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綾港の七合街海浜公園にて

女はバーを出て、冷たい風の吹く夜道を歩いた。


この国、綾港の夜は遅い。夕暮れが街を染めれば、老若男女はここぞとばかりに今度はネオンに染まりそうな街へと繰り出す。


アジアに位置する綾港は狭くて小さな国である。けれども人々の熱気は世界でも有名である。この国のどこへ行っても飲み屋やホテルや住宅は尽きない。摩天楼と言われる高層ビルがひっきりなしに建ち並び、海沿いの道を照らす。人々はたくましく、賑やかに今日も生きている。


この国の1番の繁華街は十龍城を中心としたエリアである。十龍城はかつての王族が支配していた場所だ。女が今いる七合街は、ここからとても歩いては行けないところにあった。


女は飲み屋街を抜けて海まで向かう。海の傍までも高層マンションは並ぶ。ここは七合チーヘー、お金持ちといわれる異次元の人々の暮らすところだ。ビーチには猫の額のような砂浜があり、近くにはショッピングモールが建っている。この時間に営業しているのは、コンビニとバーと居酒屋だけだった。


午前2時半。女は待ち合わせをしていた。待ち合わせ場所はこの七合街海浜公園のショッピングモールの真横にある、小さな寺のベンチ。相手はゴーという、IT長者だった。


「アン」


波音の向こうを見ていた女は振り返った。夜なのにサングラスで、背は低いが、全体的にガッチリとしていて筋肉隆々なスキンヘッドの男がいた。彼がゴーだ。


アン

「初対面の人に呼び捨てですか。」


ゴー

「噂通りの本物だ。目の色、アジア人じゃねーな。」


ゴーはアンのボヤキを無視して、アンの小さいけれど綺麗な横顔を作る顎に手を当てて引き寄せた。


アン

「本物ですよ、言われなくても」


アンがつぶやくと、ゴーはアンの顎から手をそっと離した。そのまま踵を返し、こっちだ、とつぶやいて暗い道を高そうな革靴を鳴らし歩き始めた。


アンは口元を少し引き攣らせてゴーの跡をついて行った。ショッピングモールに隣接した駐車場にはろくに人影もない。だが、いくらなんでもここは危険と感じたアンはゴーに言い、車を少し動かせた。しばらくすると、ゴーはろくに返事もせずに運転手つきの豪勢な車にアンを乗せた。


商談開始だ。アンは会話を録音し始めた。


ゴー

「こいつかこいつを捜して欲しいんだけど」


ゴーは一方的に話を進め始めた。

人のことを聞かなさそうだなぁとアンは思っていたが、予想は的中した。アンはゴーから突きつけられた写真を受け取り、今回の星をまじまじと見た。


アン

「こいつは無理だ。」

アンは、初めて依頼を断った。


白い手袋をした運転手は可哀相に、潮風が吹く外で待たされていた。赤道に近いが綾港は冬は決して温暖ではない。上着がなければ寒い。車の中はアンとゴー二人きりであった。車のライトに照らされていたのは、アンが持つ2枚の写真だった。


そこには男が写っていた。1枚目は60代の男、もう1枚は幼い子どもを連れて歩く若い男。


ゴー

「ほう、お前にもダメな相手がいるのか」


ゴーはアンの顔が歪むのを眺めながら言った。光に当たってアンの顔に影ができていたが、その影がアンの表情の変化をよりはっきりと映し出していた。


ゴー

「二人ともダメか」


アン

「いや…こっちだ」


アンは2枚の写真を右の手のひらにのせていたので左手の人さし指で片方の写真を指差した。左側の、子連れの男の写真だった。


ゴー

「俺は知らないな。何者だ、こいつは。あと、このガキ。」


アンの青ざめた表情から只者ではないとゴーは察した。アンの口元はまごついていた。


アン

「もう一人は政治家だろう?彼は始末すればいいのか?どうして欲しい?」


ゴー

「そうだ。元政治家のハンだ。若い男は俺は知らない。俺もハンの妻に頼まれただけだ。」


アン

「頼まれたって、二人ともか?」


アンは珍しく感情を表に出した。声がわずかに震えていた。初対面の人の前でここまで興奮するなど、恐らく今後はないだろう。アンは自分でもわかっていた。


ゴー

「依頼を受けないのに知る必要もないだろう。それともやるのか?」


アン

「その内容による。始末は無理だ。僕ではとうに手に負えない。」


ゴーはアンの細めた目を眺めていた。ハンとは綾港の政治家で、その妻のチンは手広く事業を行い、財界でも顔の通った人物だった。


今回の依頼は、そのチンからゴーが頼まれたものである。いわゆる、「アンに紹介することによってお小遣いがゴーの手元に入る」というわけである。金に目のないゴーが引き受けない理由はなかった。


ゴーは改めて、アンが小刻みに震える手で持つ写真を見た。5歳くらいだろうか。手をつないで父親らしい人物と歩く少年、その父親はスーツ姿のごく普通の青年だった。決して怪しい人物には見えない。社会人数年の若造といったところか。耳に少しかかった黒髪に色白の肌、口元は笑っていなかったがその眼差しは優しかった。親子に間違いない。口ほどに青年の目が語っていた。


ゴー

「何者だ、こいつ?」

ゴーは1番知りたいことをアンに尋ねた。アンは間髪入れずに答えた。


アン

「僕の師匠だ。僕は彼にだけは勝てない。恐らく綾港、いや、アジアで彼に及ぶ殺し屋はいないだろう。」


ゴーは三たび、写真の青年を見た。そして、あることに気がついてしまった。


ゴーはアンを見つめた。




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