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十龍のオフィスビルで

「ま~たお前は…アホか!何度も言ってるだろう!」


ジン

「はい、すいません!」


綾港中心の十龍のとあるビルにて、事務所では毎度のお説教タイムが行われていた。


あーあー。またかよ。同僚は冷めた目で大目玉を食らうジンを見ていた。


前職を辞めて3年、ジンは思い切って転職をし、今の仕事に就いた。が、いつもこれである。


先輩

「今度は何をやったの?」


トボトボとデスクに戻ってきたジンに、女性の先輩が声をかけた。


でくの坊という言い方は失礼だが、ジンは職場ではまさしくそう思われていた。のんびりおっとりのお嬢様育ちが、機敏な動きを要求される、マスコミというこの仕事に就いたことが間違いだったのかもしれない。しかし、不思議なことに、ジンは憎まれなかった。直向きさが武器だったからだ。


先輩

「今日さ、金曜日だよね?たまにはパーっと遊ぼうよ。ご飯くらい奢るよ?」


すると、ジンの顔色は急に明るくなり、ニターっと笑い始めた。


ジン

「マジですか?いきます!!」


ちっとは遠慮しろ、と思われるかもしれないが、ジンは即座に返事をした。


さっきまで怒られたくせに、ジンはケロっとしてポリポリとスナック菓子をつまみながらパソコンに向かっていた。


ここは政治経済を扱う雑誌の編集部。ジン達が政治や事件を担当していた。昨日まで扱っていたのは、もちろん尖砂西の事件。


同じ部署の先輩たちはタコ詰めで休む間も無く働いていたが、ジンはようやく帰れそうだった。


ジンを誘ってくれた女性の先輩は別の部署だが、ジンのことを間抜けな妹のように面倒を見てくれていた。


先輩

「ジン、今のうちに帰ろう。付き合ってたら、キリがないよ。」


先輩はジンとともに、そそくさと事務所を抜けていった。


十龍を抜けて、2人は少し先の緑浦リュープゥという通りにやってきた。ここはデパートがあり、周りにちょっとした飲食店が立ち並ぶところだった。


金曜日の綾港の街は賑やかだった。地下鉄は2時頃までやっているし、タクシーもある。ジンは先輩の奢りで、日本料理屋にやってきた。


先輩

「ここ、スキヤキが安くて美味しいんだよ。」


ジンは先輩の向かいのソファーに座り、ハンドバッグを隣にボスンと置いた。ランタンが店を明るくしているムード満点の部屋だった。ところどころに障子が部屋を仕切り、壁にはインテリアとして扇子が貼ってある。テーブルの上には生け花が添えられていた。まさしくザ・ジャパン。


ジン

「高そう」


ジンは美術館にでも来たかのように、ぐるりと首を回して店内を見回す。眼鏡のレンズに暖色の明かりが反射していた。


先輩

「そうでもないよ。だからいいんだよ。カップルで来たら最高だね。」


先輩は笑ったが、悲しいことに、彼氏のいない女子2人だった。


2人はメニューにあるヤキトリとスキヤキを注文し、サケを頼んだ。


ジン

「日本は行ったことありますか?」


ジンは早速やってきたサケとヤキトリを堪能しながら先輩に尋ねた。青色の綺麗なガラスの入れ物にサケは入っていた。メニューには、オチョコと書かれていた。可愛いね、欲しい。と先輩はオチョコを見ながら笑っていた。


先輩

「ないよ。私、綾港から出たことない。」


ジン

「私もない。仕事で行かないんですか?」


先輩

「まー国際関係のところに異動になればあるんじゃない?今のところ、ないなぁ。」


オチョコを持っていた先輩は、ぐっとサケこと日本酒を飲んで、あーこれ強いね!と笑った。


夜が更けて行くにつれて、2人の酒はすすむすすむ。女同士は話し出したら止まらない。あっという間にサケの瓶は空き、スキヤキの白滝は茶色く染まっていた。


先輩

「ジンはどうして、転職したの?前は何をやってたの?」


ジン

「…」


先輩は顔を赤くするジンにふと尋ねた。という先輩の顔も、真っ赤だった。


ジン

「あまり面白い話じゃないですよ。」


そう言って、ふふふとジンは笑った。


ジン

「辞めろってことですか?」


ジンはすっかり出来上がっていた。先輩をからかうかのように、クスクス笑う。酔っ払いなのはお互い様、そんなジンを見て、先輩も笑っていた。


先輩

「そんなこと言ってないでしょ?あんたがいなくなると、うちの職場本当につまんなくなるんだよね。」


先輩はヤキトリのネギを摘みながらつぶやいた。


ジン

「へ?」


先輩

「へ、じゃねーよ!」


ジンが言うこと言うこと、先輩のツボに入るようだ。笑上戸の先輩は何が楽しいのかわからないが、またまたケラケラと笑う。


先輩

「ジンが笑うだけで、あのピリピリした職場がガラッと和むんだよね。それで割とみんな救われてるよ。」


ジン

「…」


ジンは唇を軽く噛んだ。能天気と笑われる彼女も、気にはしていたのだ。それがサケの勢いで、顕著に出ているだけである。


ジン

「お笑いキャラかぁ。悪くないのかも。」


先輩

「自分で言うなや」


ジンと先輩は、目を合わせて笑った。


ジン

「…先輩、3年前の尖砂西の事件、覚えてますか?」


ジンは先輩に尋ねた。


先輩

「もちろん。知らない人はいないでしょ。」


ジン

「あの人質、私なんです。」


先輩

「…」


ジンはあっけらかんと答えたが、もちろん先輩はそうはいかなかった。さすがの笑上戸の先輩も、ヤキトリの串を咥えたまま瞬間冷却され、ピタリと固まった。テーブルの上に生けられた満開の椿の花よりも口をポカンと開け、そのまま固まった。


先輩

「マジで?」


先輩の様子は、ジンの想定内だった。ジンは気にすることなく、話を続けた。


ジン

「マジです。でも、ぜーんぜーん覚えていないんです。」


先輩

「あんた、よく平気だね!?あんなの、PTSDになるレベルだよ!?」


先輩は咄嗟に両手を伸ばし、ジンの両肩を掴んだ。そしてそのまま前後に揺らす。


ジン

「わわわ…いや本当、わかんないんですよ!助けられたとしか…先生にはショックによるものだとしか言われないし…」


先輩

「そりゃーそうだ!いいんだよ思い出さなくて、ほら、食って忘れなさいって!」


先輩はジンの肩から手を離し、パンと軽くジンの右肩を叩いた。


ジン

「いや、気になるんです!私を助けてくれた人を、思い出したいんですよ!報道関係者になれば探れると思って…しばらく銀行を休んで辞めたんです!」


先輩

「だから、それは知らない方がいいっての!」


先輩は首を横に振った。


先輩

「知ってどうすんの?だって、何も覚えていないんでしょ?警察がそんなの教えてくれるわけでもないし、そんな危ない目に遭うこと、しなくていいって!」


ジン

「いや、1つだけ覚えているんです。すごい不確かだけど…」


先輩

「何を?」


先輩は、まだまだ咲かない桜の花のように、口を固く結んだ。


先輩は間違えて焼肉の焦げた部分を食べた時のような顔をして、獲物を狙うハイエナのようにジンを見つめていた。ジンも臆することなく先輩に言う。


ジン

「声と匂い。女の人だった。柔らかくて、でも、優しくて…」


先輩

「そんなの、わかんないじゃん!もうやめなよ~、それでジンが一命を取り留めた。あんたが生きてるだけでも、もう充分恩返しになってると思うよ?さ、パーっと遊んで忘れようよ!」


ジン

「…」


さすがにもう、ジンはその話はしなかった。しても仕方ないと思ったからだ。少し冷め始めた春菊を口いっぱいに頬張り、悔しさとともにぐっと噛んだ。


先輩

「食べたら遊ぼうよ。ちょっとくらいなら奢るからさ!」


先輩は終始にこやかだったが、やはりジンの過去は頭にこびりついて、それが赤になりそうな横断歩道の青信号のようにちらついていた。





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