夜を駆ける
ヒスイは夜道を歩いていた。
ろくに人通りもない、汚い夜道だった。
不思議と胸は騒ついた。正直、気分は良くない。
…誰かが、パパとママを捜してる。誰だろう…
ヒスイは時間がピタリと止まったことに気がつかなかった。そもそも被写体もなく、風もろくに吹いていないため、そのことをヒスイに教えるものがなかったのだ。
ヒスイは更に夜道を歩いた。アンとセキエイが必死で呼びかけているのに、ヒスイはその声を弾いてしまうほど、声に耳を傾けていた。
ヒスイ
「あっ、ここは…」
少し歩くと、ヒスイはとある地下鉄の駅に出た。アンとルチルと歩いた道。尖砂西だ。
ヒスイ
「ここ、パパのいた病院の近くだ。」
ここまで、大分歩いてきていた。子どもの足では地下鉄数駅は、かなり歩く。
ヒスイは駅に着いても足を止めずに、更に歩き始めた。
ヒスイ
「どうして、そんなに僕のパパとママに会いたいの?何をしたの?」
話しかけても、ろくに返事はなかった。
ここでヒスイは気がついた。時間が止まっている。
どうして?僕、そんなことをしたかな?でも…
ヒスイは時間を戻さなかった。そうして、セキエイは事故に遭ってしまったからだ。
そのことはわかっていた。だけど、怖くて言い出せなかった。
ヒスイは駅を通り抜け、ひたすら走り始めた。声は今は聞こえない。それでも神経を集中させ、聞こえた方へと駆け抜ける。夜風もない、寂しい街を。
駅前のアーケードを越えると、そこはスラム街の入り口だった。keepoutと書かれたテープが張り巡らされている。英語の得意なヒスイには意味がわかったが、それでもヒスイはテープを越えて中に入った。
そこには無政府主義者の爪痕がまじまじと残っていた。焼け焦げた壁、割れ落ちたガラス。ヒスイは踏みしめて歩いた。
…あれ?
ヒスイはそこに、人影を見つけた。焼け野原に咲くハルジオンの花のように、しゃんとした立ち姿があった。
ところ変わって、ここは十龍のスクランブル交差点。
セキエイ
「アン!いたか!」
アンとセキエイは、同時にここに戻ってきた。
アン
「ダメだ、見当たらない。何も反応しない。」
セキエイ
「ああっ、くそ!!」
セキエイはその場で地団駄を踏んだ。
セキエイ
「あいつがここまでとは…」
アン
「なぁ」
セキエイ
「?」
アン
「もしかして、尖砂西の病院に行ったんじゃないか?」
アンは首を捻りながら、セキエイに言った。
これが、大正解だった。
セキエイ
「何でだ?俺はあいつにカジノにい…あ、」
セキエイは、はっと目を見開いた。
セキエイ
「そうかもしれない…」
アン
「そうと決まれば行くか!」
アンとセキエイは、急いで尖砂西へ向かった。
ヒスイは、人影の時間を進めた。
人影はそれに反応したかのように、ゆっくりとブリキのおもちゃのようにぎこちなく奥へ進んでいった。
街灯は辛うじて生き残っていたが、多くの人に殴られレイプされ、壊れそうにチカチカ光っていた。周りの建物は破壊されて、灯りをともすことすら困難だった。
ヒスイ
「あの」
ヒスイは人影だけ時間を動かした。そんなことまでも、もうできるようになっていた。そして、その人影に話しかけた。人影はそれに応えるかのように、優しく振り返った。
「…」
ジン
「こんなところで、どうしたの?」
ヒスイに声をかけられ、ジンは振り返った。
この子、外国人?
ジンはヒスイの紫色の美しい瞳に、吸い込まれそうになった。壊れかけの街灯がヒスイの髪と瞳に明かりを灯し、更にその美しさを増す。
ヒスイ
「誰かを捜していませんか?」
ジン
「…」
ジンはヒスイを見つめた。
先輩と別れた後、なぜかジンは尖砂西へと向かった。3年前にあった銀行はとっくになくなって、更地になっていた。特に何かが建つわけもないだろう、こんな縁起の悪い土地に。ジンはそこの前で足を止め、しばし立っていた。
どうして私は助かったのだろう。覚えていない…
でも。ジンの記憶が、ふと結びついた。
そういえば、この目、見たことある…
ジン
「ううん、ちょっとね。僕、それよりどうしてそんなところにいるの?この辺の子?」
ジンはヒスイに尋ねた。聞いても、どう考えても、スラム街の子じゃないことは、ヒスイの制服からわかったが。
その時。
アン
「ヒスイ!!!」
ヒスイ
「ママ!!」
けたたましい足音が聞こえ、ヒスイは振り返った。
アン
「何やってんだよ!!こんな時間に!!」
アンはしゃがんで、跪いてヒスイを抱き締めた。そして、大人気ないほどに声をあげて泣き出した。
アン
「良かった、もぉ………」
ヒスイ
「ママ、ごめんなさい……」
ジンはその光景を眺めていた。その目を見開きながら。
この人だ。
アンは目をこすり、立ち上がった。
アン
「ごめんなさい、この子…」
ジン
「いや、大丈夫です、もう遅いんで、気をつけて帰ってくださいね。」
アンはまだ話しかけていたが、ジンは慌てて返事をした。
アン
「ごめんなさい、こちらこそ…」
アンの涙は、まだ止まっていなかった。必死で擦るその目は、3年前に見たその女性のもので間違いない。ジンは確信した。
ジン
「あ、あの」
アン
「…」
アンはヒスイの手を繋いだまま、ゆっくりと振り返った。暗闇に飲まれることもなく、だがその姿は弱々しく立っていた。
ジン
「…お子さん、守ってあげてください。ありがとうございました。」
何を言ってるんだろう、私は。
ジンは一瞬、混乱したが、
アン
「こちらこそ、ありがとうございました。」
アンは泣きっ面に笑顔で、そして、ヒスイを連れて歩き始めた。そっと風が吹き、あの花のような匂いをジンにばら撒いた。




