第八十三話 ふたりの未来
『――それじゃあ、お姉ちゃんたちはお夕飯の仕度が整うまでお部屋で休んでもらっててもいい?』
ナコのその一言でいったん解散になったアキたちは――それぞれに魔王城内に割りあててもらった部屋で、夕食のお呼びがかかるまで待機することになっていた。
そして――
『お姉ちゃんはエリアス様とおんなじお部屋でいいよね!』
というナコのにこやかな提案のもと、アキは魔王城に滞在するあいだ、エリアスとふたりで部屋で過ごすことになったのだ。
そしていま、アキはエリアスと同じ部屋で自由時間を迎えていて――彼は室内でくつろぎながら本を読んでいて、自分は部屋のバルコニーに出て魔王城からの景色をぼんやりと眺めているところだった。
(……彼とは恋人同士なわけだし、同じ部屋でも緊張しなくてもいい、はずなんだけど――)
彼女になったとはいえ、エリアスはやっぱり自分にとって特別な人で、憧れで、一緒にいるとどきどきしてしまうくらい格好良くて――アキは、どうにも緊張して仕方ないのだった。
当のエリアスはというと、この旅に出たときからずっと大切に持ち運んでいる『勇者物語』の絵本のページを、寝台に足をのばして座りながらのんびりとめくっている。
ぱら、ぱら、と室内に響いているページをめくる音に耳をかたむけながら、アキはひとりで部屋のバルコニーに立って、そっと室内を振り返ってはそんなエリアスの姿をぬすみ見ていた。
ちらちらと彼を振り返っていると、そんなアキの視線に気がついたのか、エリアスがふと顔をあげてほほ笑んだ。
「アキ、どうかした?」
わ、気づかれた……!
ぎくりと体を強張らせると、そんなこちらの心中などお見通しのようでエリアスにくすくすと笑われた。
――か、からかわれたかも……!
わざとむっと頬を膨らませてみせると、エリアスは『勇者物語』を軽く閉じてから、寝台から降りてこちらに歩み寄ってきてくれた。そうして、アキと同じようにバルコニーに出て、やわらかな外気に金の髪をなびかせながらアキのほうへ顔を向ける。
「どうしたの、なにか見ていたの?」
「あ、ううん、ええと、なにか見ていた……というよりは、考えごとをしてたっていうか」
まさかエリアスのことをちらちらぬすみ見してましたとはいえなくて、なんとなく思いついたことを口にする。
エリアスはすこし首をかしげて問いかけた。
「考えごと……?」
「はい。――なんだか、魔王城からの景色を見ていたら、やっとここまできたんだなって思えて……」
思いかえせば、魔王城までやってくることがこの世界に来たときの目標で、それをいまこうして達成したんだなあとしみじみと感じる。
旅をしているうちに、どんどんといろいろなことを知って、新しい目標ができて、こうして最初の目的地だった魔王城にやってきて、そして魔王と力を合わせて真の敵を打ち倒そうとしているんだよね。
ほんと、最初のころは魔王と仲間になるなんて思いもよらなかったなあ、とマンションではじめて魔王と遭遇したときの光景を思いだしていると、隣で黙っていたエリアスがおもむろに腕をのばして、そのまま肩を抱き寄せられた。
「エ、エリアスっ!?」
びっくりして顔を赤らめるアキに、エリアスは前方の景色に視線をやったままおだやかな声音でささやいた。
「……本当に、やっとここまでこられたんだよね」
おちついたその声がとてもやさしくて、心地よくて、アキは抱き寄せられた緊張で強張っていた体からすっと力が抜けてくる。
肩ごしに伝わってくる彼のあたたかい体温に身を任せるように、アキは彼の体に寄りかかった。
……やっとここまでこられたんだよね、本当に。
思いだしきれないほどに、本当に本当に、たくさんのことを乗りこえてきた。
うれしいことも、楽しいことも、かなしいことも、つらいこともあったけれど、いつも仲間たちがそばで支えてくれて、そして、エリアスが一緒にいてくれた。
この世界にやってきたころは、まさか自分が、この世界の英雄といわれる勇者様と恋人同士になるなんて、思ってもいなかった。
ううん、むしろ、この世界に生きる人とこうして想いを交わしあうなんて、想像もしていなかったのだ。
最初のころは、異世界で旅をしなければいけないなんて、なんて大変なことに巻き込まれてしまったんだろうって思ったこともあったけど、いまでは、この世界に来られて、こうして彼と出会えて、自分のこの運命にとても感謝してるんだ。
――だから私は、この恩義を『勇者の片腕』としてこの世界を守ることでお返ししたい。
そのためには、自分たちにとってもっとも強敵である――おそらくこの世界の生みの親ともいえる創世の女神のうちのひとり、月の女神と戦うしかないのだ。
ナコやヨハンいわく、月の女神はこの世界の消滅を願っているらしいんだけれど――たとえ月の女神様にどんな事情があったとしても、月の女神の人格を裏に持つナコや、この世界の存続のためにどちらかを討たなければならないエリアスと魔王、そしてなによりこの世界に生きる人たちを月の女神の凶行から守るためには、女神様に剣をむけるしか――……方法はないんだろう。
「……――この戦いが、終わったら」
ふとエリアスが口を開いて、アキは目線だけを動かして隣の彼を見あげる。
彼はそんなアキを見おろして目もとでほほ笑んでから、また視線を景色へと戻した。
「……この戦いが終わったら、きっとみんな――レオもヨハンも、それぞれ自分の生きる場所へ、帰ると思うんだ」
レオは学府へ、ヨハンは神殿へというふうに――……と、エリアスが静かにいう。
なにか口を挟んではいけない気がして、アキが黙って彼の言葉に耳をかたむけていると、彼は自嘲気味に笑みながら続けた。
「俺は――『勇者』としてしか生きる意味をもたずに生まれてきた俺には、自分の生きる場所が、ないんだ……。帰る場所が……故郷がないっていえばいいのかな。だから、もしこの戦いを勝ち抜いて、そしてこの世界が平和になって『勇者』が必要なくなったとしたら――……勇者でなくなった俺には、帰る場所がないんだ……」
え――……。
思ってもいなかったことを吐露するエリアスに、アキは驚いて顔をあげる。
まさかエリアスが、そんなことを考えていたなんて知らなかった……。
いつだって大勢の人たちに囲まれて、その中心にいて、誰からも愛されるエリアスには、帰る場所が――彼を迎えてくれる場所はたくさんあるだろうって、思っていたから。
「……本当に俺は、『勇者』でいることしかできることがない、自分にそれ以外の価値を見出せないんだ。だから俺は、この戦いがすべて終わって、みんながそれぞれの場所へ帰るべきときがくるのが――情けないけれど、こわいんだ……」
そこで一度言葉を切ったエリアスは、小さく息を吸ってから、ふるえるようにか細い声でいう。
「――……俺はまた、ひとりになってしまうんじゃないかって……」
「…………」
エリアスは、『勇者』という特別な使命ゆえに、孤独であることを強いられて生きてきた。
けれど、レオやヨハン、ミーナやルイス、そして自分と出会って――きっと、彼は仲間と一緒にいることの楽しさや幸せを知ってくれたんだと思う。
それはとても喜ばしいことだけれど、その反面、孤独でいたときがいかにつらくて寂しかったのかを知って、もうあのときのような自分に戻るのはいやだと思ってくれているんだろう。
けれど、エリアスのいうように、たとえこの戦いが終わってみんながそれぞれの生きる場所へ帰ることになったとしても、それでみんなが離れるわけじゃない、自分たちの絆は変わらないはずだ。
だから、みんなが彼を置いていなくなるなんて――そんなこと、ありっこないのだ。
それを伝えようと、アキは肩にまわされていた彼の手をそっと包み込むように自分の手を添える。
「……エリアス、大丈夫ですよ、大丈夫。私、みんなはエリアスが『勇者』だから一緒にいるんじゃないって、思うんです。みんな、エリアス自身が好きで、たまたま……ていったら言葉がいけないかもなんですけど、たまたまそんなエリアスが『勇者』としてがんばっているから、あなたを助けたいって、力になりたいって思って、こうして一緒にいるんだって思うんです」
だから、たとえエリアスが『勇者』でなくなったとしても、みんな変わらずに彼のそばにいると思うのだ。エリアスが『勇者』だから集まってきたのではなく、彼自身の人柄を慕って集まってきたのだから。
「だから、エリアスのいうように、この戦いが無事に終わって、『勇者』がいなくてもいい時代がきて、みんながそれぞれの場所に帰っていくことになったとしても、絶対にエリアスがひとりになっちゃうことはないって思うんです」
「……ありがとう。けれど、俺には『勇者』としてこの世界を守るために生きること以外、なにも……見つけることはできないんだ。そんな俺に、これからこの世界を導いていく立場になるヨハンやレオや、みんなの近くにいる資格はあるのかな……。『勇者』ではなくただのエリアスになった俺に、生きる価値はあるのかな……」
たたみかけるように弱々しく言いながら、顔を伏せてやり場のない思いを耐えるように奥歯をかみしめるエリアスを、アキは気づかうように見あげる。
どうしたら、エリアスを勇気づけられるだろう。
どうしたら、あなたはもう孤独じゃないと、みんながずっとそばにいるのだと伝えられるだろう。
(生きる意味……)
そうだ、エリアスはずっと、自分が生きる意味についてを考えていた。
それはきっと、彼が女神様によって人為的に造られた存在だから……。
自分たちのように、無条件に生まれてきたわけではないからこそ、彼はかたくなに自分が生きる価値を求めてしまうのかもしれない。
それなら――私を、彼の生きる意味にしてもらうことはできないだろうか。
それを伝えるのはだいぶ勇気がいるんだけれど、なんとかエリアスに元気を出してほしくて、アキは胸もとで手を拳に握るしめると、大きく息を吸っていった。
「エリアス、それなら……なんですけど、もしよかったら、私のために生きてもらうっていうのは、だめですか……?」
「え……?」
「あ、ええと、あの、エリアスが『勇者』でなくなったら生きる意味がなくなっちゃうって思うなら、今度は、私のために生きてほしいって、願ってもいいですか……?」
――ああああ、われながらなんて図々しいことを言ってるんだろう……!
自分に頭を抱えたくなりながらも、言ってしまったてまえ引っ込みがつかなくなって、冷や汗たらたらでエリアスの言葉を待つ。
でも、これが、自分の飾らない願いだった。
自分がエリアスの生きる意味になりたいって、そう思ったのだ。
それがきっと、真に『勇者の片腕』になれたってことなんじゃないかと思ったから。
「君のために生きる―――」
エリアスは、その言葉を自分自身に言い聞かせるようにつぶやくと、納得したとでもいうようにひとつうなずいてから、いままで見たこともないほどにしあわせそうに笑んだ。
「わかった。この世界が平和になって、『勇者』の俺を必要としなくなったときは、俺を、君を守る『勇者』にしてほしい。俺は、君だけの『勇者』になって生きていきたい」
エリアス―――!
彼の心からの言葉がうれしくて、感極まって涙ぐんでしまうアキをまえに、エリアスは少しだけ体を離すと、照れたふうにはにかみながらそっと両手を広げた。
エリアス、ありがとう―――……!
伝わった気持ちがうれしくて、これからもずっと一緒にいようねと伝えたくて――アキは、広げられた彼の腕のなかに飛びこむ。
そうしてかたく抱きあいながら、そんなふたりの未来がおとずれればいいと、アキは願わずにはいられないのだった――……。




