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綾港の七合街で

綾港リンコンの繁華街から少し離れた、場末のバーにて。


マスター

「お客さん、いらっしゃい。初めてだねぇ。」


重い木製の扉はぎこちなく開いた。カウンターに立つマスターは扉を動かした女に声をかけた。すっかり夜も更けてきた午前2時、虫が食うように置かれた10席ほどのバーのテーブルは半分は客で埋っていた。


しっとりとしたジャズソングに似合わずに、常連と思しき人たちは盛り上がりを見せていた。その人たちが動くたびに生温い風が起こり、マスターの頭上のラックにかかるグラスが小刻みに音を鳴らす。よく割れないよなーと女は視線を斜め上に傾けていた。


店の色は一言でいうとオレンジ色。ランプの明かりと80年代よろしくのジュークボックス、スポーツを映すモニターが店の主な光源だった。初老であろうマスターの白いワイシャツはランプの明かりを浴びて黄色く見えた。


女は煉瓦色の床板をカツカツ鳴らしてカウンターに進んだ。そしてマスターの目の前でピタリと足音を止めた。


マスター

「何飲みますか?」


マスターはグラスを片づけながら女に微笑みかける。


「待ち合わせをしているから、あまり強くない、軽いものをください。」


女はジャケットを着たまま小さい声で言った。


マスター

「あぁ、そうか。んじゃ、オススメを作るよ。」


マスターはシワで垂れた目を細めて言った。目の前にいる人物は少しか細い声といい狭い肩幅といい、筋張った首はどう見ても女のそれ。ただ言葉遣いは男のものだった。


まぁ、ただの男勝りなお嬢さんだろう。マスターは慣れた手つきでカクテルを華麗に用意する。グラスの中へ弾けるオレンジはランプの明かりを反射し、それはそれはムーディなものだった。


マスター

「お待たせ。ほぼノンアルコールですよ。」


女をイメージしてマスターが作ったカクテルは、白くて小さい花が添えられた美しいグラスだった。これだけでひとつの作品のように、小さいながらも存在感を発揮していた。


「いただきます」


女は手を前に伸ばした。赤い石で出来たブレスレットのかかる手首は細くて白くて美しい。


「美味しいです」


グラスを持つ女の一言は、まさしくマスターの仕事へのやりがいとなるものだった。


「なんてカクテルですか?」


女はグラスの中を覗きながらつぶやいた。


マスター

「ミモザですよ。」


マスターはニコニコしながら答えた。鼻の下の伸ばしながら、の方がいいのか。女の持つ大きい瞳に、マスターは目が離せなくなっていた。


残念ながら女はすぐに店から出て行ってしまった。それは決して気分を損ねたわけではなかった。女のいなくなったカウンターの片隅には、ほんのり花のような香りが残っていた。


「マスター」


マスター

「はい?」


奥のテーブルでミックスナッツを摘んでいた常連のひとりが、女のいたカウンターを拭くマスターに声をかけた。


「さっきの人さ、西洋人?」


常連の言葉にマスターはふふっと小さく笑った。


マスター

「そうでしょう、どう見ても。華奢で綺麗な人でしたよ。」


マスターは働く手を休めずに言った。


「うーん…」


ところが笑うマスターとは逆に、常連はぽりぽりとナッツを噛みながら眉間にしわ寄せする。何が面白くないのか、マスターにはわからなかった。


「あれ…あの目見たでしょ?マスター、あの人には関わらない方がいいよ。」


マスター

「何で?」


マスターは首を傾げた。別に何かしたわけではなく、大人しく飲んでチップを置いて帰った、何の当たり障りもない客であったからだ。おまけに美しい。


「…マスター、ちょっと来て」


ナッツを食べる常連の仲間が、マスターに手招きをした。不思議に思いながらもマスターは常連が囲うテーブルへと足を運ぶ。


「この国では有名だよ、あの人。紫色の目をしてた?だったら他のお客さん、引いちゃうよ。」


そうなのか。マスターは驚きを隠せず、ただ常連のコソコソ声に耳を傾けていた。


常連が飲んでいたグラスの氷は半分近く溶け、ウイスキーの海へカランと音を立て浸食していった。そうして今夜も、ゆっくりと更けていった。

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