大嫌いな場所
次の日。セキエイはヒスイを連れて、ある場所を訪れた。
ヒスイは眠たい目を擦った。でも仕方ない。昨晩遅くまで起きていたのは、自分のせいなのだから。
どこだろう、ここ。ヒスイは初めて訪れる場所に、緊張感を漂わせていた。
ヒスイ
「パパー、だれのお家?」
ヒスイが手を繋ぐセキエイに尋ねても、
セキエイ
「まぁ、わかるさ。」
と、きちんと答えてはくれなかった。
セキエイとヒスイが向かったのは、綾港の、前の国境線沿いにある町だった。今ではもう、中国と統合されてしまったが。
十龍からは車で5時間、新幹線でも結構かかった。
ヒスイ
「もうすぐ着くー?」
長旅にヒスイは飽きてしまったのか、眠たそうに目を擦る。
セキエイ
「あぁ、もう着く。ごめんな。」
セキエイはヒスイの手を引っ張って、バスに乗った。
テレポーテーションさえ使えば、こんなのすぐである。けれども、セキエイはそうはしなかった。新しくなったのか、バスは綺麗でセキエイの記憶のものとは異なっていた。
バスから見える風景もマンションばかりで、とりわけヒスイの気を引くようなものはない。
セキエイ
「懐かしいな。」
窓辺に頬杖をついて、セキエイはつぶやいた。通路側に座るヒスイは、セキエイの手を握りながら窓の外を眺める。
ヒスイ
「懐かしいの?」
ヒスイは、セキエイに尋ねた。セキエイは外の風景から視線を外して、ヒスイの瞬きする目を見てつぶやいた。
セキエイ
「パパが昔、住んでいたところさ。」
ヒスイ
「ママは?」
セキエイ
「ママも知ってるよ。でも、今日はママは病院なんだ。今度は3人でどこかに行こうね。」
ヒスイ
「うん!」
ヒスイはセキエイから目をそらして、再び窓の外をちらっと見る。バスが進んでいるのかいないのか、わからなくなるくらいに景色は変わらなかった。
団地のようにそっくりなビルが建っていた。そこに干された洗濯物は、ここに人々が暮らしていることを教えてくれる指標であった。自分の家がどこだか、わからなくなりそう。ヒスイはそんな子どもらしいことを思っていた。
「次は~、警察署前~…」
セキエイ
「着いた。降りるよ。」
セキエイは、大丈夫と自分に言い聞かせるかのように、ヒスイの手をくっと握った。
ヒスイ
「えーい、とーちゃーく!」
ヒスイは元気よくバスから降りた。バス停の目の前には警察署らしきパトカーがたくさん停まる建物があったが、周りは特に何もなかった。ヒスイはパトカーかっこいい!とはしゃいだ。
山間のここは海沿いの十龍と比べると、少し寒い。はしゃぐヒスイの息は白く、白とグレーが溶け合う空に昇っていった。
セキエイ
「ヒスイ、こっちだよ。」
セキエイはヒスイに手招きをした。
セキエイとヒスイがやって来たのは、マンションの1階にくっつけられた診療所だった。全体的にぼやけた印象のある街の中ではそこそこ新しい建物だった。元国境付近なので、新しくても家賃はさほど高くはなさそうだった。
午後休診と書かれた看板が入り口にくっついている。セキエイはその入り口を遠慮なく開けた。
セキエイ
「…ただいま。」
久し振りだな。セキエイはヒスイの手を繋いだまま、眼球を360度回転させてぐるっと見回した。ヒスイはくるくるとこまめに首を動かし、不審に辺りを見回す。
すると、奥から初老の男が現れた。背が高く、一重まぶたの、誰かに似た日本人。彼こそがおっちゃんだった。
ヒスイ
「コンニチハ。」
セキエイとヒスイは診療所の上の階の、マンションの2階に通された。ごくごく普通の家だった。リビングに通された2人は、並んでソファーに腰をかける。
おっちゃん
「おー、日本語話せるのか。頭良い子だな。」
どれくらいぶりだろうか、孫の前ではさすがにおっちゃんはデレデレしていた。
ここでの会話はすべて日本語だった。ヒスイはまだまだ完璧にはできないようだ。ところどころ、首を傾げていた。
セキエイ
「ヒスイに会うのは初めてだっけ?」
おっちゃん
「アホかお前。取り上げたのは俺だろうが。アンは診療所の奥のベッドで数日寝てただろう。大きくなったなー。」
おっちゃんは目をパチパチさせるヒスイを見て言った。
セキエイ
「あ、そっか。」
アンが隣にいたら、確実に胸ぐらを掴まれていただろう。
おっちゃん
「お母さん似だな。」
おっちゃんはヒスイの頭を撫でながら言った。
ヒスイ
「うん。よく言われる。」
「エイジ。」
セキエイ
「……」
セキエイを呼んだ声は女性だった。声がした方向に首を動かし、セキエイは固まった。
ヒスイ
「パパ?どうしたの?」
ヒスイはセキエイの腕を引っ張るが、セキエイはビクともしなかった。
セキエイ
「どういうことだよ、聞いてねーよ。」
セキエイは頭を抱えていた。その腕の中にはコートに包まって、ヒスイが眠っていた。疲れてしまったのだろう。けれども、その方がセキエイにとっては好都合なだった。
セキエイとヒスイの向かいのソファーにはおっちゃんの隣に中年の女性が座っていた。ルリ、セキエイの姉である。この診療所でスタッフとして働いていた。
ルリ
「綾港に来たのは、本当に最近よ。広東語は全然わからない。」
セキエイ
「母さんはどうなったんだ?」
ルリとセキエイの会話はぎこちなかった。もう人生の半分以上、離れて住んでいるのだ。それでも、互いの顔ははっきりとわかった。
ルリ
「奥さん、連れて来れば良かったのに。」
ルリは質問にはっきりとは答えなかった。
そっか。そういうことか。セキエイは、何となく察した。
セキエイ
「今日来たことは話していない。ヒスイのことで、ちょっとあってな」
おっちゃん
「何だ?」
おっちゃんは、話に割り込んだ。
セキエイはまだおっちゃんを、父と呼ぶには抵抗があった。元はといえば、日本で普通に暮らしていたのにこのおっちゃんが勤めていた病院で医療費を不正支給し、日本に居場所がなくなった。そして、セキエイを連れて綾港へ逃げて来たのだ。
その時、姉と母は実家に逃げ帰っていた。
それ以来、セキエイは母とは会っていない。その頃からセキエイのエスパーとしての力は現れ始めていた。
母はセキエイを恐れていたのだ。
知らない土地で言葉も通じず、しかも突然セキエイはESPCに連れて行かされ、よくわからないまま犯罪の手伝いをさせられることになった。正直、その頃のことはもう思い出したくはなかった。
セキエイは迷った。ヒスイがエスパーだとわかると、この子は自分と同じようなことをさせられるんじゃないか。
だが、もう隠せない。
セキエイ
「ヒスイが、エスパーなんだ。」
セキエイはそう言った。
おっちゃん
「エスパー同士の子どもはそうなるのか。」
おっちゃんが思いの外驚かなかったことに、セキエイは拍子抜けした。
セキエイ
「そもそもESPCにいるエスパーで結婚してるのなんて、俺らぐらいだろう。」
おっちゃん
「ま、変わったのが多いからな。しかし、遺伝するもんなんだな。どうすんだ?ESPCには行くのか?」
おっちゃんは、ふとため息をついた。
セキエイ
「連れて行きたくなんかねーよ。大体あそこにいる連中は、世間からハブリにされて捨てられたやつらばかりだ。せいぜい利用されて、使い捨てられるのがオチだ。俺はまだマシな方だろ、学校に行けて、結婚して家庭をもてたんだから。」
おっちゃん
「だろうな。」
それはお前とアンだからだろ。おっちゃんは思った。
セキエイを恐れていたのは母だけではなかった。おっちゃんも、ESPCの人たちもそうだった。エスパーの中でも数人しかいない、最強クラスのエスパーのアンとセキエイに敵うものはいなかったからだ。
セキエイとアンに何かすれば、秒殺されるのはわかっていた。
おっちゃん
「でも、ESPCに通さないと、どうなるか…」
ESPC本部に登録しなければ、エスパーは力を使うことができない。使ってしまったら、処罰対象になってしまう。
けれども、誰もヒスイを完全に止めることができないのなら、登録するしかない。アンの考えはこれだった。
セキエイ
「わかってる。でも俺は、絶対にヒスイを手離さない、利用させない。ヒスイに余計な手を出すやつはすべて殺す。それが親でもな。」
セキエイは、世の中のすべてを舐め腐っているかのように、目を細めた。




