第八十四話 兄弟
――はあ……、思ったより借りすぎてしまいましたね……。
ぶ厚い古書を胸もとでしっかりと抱え持ったヨハンは、魔王城の中庭を取り囲むようにしてある柱廊に差しかかったところで――威勢のよい剣戟の音が聞こえて、思わず足を止めていた。
何気なくそちらに顔を向ければ、中庭の石畳の上で、聖短剣をひらめかせて戦っているレオと、二刀の得物をかまえてそれと対峙しているサトクリフの姿がある。
ふたりとも、片方が風のように身軽に相手に斬りかかっては片方がそれを受け止め、後ろに飛びずさったかと思えば地を蹴ってまた相手に突きを繰りだして――と、見ているだけで目をひかれてしまうほど華麗な戦いぶりである。
「……練習試合でもしているんでしょうか?」
ふたりとも体力があり余っているのかもしれませんね、とひとりで肩をすくめていると、中庭の一角に設けられている噴水のふち石に腰かけていた女の子が、ヨハンに気づいて手を振ってきた。
「ヨハン――――! こっちこっち!」
無邪気に大声をあげてヨハンを呼んでいるのはナコで、自然に呼び捨てで呼ばれたことに内心頬がゆるんでしまうほどうれしく思いながら、ヨハンはひとつ咳払いをしてから彼女に歩み寄る。
「ナコ、こんなところでどうしたんです? 観戦ですか?」
楽しそうに剣と剣でやりあっているレオとサトクリフに視線をやりながらいうと、ナコが、うん、と弾むようにうなずいた。
「レオ様にね、もっと剣を扱えるようになりたいから、サトクリフに稽古をつけてほしいって頼んでくれっていわれて。それでわたしからサトクリフ――サトちゃんに声をかけて、そのなりゆきでふたりの剣のお稽古を見させてもらうことなったんだ」
「なるほど。レオもよくやるといいますか、何事にも熱心ですねえ」
レオは聖遺物のひとつである聖短剣を継承したことと、そしてあの遺跡で剣ではまったくエリアスに歯が立たなかったことを悔いて、またあのようなことを起こさないために剣術の腕を鍛えようとしているのかもしれない。
魔法の腕だけでみれば、レオはこの世界で魔王に次ぐ実力者――いや、魔王は剣といった得物を扱えないだろうから、それを加味すれば剣術もたしなんでいるレオはやはりこの世界最強の魔法使いなのかもしれない――それほどに彼は魔法も剣も卓越した技術を持っているのだから、それ以上強くなる必要はないだろうに、それでもけっして努力を惜しまない姿はとてもレオらしいと思う。
――そういう人柄だから、レオは多くの人に好かれるんですよね。
かくいう自分もレオを尊敬しているひとりなのだ――と、元気に剣を振りまわしているレオに目を向けていると、ナコにちょいちょいと祭服の袖を引っ張られた。
「それで、ヨハンはなにしてたの? ご本をいっぱい持ってるみたいだけど……」
ヨハンが胸元に抱えた数冊の本を見つめて、ナコが首をかしげる。
「ああ、魔王城の図書の間に行って、いくつか本を借りてきたところなんです。夕食の時間になるまで、自室で読もうかと思いまして」
魔王城には、長年歴代の魔王たちが収拾していたらしい古書が山のようにあり、それを図書の間という蔵書専門の部屋で管理しているとのことで、本に目のない自分は、魔王に頼みこんで本の貸し出しを許可してもらったのだ。
人間界には出まわっていない貴重な書籍がたくさんあって興味深かったです、とナコに笑ってみせると、彼女がうれしそうに両手をあわせた。
「そうなんだ! ヨハンに喜んでもらえたならうれしい! それなら、よかったらここで読まない? お部屋で読むのもいいけど、お外で読むのも気分が違って楽しいかも」
「ここで……ですか?」
思いがけないことをいわれて、ヨハンはぱちぱちとまばたきしてナコの顔を見返す。
たしかに、野外で読書をしたことがないわけではないけれど、そのときはいつもひとりで、だれかと一緒にいながら本を読んだことはなかった。
気持ちのいい空のもとで、仲間たちがいて、みんながそれぞれ好きなことをやっていて、そのなかで自分は自分のやりたいように読書をする――。
――それも、いいかもしれない……。
気心が知れた仲間たちに囲まれて、おたがいにそこにいることが自然で、あたりまえで、気をつかう必要のない関係というのは、とても心地よいかもしれない。
自分はやっと、そうやって心を開ける仲間たちや居場所を手に入れたのだ。
「……これも、エリアスのおかげでしょうね」
『勇者』であるエリアスが、自分を導き、与えてくれたものなのだ。
人々を救う英雄――『勇者』というのは、世界を救うだけでなく、そこに生きる人びと――自分のような存在をもまた、救ってくれるのかもしれない。
ヨハンはそう感じると、エリアスのくれた恩恵に感謝しながらうなずいた。
「ええ、ではご一緒させていただきます。よろしければ、お隣よろしいですか」
「うん!」
自分のとなりのふち石をぽんぽんとたたいて、ここに座って、とさし示すナコに、ヨハンはほほ笑みながらそのスペースに腰かける。
お菓子もあるよ、と楽しそうに満面の笑顔で焼き菓子を差しだしてくるナコからそれを受けとりながら、こういう時間もいいなあと、ヨハンは、自分のなかでじんわりとやさしい気持ちが広がっていくのを感じていた――……。
そうして、さて借りてきた本を読むかと手もとの一冊を膝の上で開きかけたところで、となりであいかわず観戦を続けていたナコが、遠目にレオを見ながらぽつりといった。
「……ねえヨハン、やっぱりレオ様って、ケルちゃんに似てると思わない?」
「え……?」
ナコの何気ない問いかけに、ふと唐突に、彼女は以前にも港町の宿屋でそんなことをいっていたな、と思いだす。
あのときは、レオ本人も魔王とは接点がないと主張していたし、自分も魔王の姿をはっきりと見たことなどなかったから、たいして考えもしなかったけれど――魔王と何度も接触したいまあらためて考えてみると、たしかにふたりは似ている……気がする……?
取り立ててどこというわけでもないのだけれど、すこしつり目の顔立ちであるとか、どちらかというと細い縦長の瞳孔であるとか――髪の色や目の色は違うからそっくりというわけではないのだけれど、なんとなく雰囲気が似ているといえばそうかもしれない。
――けれど、世の中、似ている人間なんてごまんといるわけですし……。
魔王とレオの外見が多少似通っているのも偶然かもしれない。
考えすぎではないですか、とナコに声をかけようと顔をあげた矢先、ヨハンたちの背後に突如ふわりと風が巻き起こった。
はっとしてナコと同時に振り向くと、緑の髪をその風にあおられた魔王が、空間の割れ目から優雅にその姿を現したところだった。
魔王ほどの魔力の保持者ともなると、普通の移動手段として転移魔法を使うのかもしれない……。
魔王の甚大な魔力を実感してごくりと息を呑んでいるヨハンとは裏腹に、ナコが魔王の転移魔法など見慣れた様子でうれしそうに立ちあがった。
「ケルちゃん! どうしたの、ケルちゃんもレオ様たちのお稽古を見にきたの?」
「ああ、それもあるが――おまえたちの気になる会話を小耳にはさんだものだから、ひとつ伝えておこうと思ってな」
「気になる会話、ですか……?」
どの会話のことかと、そして魔王は自分たちの会話をどこかで聞いていたのかと冷や汗を浮かべるヨハンに、魔王はつと顔をむけていう。
「そうだ。――さきほどおまえたちは、レオと私が似ているのでは、といっていたな?」
「ああ、ええ、そのとおりですが……。それがどうかしましたか? お気にさわったのでしたら、あやまりますが……」
魔王たるもの、人間と似ているといわれては不快だっただろうか。
そう勘繰るヨハンに、魔王は驚いたように少し目を見開いてから、軽く首をふった。
「違う、それは誤解だ。むしろ、あの子に――レオに似ているといわれて、私はうれしかったのだ」
あの子……?
ずいぶんレオのことを親しげにいうのだな、と不思議に思っているヨハンに、魔王はさらに度胆を抜かれるような発言をした。
「――なにせレオは、私の身内だからな」
「……は?」
耳を疑うような一言に、ヨハンはおもわず素っ頓狂な声をあげてしまう。
……魔王は、いまなんといった……?
レオが、身内―――?
ヨハンが言葉を失っていると、魔王がさらにたたみかけるようにいう。
「レオは、いうなれば――私の弟なのだ。本人は覚えていないようだが」
――兄弟っ!?
あんぐりと口をあけて魔王を見返すヨハンに、ナコもその事実を知らなかったらしく、唖然として魔王とレオを交互に見やっている。
……いや、でも、それはおかしい。そんなことはありえないはずだ。
レオはレナード・ゲインズの血筋で、レナードは類まれな才能の持ち主だったとはいえ普通の人間だった。
魔王と接点など、ましてや血のつながりなどあるはずが――……。
(いや、でも……)
自分は、いつしか思ったことがあったはずだ。
レオとふたりで宿屋に残って、転移魔法のための魔力を手鏡に溜めることになったとき――彼は、魔力の絶対量や回復力が異常だった。
本当に人間業なのだろうかと、自分はそう思ったのではなかったか――……?
思い当たる節に、ヨハンが固唾を呑んでいると、こちらの存在にやっと気づいたらしいレオが、場違いなほど明るい声で大きく手をふってきた。
「お、魔王じゃん! ヨハンもいるじゃねぇか! いつのまに来てたんだよ!」
練習の手をとめて傷だらけの顔をむけるレオに、ヨハンはいま魔王から聞いた話を頭のなかで反芻しながら、驚愕の目でレオを見返す。
――レオが、魔王の、弟……?
どういうことなんだ、全然、ふたりの関係がつながらない……。
なんとか平常心を保とうと、ヨハンは立ちあがって軽く手をふり、ひとまずレオとサトクリフに簡易な回復魔法をかけてやる。
ちゃんばらごっこでついた軽傷など、このくらいの治癒魔法で充分治るだろう。
ヨハンの魔法を受けて、サトクリフがにやにやと笑いながらお礼をいう。
「おー、ありがとな、クラレンス! ――魔王サマ、よかったら魔王サマもご一緒に剣の練習しません? 得物は使えたにこしたことはないですぜ」
「それもそうだな。よし、サトクリフ、剣を貸してみろ。レオに稽古をつけてやる」
そうふんぞり返っていいながらレオたちのもとに歩み寄る魔王に、レオが軽く憤慨して足を踏み鳴らしている。
「はあ? おまえみたいな鈍っくさいやつに教わることなんてなんもねぇよ! なんなら俺が稽古つけてやるわ!」
威勢のいいレオのそばにいって、魔王が彼の頭に手をのせてよしよしとなでている。
レオは、子ども扱いするんじゃねぇよ、と抗議してその手を払いのけようとしていて、そんな彼を魔王はひどくやさしそうな目で見つめていた。
その風景をどこか遠くにながめながら、ヨハンは必死に頭に考えをめぐらす。
――そういえば、月の女神がナコの身体を乗っ取って、魔王がそれを助けにきたとき、彼はレオのことを気にかけていなかっただろうか……?
ふと思いだした光景。
あのとき魔王は、レオは元気かと、自分に問いかけたはずだ。
あれはつまり、自分の弟の身を案じての言葉だったのでは――?
少しずつつながっていく、わずかに気になっていた小さな小さな謎たち。
ヨハンは、兄弟であるのかもしれないふたりの仲睦まじい様子を黙って見つめていた。
――まだまだ、僕の知らない謎が、たくさんあるのかもしれない……。
それもこれもすべて、このあとの魔王との会食であきらかになるのだろう。
真実を知ったとき、自分たちはなにを得て、そしてなにを失うのだろう―――。
そう思いをはせながら、いよいよ、晩餐の時間がやってくるのだった。




