラーは少年を抱えた。
「中に入るなって言っただろ?カフェで待ってろって、たく。」
ヒスイ
「だって、中に入らなきゃトイレないんだもん。」
「で、ちゃんとトイレには行ったのか?」
ヒスイ
「うん。お腹減ったー!」
ヒスイとディーラーのやり取りを見ながら、隣でカードゲームに勤しむご婦人たちは赤子をあやすように笑っていた。
「パパはもう少しで終わるから、待ってて。」
ディーラーは小銭をヒスイに渡した。ヒスイは小銭を握りしめ、またウサギが跳ねるようにパタパタとカジノの外へ出て行った。
赤絨毯を駆け抜けて重厚感のある金色の扉を開く。すると白い壁でガラス張りの、カジノに似つかないオシャレで安いチェーン店のカフェがカジノの横にくっついていた。そこのカウンターからヒスイがよく話す店員が顔を出した。
店員
「ヒスイ君、こんにちは。今日もパパ待ち?」
店員はヒスイに笑いかけた。
ヒスイ
「うん。今日はぶどうジュースにするー」
ヒスイは小銭を店員に渡した。
店員
「はーい、ちょっと待っててね。あそこ空いてるよ。」
ヒスイはぶどうジュースを店員から受け取り、店の奥のソファー席へ移動した。いつもここで、宿題をしながら父を待っていた。そのことはカジノの人たちもカフェの人たちもわかりきっていた。皆、優しくヒスイを受け入れてくれたため、1人でもちっとも寂しくはなかった。
天気がいい。夕方なのに日差しは強かった。街路樹も青々と葉を広げて元気が良さそうだ。公園で駆けっこしたいな。パパ、してくれるかな?ヒスイは大人しくノートを広げた。繁華街だけあって人通りは多い。ヒスイは1人で黙々と漢字をなぞっていたが、父はなかなか来なかった。
「ヒスイ、ごめんな、お待たせ。」
ヒスイ
「パパ、遅いよ。」
ぶどうジュースの入っていたグラスは空になっていた。もう水蒸気も蒸発してしまっていた。ヒスイは頬を少しだけ膨らませ、ソファーから飛び降りた。向かいに立つスーツの痩せた男の後ろは、闇がこんにちはと顔を出し始めていた。
ヒスイ
「明後日の分の宿題も終わったよ。明日何にもしなくていいでしょ?」
「じゃあ、その次の分をやれば?」
ヒスイ
「パパのいじわるー!」
ヒスイは頬をカエルのように膨らませたが、父はクスクスと笑っていた。
2人の家は歩いて数十分のところにあった。地下鉄も通っているが、ヒスイは歩いて帰る方が好きだった。キラキラ輝くネオン、街路樹の黄色い花、そのすべてが煌びやかにヒスイを誘っているように見えたのだ。早く大人になりたい、ヒスイは子供ながらにいつも思っていた。そしてそれを口に出した。
「何で大人になりたいの?」
父はヒスイに尋ねた。
ヒスイ
「ママに会いに行きたい。」
「そっか。」
父の返答は、思いの外あっさりとしたものだった。
ヒスイ
「公園に行きたい」
ヒスイはつぶやいた。空気を読んだわけではない。そこまで察するほどヒスイは頭が回らなかった。ただ単純に、今日は風が気持ち良かったからだった。
「そうだな、行こうか」
父はすぐに賛同してくれた。公園といっても、滑り台などの遊具が少しだけあって、あとはバスケゴールだけの簡単なところだった。近くにあるボールを父が拾うと、
「ほら、行くぞ!」
とヒスイにパスをした。
スーツのまま父とヒスイは、無邪気に走った。辺りからは屋台の美味しそうな煙が立ち込め、夕食時を通行人に伝えていた。




